第9話 ネグレクト
◇◇◇【5月2日】
どんっと、制服が目の前に並んだ。
「えっ…と」
並べた張本人が、ふんっと鼻で息をした。
「飛野大野に置いていった制服や私物よ。
…その、わるかったわ」
「携帯っ」
ずっとなくて地味に不便だったんだよね。
美夜とも連絡つかないし。
「勘違いしないでよね!伊織さまが勝手に私の家に送りつけてきて…て、なにしてるの?」
「携帯を充電してる」
そりゃ何日も放置されれば充電は0%である。
教室の端っこのコンセントを使ってます(電気泥棒なんてしてはいけません)
「美夜から連絡きてたら大変だから」
「美夜ってあのボロアパートの子?それとも別の子?別の子だったら絶対紹介しなさいよ」
「ボロアパートの子であってるよ」
嫉妬深いのかなんなのか。
「ネグレクトにあってるの。
命の綱は私しかいないから、なにかあったら……」
ようやく表示され、メールを確認する。
【たすけて】
そう表示されたのを見て、心臓がガクンと波打った。
【今何してる?】【瑠璃〜返信ちょうだい】【ちょっと限界かも】【瑠璃、たすけて】
ぞくぞくと表示される過去ログに、背筋が凍った。
五日前から一日一回くらいの頻度で連絡がきてる。
なんで、あんなにたくさんのおにぎりを渡したじゃないか。
「まさか親に取られて…いや、食べてても2週間はもたないか…」
最悪の事態を想定する。
最後に会ったのは4/15。
そのあたりからおにぎりだけで何も食べてないとしたら、2週間も何も食べてないことになる。
たまらず充電コードを引き抜いて、教室から抜け出す。
授業なんて受けてる場合じゃない。
ガッと腕を掴まれる。
捺だ。
「ど、どうしたの!?」
「捺……」
自分の不甲斐なさに泣きたくなる。
あの子は何回も私に助けてと送っていた。
それなのに、おざなりにして。
「あのね、美夜が……美夜が、何日も食べてなくて、たすけてって」
「本当にネグレクトなのね、大丈夫?じゃなさそうね、まずはあなたがしっかりなさい。
落ち着いて、そう、息を吸うのよ」
背中をなぜられ、唄うように落ち着かされる。
涙でぼやけてた視界が、クリアになる。
ボロボロと泣きながら、捺を見上げる。
「おち、ついた」
「よし、偉いわ」
頭を撫でられ、ぽんぽんと優しく撫でられる。
「美夜は、私の大事な友達なの。
あの子が助けを求めてる。
行かなきゃ」
「わかった。
ついていくわ」
え、と振り返ると、真剣な眼差しをしている捺がいた。
「世間知らずでしょうあなた。
もし倒れでもしてたらどうするの?」
「えっと……ごはんを……」
「栄養失調の人にそんなことしたら毒だわ。
まずは救急車を呼ぶのよ」
知らなかった。
というか救急車というのが浮かばなかった。
「とりあえずいくわよ、案内をーー」
ス、と真っ黒なハンカチが目の前に差し出される。
アイロンの行き届いた、あまり水を吸わなさそうな素材だ。
音もなく、彼は現れた。
「御先さん……」
「え、あなたのドライバー?」
「これから美夜さまのところへ向かわれるのでしょう。
僭越ながらお急ぎと判断致しましたので、お迎えに上がりました」
突拍子のない人物の登場に、想像以上に驚いたのは捺だった。
「なに!?心でも読めてるの?!盗聴器とかあるんじゃないでしょうね!」
「御先さん、そういうところあるよね」
「あるよねじゃないと思うんだけど!」
人間離れしてるというか、なんというか。
というわけで、3人で昇降口を出ていく。
もう目の前に車は用意してあって、慌てて2人で乗り込んだ。
学校をさぼることにはなるが、いたしかたない。
ていうか、御先さんは教室に入ってきて大丈夫だったのか
制限速度を守りつつ、走っていく。
一刻も早く、と祈りながら。
最中幾度か通話を試みるが、応答無し。
間もなくボロボロのアパートの前に着いた。
アパートに似つかわしくないキラキラな高級車を出て、美夜の部屋の扉を叩く。
「美夜!!美夜!!」
ピンポンも連続で鳴らすが、応答がない。
「この場合どうすればいい?警察?」
「いえ、とにかく開ければ良いのですよね?」
