8話 金髪美少女はアイスを食べたい。ついでに食べさせたい。

『まさかカイから“一緒に帰ろ”って言われるとは思わなかったなぁ』

『誰もそんなこと言ってないだろ。俺はただイヴが危なっかしくて心配だから“ついていかせてくれ”って言ってるだけだ』

『合ってるじゃん』

『何も合ってねぇ!』


 イヴの家に向かう途中、俺は例に漏れず彼女に振り回されていた。


 本当に彼女と関わりたくないなら無視すればいいと思うかもしれない。

 でも無視をしても彼女は構わず話しかけてくるのだ。

 それはもう小蝿こばえの羽音が耳元でずっと鳴り響くようにいやらしく。


 気持ち悪い音が耳元でブンブン鳴ってるのに無視なんてできないだろ?

 つい生理的に手を振り払ってしまう。

 それと全く同じだ。


 だから俺も無視したくてもできないのだ。

 まぁ、それで笑っている彼女が可愛いからというのもあるのだが。


 可愛いとは、言うなれば魔性だ。

 その整った容姿と小賢しい仕草があれば、どんな男の理性でも崩されてしまう。

 彼女が心から嬉しそうにしているのが尚更タチが悪い、とそんな言い訳をさせてくれ。


 俺自身、矛盾の孕んだ行動をしているということは自覚している。


 でも、俺は心から一人になりたいわけじゃない。

 友達と関われるなら関わりたいし、イヴと話せるのなら話したかった。


 でも、俺は他人と深く心を交わしたくない。


 交わしてしまったら、失ったときに辛くなるから。


 裏切られたときに、辛くなるから。


 イヴがそんなことをするような人間じゃないことは分かっていても、この世に絶対なんて言葉はない。

 だから、俺はその小さな可能性のために彼女とは関わりたくなかった。


『あっ、見て見てカイ! アイスクリーム屋さんだよ!』


 それでも、イヴはそれを分かってくれない。


 無論、分かってもらうつもりもない。


 だって、はイヴにさえ言えないことだから。


『別に珍しいものでもなんでもないだろ。こんな暑い時期なんだし』

『朝にここを通った時は出てなかったんだよ。初めて見た。日本にもあるんだね』


 ちなみに目線の先にあったのは、広場の脇でやっている移動式のアイス屋だった。

 あまり聞かない名前ののぼりが立っているところを見るに、きっと個人営業のアイス屋なのだろう。


 日本で最も有名なアイス屋と比べると種類は劣るが、それでも最低限のフレーバーは揃っているようだった。


『ねぇねぇカイ、ちょっと寄って食べてみようよ』

『俺にそんな金はない。食べるならイヴだけ食べてくれ』

『それは分かったけど、注文するときの通訳はお願いね』

『はいはい』


 頷けば、イヴは目をキラキラと輝かせながら一人で先に行ってしまう。

 はたから見れば親と子供だな、と少し微笑ましく思いながら俺も彼女の後を追った。


『カイ、これはなんて読むの?』

『これはバニラだ』

『じゃあこれは?』

『そっちはチョコレート』

『これは?』

『それは抹茶だな』

『マチャ?』

『抹茶。お茶のフレーバーだ。お茶って言うと苦かったり渋かったりするイメージがあるかもしれないが、アイスのお茶は甘い中にほんのりとある苦味がアクセントになって美味しいんだぞ』

『へぇー……マチャ……』


 やっぱり英語圏の外国人は促音が苦手のようだ。

 さっきから「マッチャ」を「マチャ」と発音してしまっている。


 これも今度練習しないとだな。


 イヴは立て看板にあるメニューの文字に視線を添わせながら逡巡し、やがてを指差した。


『決めた! マチャにする!』

『ん』


 俺が店員に注文し、イヴがお金を払ってアイスを受け取る。

 彼女の手に握られたコーンの上には渦を巻いた抹茶のアイスクリームがあり、彼女はその鮮やかな緑色に目を奪われていた。


『これがマチャ……』

『「抹茶」な』

『マ、チャ?』

『そうそう。ここだと邪魔になるから、とりあえずそこにあるベンチに座ろう』

『うんっ。マ、チャ~マ、チャ~』


 やけに上機嫌、の割にはちゃんと促音を意識している。

 やっぱりまだ少しぎこちないが、浮かれている中でも俺の教えたことを守ろうとしてくれているのだと思うと嬉しかった。


 ベンチに座ると、イヴは早速店員から貰ったプラスチック製のスプーンで抹茶のアイスを掬い上げる。

 そうしてそれを口の中に入れてじっくり味わうと、目尻がへにゃりと下がった。


『美味しい~。マty……マ、チャって食べやすいねっ』


 甘いものを食べてつい気が抜けたらしい。

「マチャ」と言いそうになったところを慌てて「マ、チャ」と言い直す姿に思わず頬が緩みそうになってしまう。


『早く食べてくれよ。言っておくけど、今はイヴの家に帰ってる途中なんだからな』

『分かってるよ』


 イヴはもう一度アイスを口に含む。

 声にならない声を上げながら美味しそうに食べていた。


『ん、カイにも食べさせてあげるよ』

『俺は別にいい、っていうか食べるとしてもどうやって食べるんだよ』

『そこはほら、このスプーンでアイスを掬って……』

『お、おいおい、ちょっと待てっ。このままだと、また……!』


 またイヴと間接キスをする羽目になる……!


 俺はアイスを食べさせようとしてくるイヴを必死に止めようとする。

 しかし、彼女の手にあるアイスは一向に進行を止めようとしない。


『さっき私にあーんしてくれたでしょ? だから、そのお返しっ』

『やめろっ、お返しにしてはいろいろと釣り合ってないから!』

『じゃあ、仕返しっ』

『一気に雰囲気が変わったなぁ!?』


 文字一つでここまで意味が変わってしまうのか。

 そんなのんきな感想を抱いている暇もなく、イヴのアイスは近づいてくる。


『私、カイにあーんされて恥ずかしかったんだよ? だから、カイも同じ思いをしないとダメ』

『だから、それだといろいろと釣り合わなくな――』


 口が開いたところに、イヴは強引にアイスを押し込んできた。


『――!?』


 こうなってしまえば、もう抵抗はできない。


 ムスッとしていたイヴの表情も、アイスが俺の口に入ったことで笑顔に戻った。


『どう、美味しい?』

『分かんねぇよ……!』


 一応咀嚼はするが、それでも今は味覚より羞恥が勝っている。

 何か口に入ったことが分かるくらいで、今の俺にはまたイヴと間接キスをしてしまったことの恥ずかしさしか感じられなかった。


 今回のあーんには、ムードの欠片もなかった。

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