シングルラグランコート

 久しぶりに田母神がAZMAを訪れたのは冬のことだった。大きく見た目が変化していた。まず髪型はパーマをかけており、センターパート。服装はウールのスラックスに両Vのスウェット、その上からウールのグレーのラグランのコートを着ていた。色彩的に落ち着いた配色でおしゃれと言っても過言ではなく、本人の雰囲気にもマッチしたおしゃれさだった。早速渡部が声をかける。


「田母神さん、久しぶりですね。しばらく見なかったですがどうしてたんですか?」

「渡部さん、お久しぶりです。いやー、他の店で買い物をするようになってたんですよ」

「あー、それはまたどうして?」

「正直ここの接客が好きじゃないので」


 渡部にピリッとした表情が浮かぶ。渡部は思う。確かに乱暴な接客と思われる節もあったかもしれないが、許容範囲だろう、と。田母神が続ける。


「まあでもここのセレクトは好きなのでまた来ました。アナトミカのシングルラグランコート入ってますか?」

「あ、はい。入ってますよ。狙っている色とかありますか?」

「やっぱりベージュですね」

「今お持ちしますね」


 ベージュのコートを田母神に着せながら、渡部は再び考える。そんなに俺の接客ダメだったか? 押し売りが過ぎたか? と。


「やっぱりいいですね。このコート。着てみるとよくわかります」

「ですよね。僕も持ってますけど、本当にシルエットが格好良くて好きなんですよ」

「他の色も着てみていいですか?」

「もちろんです」


 黒やネイビー、オリーブなどのコートを次々試着していく、田母神。そのどれもが田母神の雰囲気にマッチしていた。渡部は思わずすべて買いましょうと提案したくなるほどだった。田母神が言う。


「どれもいいですね。でもベージュにします」

「田母神さん、それがいいと思います。でも全部いっちゃってもいいんじゃないですか?」

「そういうところが嫌いなんですよ」


 虚を突かれた渡部。しかし、まず湧いてきた感情は怒りだった。


「は? なんですか? 嫌いって」

「だからそういう強引なところが嫌いなんですよ」

「こっちは似合うと思ってるから勧めてるだけですよ」

「いや、それ嘘ですよね? ただ売れればいいと思ってますよね? サイズの合わない服も勧めてくるし」

「俺は田母神さんを思って接客してるんですよ? サイズ合わない服なんて勧めたことないし」

「Outilのバスクシャツがそうでしたよね? あれがジャストサイズなわけないですよね?」

「いやいや、あれがベストサイズで……」

「見苦しいですよ。やっぱりこなきゃよかった。このコートも買うのやめます。もうAZMAには来ません。さようなら」


 田母神はそう言ってコートを渡部に強引に渡しながら背を向けて去っていった。その後ろ姿を見ながら渡部は未だに怒りの感情が収まることはなかった。周りのスタッフがやってくる。


「渡部君、どうしたの? 田母神さん怒ってたけど」

「なんか、AZMAの接客が気に食わないみたいで。もう来ませんとか言われました」

「それは相当だね。でも渡部君の接客確かに強引なところあるよね。サイズ合わない服を勧めるのはやりすぎだよ」

「いや、松田さんもやってるじゃないですか? サイズ合わない服を買わせるの」

「いや、俺はあれがベストだと思ってるし、渡部君ほど強引じゃないよ」

「松田さん、ひどいですよ。自分だけ違うだなんて」

「まあ、AZMAは結構店舗ノルマきついもんな。渡部君も俺も被害者みたいなもんだよ。このことは気にしすぎないで一緒に頑張っていくしかないね」

「はい」


 そうやはりAZMAはオーナーの吾妻のワンマン経営で個人ノルマはないが、店舗ノルマがかなり厳しく設定されている。よって多少なりとも強引な接客をせざるを得ないのが現実なのであった。だからこそスタッフはかなり強引な接客をしなければならなくなるし、多少なりとも接客が乱暴になっていくのであった。このことについては店長の隅もオーナーからかなり厳しく言われており、スタッフたちもトップダウンで従わなければならなかった。それは入ったばかりの渡部と言えども例外ではなく、やはり林から厳しく教育を受けている。なので実はこういったトラブルを各スタッフはそれぞれ1、2回は経験しているのであった。


 渡部は思う。俺の接客が悪いというより、AZMAのノルマがきつすぎるんだよなあ。みんな松田さんが言うように被害者なんだから仕方ないよな。でもだからって田母神の野郎分かった風な口をききやがって、まだお前なんてひよこレベルのファッションなんだからな。俺に意見をするなよ、まったく。


 そう渡部はもともと負けず嫌いでこのような状況にあっても、自分のことをまったく悪いとは考えていなかった。そこはAZMAの問題ではなく渡部の問題なのにそこにまったく気づけていなかった。ここがまだ若い渡部の未熟な部分だった。そこの自分の非礼を認めることができれば、スタッフとしても人間としても成長できるのだがまだ認めることができない渡部。ここを克服することが大事なのであった。


 渡部は気を取り直して接客を再開する。どんどんやってくる客に対して


「着てらっしゃるジャケット、どこのブランドですか? めちゃくちゃカッコいいですね!」

「そちらの商品今日入荷したばかりでサイズ選び放題ですよ!」

「それがお客様のベストサイズだと思います」


 などといつも通りの口から出まかせの接客を続ける。今日の客の反応は冷ややかでなんとなく渡部の田母神への怒りが伝わり、ぎこちなさを生んでいるようだった。


 今日は売れないな。そう思う渡部。こういう日もあるものだと通常であれば思ってある程度妥協するところだが、今月の店舗ノルマが厳しく、頑張らなくてはならない局面だった。接客を失敗するたびに隅や林から厳しい目を向けられる。それにビビりながら接客を頑張るが一向に売れない。どうしたもんか、どうしようか悩んでいるうちに営業時間が終わる。その後、店長の隅に呼び出される。


「渡部君、今日何着売った?」

「えーと、0着です……」

「だめだよね?」

「はい……」

「はいじゃなくてなんで売れなかったの?」

「田母神さんのことが気になってしまって……」

「それは関係ないよね? 他のお客さんは田母神さんじゃないよね?」

「はい……」

「明日は30着は売ってね。今月ノルマきついんだから。売れなかったら買取りな」

「え、それは無理ですよ」

「30着売れないってこと?」

「いや買取りの方です……」

「その言い方だと30着売れるってことだよね? じゃあ大丈夫」

「はい、分かりました……」


 かなり厳しく隅に詰められて渡部は少し参ってしまう。それを見ていた林からフォローが入る。


「渡部君、あまり落ち込まないでね。隅さんもオーナーからあんな感じでいつも詰められているんだよ。だから気にしすぎないで」

「ありがとうございます。でも、ノルマめちゃくちゃきついですよね」

「うん。でもAZMAの服は一流だからそれくらい売れてほしいんだけどね。まあ、ファッション好きな人も減ってきてるしね。仕方ないよな。俺だって転職したいって思うことあるよ」

「林さんも転職考えたことあるんですね」

「うん、入ったばかりの頃やっぱり隅さんに詰められて何回もゲロ吐いたよ。今も辞めたくなることもあるし。渡部君、いっそ一緒に辞めようか?」

「え? 本気ですか?」

「いや、冗談。でも俺もそれくらい悩んでるってこと。辛かったらいつでも言ってね。相談に乗るからさ」

「ありがとうございます。今日、相談に乗って欲しいくらいですよ」

「じゃあ今から行く?」

「行きましょう」

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