「え?ああまあ……美夜ちゃんの無事が確認できれば……」
「では」
何やら細い棒を2本取りだして、玄関の鍵穴に入れていく御先さん。
「な、なにしてるの御先さん!」
「よくみませんか?泥棒とかよくこうして…こういう昔ながらのアパートの鍵型はテンプレートなので多分こうすれば………おお、開きました!」
「開くものなの!?ちょっと瑠璃この人なんなのよ!」
「ありがとうございます御先さん」
ガチャり、とドアを開けると、途端に埃が舞った。
むせかえりそうになりつつ、美夜をさがす。
部屋のどこにもいない。
どこだ、どこに美夜はーー
ガラッと押し入れを開けると、倒れ込むように美夜が出てきた。
意識はある、けど、たって歩けるかといったら全く無理な状態だ。
ああどうしてこうなるまで気づいてやれなかった、
携帯がないなら会いに来れば良かったじゃないか、私は自分のことで頭がいっぱいでーーいやそんなの言い訳にすぎない。
頭が真っ白にありながら、美夜を揺らす。
ぐったりとしながら、薄く瞼を持ち上げた。
「る、り……」
「美夜!!!」
「ふふ……来てくれた……ありがとう」
「ごめん!ごめんね美夜!私……!」
「メール、気づいてくれた……」
「手元になかったの、だから遅れたの……ごめん……本当に……」
母親が荒れて帰ってくると、決まって押し入れに入って、やりすごす。
そう聞いたのはいつだったか、思い出せて本当に良かった。
「瑠璃!今救急車呼んだから!」
「まっ……騒ぎを大きく……したくない……」
「美夜ちゃん?っていったわね、はじめまして。
瑠璃の友達の白守捺よ。
お母さんが怖いのかもしれないけど、今何より大事なのはあなたの命を守ることよ」
「でも……お母さんに……叱られる……」
「叱られるのはあなたのお母さんよ」
バッサリと言いきった。
「子供にご飯を与えないなんて、母親失格もいいところ。
あなたは何も悪くない」
捺の一言が聞いたのか、ポロリと、カサカサの肌に涙が伝った。
「そう、でしょうか……」
「そうよ」
なにか物憂げに言う彼女に、違和感を感じた私だった。
後に救急車が来て、美夜の病院には私が付き添った。
栄養失調と診断され、あれよあれよという間にいくつかの管に繋がれた美夜が完成した。
「美夜!」
予想より酷い状態を目にし、思わず叫ぶ。
「極度の栄養失調です。
水だけは飲んでたみたいで脱水症状は見られませんが……ビタミン剤などを投与してますが、餓死寸前でしたよ。
親御さんは何をしてるんですか」
白い白衣を着た初老の医師にそう言われ、ゾッとした。
もし、お兄ちゃんが私の携帯を返してくれなかったら美夜の命が奪われてたかもしれないのだ。
「美夜のお母さんは、その、仕事で……」
「仕事で2週間以上放置ですか?それはネグレクトと言って、警察に通報しなくてはならないものなんですよ」
半ば叱るように言う先生に、「はい…」としか言えない私。
全くもってその通りだ。
もっと早く通報してれば、ここまでの事態にはならなかった。
それでも通報しなかった理由、それは、彼女がとても母親を好いていたからだ。
どんなに放置されても罵詈雑言をはかれても、彼女は母親を嫌いにならなかった。
否、なれなかった。
私に助けをなかなか求めないのもその理由の一つだ。
私がいつか児童相談所に連絡するかもしれないことを恐れて、最小限にしていた。
「……伊織さまとは真逆ね。
あの方は小さい頃からさっさと母親が自分を捨てた現実を受け入れて、前に進んでたわよ」
こんこんと美夜が眠る病室で、私、捺、御先さんの順番で腰かける。
危ない状態だったため個室を用意され、感染症などでもないためお喋りは自由だ。
「優しい子なの。
お兄ちゃんが優しくないってわけじゃないけど、不器用で、お母さんのことを悪い人って決めつけたくないんだよ」
「父親は何してる訳?」
「いないって言ってた。生まれた頃にはもう……」
「どいつもこいつも平気で子供を捨てるわね、胸くそだわ」
私に対してそう言って、彼女はハッとした。
「ごめんなさい、あなたも父親に捨てられてたわね」
