XX
そうして渡部と林の2人は居酒屋で飲んでいた。渡部は林にいろいろと相談を持ちかける。
「林さん、俺はどうしたらいいんですか? 田母神さんにも嫌われて顧客いなくなったし、接客を頑張ろうにも空回りばかりですよ」
「うーん、渡部君の場合は口から出まかせ感を失くすというか、薄っぺらい印象があるんだよね。だから本当にお客さんの気持ちに寄り添ってますという感じを出すといいんじゃないかな」
「難しいですよ、それ。具体的にはどうすればいいんですか?」
「なんだろうな。心が動かない限りは褒めないというか言われたことだけに専念して、で、お客さんに求められたときにだけ感想を言うのがいいんじゃないかな」
「なるほどですね。明日からそうしてみます」
渡部は林にそんなアドバイスをもらい、迷いが晴れたようだった。すると今度は林から相談を持ち掛けられる。
「渡部君、実は俺も悩んでいて。っていうのがさっき軽くいったけど、AZMAを辞めようか悩んでいるんだよ」
「あれ本気だったんですか」
「うん。辞めて自分の店を開くのもありかな、と思って。そこで渡部君に相談だけど一緒に働かない? 新しい俺の店で」
「え、本当ですか!?」
渡部はなんだかんだで林とは仲良くしていたし、信頼をしていたのでこの誘いを嬉しく捉えていた。
「でも具体的に林さんの店の計画、先に聞いてもいいですか?」
「いや、実は白紙状態。古着屋やろうかなとは思ってるけど、どこでいつやるかとかまったく決まってないんだよね。ただ辞めたいだけなんだよな。俺も」
「そうなんですか」
渡部は少しがっかりする。せっかく嫌気がさした店を辞めることができ、新たな人生を歩めると思っただけに残念に思う。しかし渡部は、自分もその計画に協力しようと提案をする。
「まだ白紙状態なら一緒に考えましょうよ! 俺も協力して店作って2人でAZMA辞めましょう!」
「渡部君、ありがとう。そうだね、協力してくれるならありがたいね。ちょっと話詰めようか」
「まずどこにするかですよね。やっぱり古着屋だと高円寺ですよね。どうですか?」
「高円寺いいんだけど、激戦区だし、高円寺に作るようなニッチな店のアイデアや買い付けはやっぱり難しいよね。だから、あまり古着屋になじみのない場所がいいと思うんだよね」
「そしたら秋葉原とかいいんじゃないですか? 古着屋どころか服にもなじみないですが、オタクにも入りやすい店っていうコンセプトはありじゃないかなと思います」
「確かにそのコンセプトありだね。渡部君はおしゃれ初心者の手伝いするの好きだもんね。場所はいいね。コンセプトは俺に考えがあって、やっぱり俺のルーツのアメリカ古着をコンセプトにしたいんだよね。もちろんおしゃれ初心者向けにもしなくちゃならないから、がっつりヴィンテージってよりかはお手頃で買えるレギュラー古着になってきそうだね」
「ですね。結構アイデアは固まってきましたね」
「だね。でも今日はもう遅いから続きはまた今度やろう」
「はい! 楽しみにしてます!」
「うん、じゃあ帰ろうか。お疲れ」
楽しい会話ができたと渡部は感じていた。接客のアドバイスももらえたし、AZMAを辞めてのアイデアもできたので、渡部はホクホクだった。そして次の日、いつも通り渡部は店頭に立っていた。隅に言われた30着売ることを目指し接客を頑張っていた。
「なにかお探しのものあればおっしゃってくださいね」
「あ、じゃあカーディガン探しているんだけど、いいやつある?」
「はい、ありますよ。レマメイヤーのカーディガンで本当に一生ものになるカーディガンです」
「これいいね。着てみると肌触りもいいね。これいくら?」
「9万円くらいですね」
「うわ、高いな……。ちょっと考えさせて」
「はい、もちろんです」
渡部はここでいつものように押していくわけではなく、引くことを試していた。引くことで客の考えを尊重し、渡部のごり押しを抑えることができた。しばらくその客は悩んでいたが結局値段以上の価値があると思ってくれて、買ってもらうことができた。なんとなく渡部は接客の極意を知った気になれた。押してばかりではだめなのだということにようやく気づいたようだった。レマメイヤーを一着売れたことが自信になり、その日の渡部は絶好調だった。
