6話 金髪美少女は数字の数え方を知りたい
結局、俺は間接キスを逃れられずにいた。
水飲み場で洗ってこようにもイヴが屋上の出入り口を塞いでくるし、洗えたとしても水なので完璧に間接キスを避けたとは言えなかった。
なので仕方なく彼女の使った箸で弁当を食べているのだが、さっきから恍惚さの中にニヤけが入ったような表情でこちらを見入る彼女の視線が痛い。
恋愛経験が皆無な俺にとっては間接キスでさえ刺激が強く、照れながらご飯を食べている俺を面白がっているのだ。
『間接キスでそんなに顔を赤くするなんて、カイは可愛いね』
『っ……イ、イヴはなんでそんなに余裕そうなんだ。恥ずかしくないのかよ』
『ちょっと恥ずかしいけど、それ以上にカイが恥ずかしがってるから』
……なんか、負けた気がする。
というか、実際に負けているのだが。
素っ気なくされてもなお俺と関われるコミュ力。
こうしてちょっとしか恥ずかしがっていないところを見るに、彼女は恋愛経験も豊富なんだろう。
イヴは誰かと付き合ったことがあるのだろうか。
そんなことを気にしてしまう自分が憎かった。
『というか、イギリスでも間接キスの存在が認知されてるんだな』
『いや、ほとんど聞かないよ。ただ私は日本のサブカルチャーが大好きだから知ってただけ』
『そういうことか』
『間接キス以外にもまだまだカイとしたいことがたくさんあるから、覚悟しててねー?』
『勘弁してくれ……』
このペースで翻弄されていては心臓が持たない。
ただ純粋に構ってくるならまだしも、こうして色仕掛けで攻められると耐えられるものも耐えられなくなってしまう。
でも、俺は耐えなくてはならない。
どんな色仕掛けをされても、俺は俺でいなくてはならない。
どうして俺は恋愛という恋愛をしてこなかったのだろう。
そうしたらもっと耐性がついたはずなのに。
あ、違う、できなかったんだ。
くっそ、なんか知らんけど自滅した。
『というか、イヴは俺に日本語を教わりたくてここにいるんだろ?』
『あっ、忘れてた』
『忘れんな。俺も弁当食べ終わったから、早速始めるぞ』
『はーい、よろしくお願いしまーす』
間抜けた声で挨拶されても何も響かない。
こいつ、教わる気があるのだろうか。
ため息をつきながら弁当を片付けると、俺は再びイヴに視線を向けた。
『んで、まずは何を教えてほしいんだ?』
『何を? え、えーっと……うーん……』
『お前、本当に俺に日本語を教えてほしいのか……?』
『ほ、本当だよ! ちょっと待ってね、今考えるから……』
こいつ、まさか俺と関わる口実をつくるためだけに『日本語を教えてほしい!』とかほざいてたんじゃなかろうか。
顎に手を添えて思考するイヴを細い目で見ていると、やがて彼女は何かひらめいたように目を見開いた。
『そうだ、数字! 数字の数え方について教えてほしい!』
『数字か……分かった』
早速俺はスマホを開き、メモ帳に「1、2、3」と打つ。
指を指しながら、まず俺は数字の読み方を教えた。
『じゃあ、まずはこれから。これは「いち」って読むんだ』
「イチ」
『そう。で、これが「に」』
「ニ」
『これが「さん」』
「サン」
『続けていくぞ。「いち」「に」「さん」』
「イチ、ニ、サン」
『うん、上手だ』
少々片言ではあるものの、ちゃんと発音できている。
『ほんと? 私、上手にできてる?』
『あぁ、上手』
褒めてあげると、イヴはぱぁっと顔を明るくする。
その姿は小さな子どものようにあどけなくて、とてもじゃないが直視できない。
俺は思わず照れくさくなってしまう。
だけど照れくささの中にどこか嬉しさも混じっているような気がして、変な気持ちになった。
構わず、俺とイヴは五、六、七と数字を口に出して言っていく。
十まで来ると、俺は一時中断した。
『とりあえずここまでだな。これ以上やってると昼休みが終わるから、次は単位について教えていくぞ』
『うん』
『さっきは数字単体の読み方を教えたけど、日本語は単位がつくと数字の読み方も一緒に変わるんだ』
『なんか、難しそう……』
『そんなに不安がる必要はない。例えば、いま練習した十個の数字を言う時に便利なのが「つ」だ』
「ツ?」
『さっき言った「いち」に「つ」がつくと「一つ」になる』
『「イチツ」じゃなくて?』
『「一つ」なんだ。言ってごらん「一つ」』
「ヒ、トツ」
『そうそう。「一つ」』
「ヒトツ」
『上手だ。他にも人を数えるときは「一人、二人」って言ったり、小さなものを数えるときは「一個、二個」って言ったりする』
「ヒト……イコ?」
『ごめん、一気にたくさん言い過ぎちゃったな』
イヴの頭の上に疑問符が見えそうなほど、今の彼女は混乱していた。
俺は思わず頬を緩ませながら、ペットボトルの水で乾いた口を潤していく。
俺は彼女に日本語を教えることを楽しんでいた。
俺が少し教えれば、彼女はそれを一生懸命に咀嚼して自分のものにしようとしてくれる。
その姿がなんだか愛おしく見えてしまって、案外悪くないと思ってしまった。
本当は、思ったら駄目なのに。
『大事なのは、間違えてもいいからとにかく使うことだ。使えばそれだけ身につくからな』
『じゃ、じゃあ……カイと私は「フタリデヒトツ!」』
「!?」
イヴの爆弾発言に思わずむせてしまう。
咳き込んでいると、この自体を引き起こした張本人は『だ、大丈夫!?』と俺の背中を擦った。
大丈夫って、元はと言えばお前のせいなんだけど。
『とりあえず、大丈夫。……まぁ、使い方は間違ってない』
『ほんと!? やったー!』
純粋に喜んでいるイヴを咎める気持ちになれない。
あとこいつ、さらっと助詞まで使いこなしてるし。
イヴが日本語を話せるようになるまで、そう時間はかからないかもしれない。
ガッツポーズをする彼女を見ながら、俺はそう思うのだった。
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