「あ、ああ……別にいいよ、知らないし……」
そこまで言うと、美夜のまつ毛がそろ〜と開いた。
「美夜!」
思わず駆け寄ると、美夜は開口一番こう聞いた。
「り、ぼん……」
「ある!あるよ!」
美夜が後生大事に身につけてる、黒のリボンである。
それを手に握らせ、あんしんさせる。
「る、瑠璃さま!そのリボンは?」
なぜか御先さんが立ち上がってリボンを凝視する。
「あ…ああこれ?昔お父さんに貰ったんだって。
綺麗だよね、光の加減によって色が変わって見えるの。
美夜の宝物なんだって」
「しかし、それは……」
そこまで御先さんがそこまで言って、ピタリと止まった。
カッカッと高いヒールの音を鳴らして、20時まで来なかった母親が帰ってきたのである。
音でビクッと肩を揺らし、停止する御先さん。
「御先さん?」
捺が不思議そうに見つめると同時に、母親がガラッと扉を開けて入ってきた。
ツンとする香水の匂い、派手な色の露出の多いワンピース。
「何してんだ!!」
点滴などのチューブがいっぱいの娘を目の当たりにした、一言がこれだった。
「こんなにじゃらじゃら……一体いくらすると思ってんの!?このバカ娘が!」
パシン、美夜の頬を叩いた。
あまりの出来事に私たちは固まってしまった。
騒ぎに気がついた医者や看護師が来て、慌てて引き剥がす。
「……めんなさ……ごめんなさ……」
ポロポロと涙を流す美夜。
駆け寄って、背中と頬を撫ぜる。
「大丈夫?」
「めんなさ……おか……さ……ごめ……」
「大丈夫、大丈夫だから!」
美夜の手を無理やり私の胸に当て、精一杯伝える。
「だいすきだから!」
私の気持ちが通じたのか、少し安心したような顔をして私を見上げる。
「瑠璃…私も……」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ病室で、仲良く身を寄せ合う私たち。
その様子を、苦虫を噛み潰したように見つめる御先さんに、私は気が付かなかった。
「あれ?あんたーー」
母親の奇行が治まり、目線が御先さんへ行く。
「“あのときの”」
「瑠璃さま、帰りましょう」
「まてよこら!!!!」
ガンッとヒールで御先さんの高そうな黒スーツの背中を蹴る。
ベシャッと病室の地面で横になる彼を、母親はよく見て。
「“あのとき”のやつだ!!!」
何やら確信したようで、今度は御先さんに馬乗りになって叩いた。
「教えろ!!黒庵(コクアン)はどこだ!!!!黒庵の居場所を教えろ!!!!!」
「応援を呼べ!彼女を抑えるんだ!」
「教えろぉおお!!!お前らがチャチャ入れっから私の人生台無しなんだよ!!教えろ!おしえろぉおおお!!!」
泣きながら狂ったように御先さんを叩く。
医者に再び引き剥がされながらも、教えろと叫び続ける。
ゾッとしながら私たちはその景色を見ることしか出来なかった。
母親を何とか別室に移動させた医者は、面会時間の終わりと、あとは児童相談所に任せて欲しいことを伝えてきた。
私たちは乱れに乱れた御先さんを整え、よろよろと立ち上がらせる。
「……御先さん、教えろって、なんのこと?」
「申し訳ありません瑠璃さま。
その答えはもう少々お待ちいただけませんか」
「……御先さんがそういうなら」
「それから美夜さま」
ベッドに身を沈めたままの美夜に駆け寄り、手を握った。
「これから、何が起ころうと、強く生きてください。
そして、貴女様が1番だと思う生き方を選んでください」
遺言のように言葉を残した。
「そちらのリボンの元の持ち主を私は知っています」
息が、止まるかと思った。
何を言ってるのかと思えば、彼は、美夜にかしずいて、大きく頭を垂れた。
まるで、主人に使えるがごとく。
「その御方は私の口からいうことは今の段階ではできません」
「パパを、知ってるってこと……?」
美夜の問いにこくりと答えた。
まさかの展開に、私と捺は、あんぐりと口を開けたまま固まった。
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