「そちらのケネスフィールドのガイドジャケット、今日入荷したばかりでお勧めですよ。真っ赤で合わせづらいかと思いがちですが、意外となんでも合うんです」
「ボンクラのXX、今日全サイズ再入荷したのでサイズ選べるうちにぜひ買ってください。ウォッシュサンプルもありますので」
「その白Tはうちの店のオリジナルで、アメリカ製にこだわって作ったTシャツなんですよ。ちょっと高いかもしれませんが、お勧めです。試着だけでもしてください」
渡部は結局30着以上売り上げることができた。渡部は気づいたら30着という形で自身でも驚きを隠せなかった。隅がやってくる。
「渡部君、すごいね! 本当に30着以上売るなんて。正直無理だろうななんて思ってたんだよ。でも達成したもんね。本当にすごいよ!」
「ありがとうございます。とうとう自分で接客のコツを掴んだ気がします」
「それに引き換え……。林君、全然売れてないじゃん」
「すみません。今日はちょっと調子が悪かったみたいで……」
「そんなの言い訳にならないよ。渡部君がいっぱい売ってくれたからよかったけど、それじゃあ示しがつかないよ」
「はい、すみません……」
渡部は怒られている林を見ながら、憐憫の気持ちと林さんを超えられたという優越感の気持ちがないまぜになっていた。悲しくもあり、嬉しくもあったのだ。渡部は林に声をかける。
「林さん、こういう日もありますよ」
「うん、そうだね」
会話はそれだけで終わってしまったが、林の落ち込み具合は渡部には十分伝わっていた。そんな林に松田が声をかける。
「林さん、調子悪かったみたいですね。僕も全然売れなかったし、おあいこですよ」
「松田君、ありがとう」
やはり林は落ち込んでいる様子で生返事だった。林は閉店時間になり締め作業を行いながらも上の空で、あぶなっかしかった。今にも商品の棚にぶつかりそうだったり、レジの精算も明らかにお金を数えられていなかった。松田と渡部がフォローに入るが、それでもフラフラとしていてどう見ても仕事ができる様子ではなかった。
「林さん、今日は先に帰ってください。松田さんと2人で締めやっておくんで」
「ああ、そう。じゃあよろしく。お疲れ」
林はやはりフラフラとした足取りでAZMAを出ていった。帰り道も車に轢かれないか心配だったが、何もなく何とか帰ることができたようだ。松田と締め作業をしながら林の話になる。
「林さんって頼りになるし、優しいしでいい人だと思うんですが、落ち込みやすいとかあるんですか?」
「林さんも実は入って間もないんだよ。前は芸人をしていたみたいだね。落ち込みやすいって印象はなかったけど、今日は相当落ち込んでいたよね」
「松田さんもそう思いますよね? 実はこの前林さんと飲みに行って、AZMAを辞めたいみたいな話をしていたんですよ。辞めて新しく古着屋を作ろうかなんて話してまして」
「え? そうなの? 辞めたいってのは初めて聞いたな。林さんもいろいろ悩んでいるんだなあ」
「松田さんはAZMAで働いていて悩みとかないんですか?」
「うーん、俺は結構満足してるかな。給料は安いけど、AZMAのセレクトは本当に好みだし、そんな服をお客さんに勧められるから満足してるよ。渡部君はどうなの?」
「僕も辞めたかったですけど、今日隅さんに褒めてもらえて、接客の極意を掴んだ気がして辞めたいって気持ちは吹っ飛びましたね」
「いいね。渡部君は残った方がいいと思うよ」
「どうしてですか?」
「AZMAの雰囲気と合ってると思うんだよね。渡部君は。最初はごり押しだったけど、今は引く技も覚えたし、この店のコンセプトの接客じゃなく提案をするっていうのと合ってると思うんだ」
「そうですかね。ありがとうございます」
2人はそのように林の話をしながら楽しく締め作業をして帰宅した。林の訃報が入ったのは翌日のことだった。
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