9話 金髪美少女はお別れの挨拶をしたい
『――ここが私の家だよ』
イヴが指差した方向には、何十階もありそうな高層マンションが建っていた。
そのままの視線では視界に収まりきらず、頂部見ようとすると首が痛くなる。
同じ街でさえ港の方に来るのは数えるくらいしかなかったため、こういった高い建物もあまり見慣れていなかった。
『すげぇ……ここに住んでるのか?』
『パパが見晴らしのいい場所に住みたいって言ったからここになったの。私は学校から遠いから嫌だって反対したんだけどね』
『それでも、きっと住みやすいだろ』
『住みやすい……のかな? 私、こういう家にしか住んだことがないからあんまり分かんない』
どうやら彼女の家は生粋の金持ちのようだ。
皮肉を言ったつもりが彼女には全然効かない。
それどころかカウンターまで喰らってしまった。
彼女の申し訳なさそうな苦笑が、妙に腹立たしい。
しかしそれが嫉妬と気づくと、そんな気持ちを抱いてしまった自分が情けなくてしょうがなかった。
『じゃあ、俺はもう帰るから』
『あっ、うん。今日はありがとう。私のそばにいてくれて』
『イヴのそばにいたって言うか、勝手にイヴがついてきてただけなんだけどな』
『そんなことないよっ』
イヴは覇気のある声で俺を黙らせると、胸に手を当てて話しだした。
『カイがいなかったら、今頃一人で震えてたかもしれない。そう思うくらい、カイにはたくさん助けられた』
『助けたつもりはない』
『つもりはなくても、助けたんだよ。日本語を教えてくれたり、帰り道をついてきてくれたり、アイスを買うのを手伝ってくれたり。そばにいたのだって私がついていってただけかもしれないけど、カイは口だけで本当に拒みはしなかった』
『……拒んでたさ』
『じゃあ、最後にそれを証明してみる?』
『し、証明?』
まさか、俺がそこまで拒んでいないことが明るみに出てしまうのか?
親に悪事がバレてしまった子どものように心臓が早鐘を鳴らしていると、イヴは俺の方に一步歩み出る。
嫌な予感がして、俺は一步後ずさった。
『な、何をするんだ?』
『カイは知ってる? 海外で仲のいい人にする挨拶』
『挨拶……?』
俺は英語はできるが、海外の習慣やら生活やらは知らない。
あくまで英語を知っているだけで、イヴの言う「挨拶」が何かピンときていなかった。
イヴは一步、もう一步と俺に歩み寄る。
対して俺は、後ずされなかった。
イヴに何かされると分かっているのに。
どうして?
俺にも分からない。
でも、俺の心の中に彼女との距離を空けたくないという気持ちがあるのは確かだった。
その気持ちがある理由もまた、分からなかった。
イヴが眼前にまで迫る。
彼女の頬は、少し赤みがかっている。
綺麗な碧眼でまっすぐに俺を見上げると、彼女はとても優しく微笑んだ。
『いくよ?』
そう言うとイヴは俺の肩に手をかけ、ぎゅっと背伸びした。
ちゅっ
耳元で、キスをするような唇の音が鳴り響く。
だが、彼女の唇は俺に触れていない。
代わりに触れていたのは、やけに温かさを感じる彼女の頬だった。
「なっ……!?」
ふわりと、イヴの甘い香りが鼻をくすぐる。
彼女が必死に背伸びをしているせいで、体が密着する。
俺の頭は、一瞬で真っ白になっていた。
『……ほら、やっぱり拒まない』
その声で、俺は我に返る。
目の前には、照れているのを必死に隠すように笑顔を浮かべているイヴがいた。
『い、今のは……』
『チークキス。仲のいい友達によくするんだ。いつもは右と左、両方のほっぺにするんだけどね』
俺は彼女のぬくもりを探すように左の頬を触る。
とても柔らかくて、すべすべしていたような………気がする。
あまりにも衝撃的な出来事すぎて、よく覚えていなかった。
『ほら、カイも』
「へっ……?」
『挨拶は交わし合うのが基本でしょ? だから、カイも私のほっぺにキスして!』
『む、無理に決まってるだろ! そんなの、そんなの……』
『えぇー』
えぇーって言われたって、俺にはできない。
彼女と関わりたくないとかそんなの関係なく、単純にものすごく恥ずかしい。
今日出会ったばかりのはずなのに、どうして俺は女の子とチークキスなんかしてるんだろう。
彼女いない歴=年齢の俺にとっては刺激が強すぎる。
それが海外にとって当たり前の挨拶なのかもしれないが、生粋の日本人である俺にそれを押し付けないでほしかった。
『むぅ……。じゃあいいもん、私からもう一回するからっ』
『へっ? いやいやちょっと待っ――』
拒もうとする間もなく、イヴはもう一度、今度は右の頬にチークキスしてくる。
育ち盛りの柔らかさが、まるで暴力のように俺の胸にぎゅっと押し付けられる。
彼女の頬は、やっぱり柔らかくてすべすべだった。
『じゃあ私、帰るね! 今日はいろいろありがとう! 明日もよろしくね!』
今度のチークキスは一瞬で、イヴは俺から離れると逃げるようにマンションの中へ入っていった。
取り残された俺は、立ち尽くしながら一人。
「なんだよ……これ……」
ドクドクと鼓動する胸を抑えながら呟くのだった。
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