70505

 渡部が初めて客をだまして商品を売ってからは、渡部は嘘をつくことにためらいがなくなっていった。合っているサイズがあれば当然それを勧めるが、なかったとしても合わないサイズの服を売るようになった。その時点で客は満足して帰っていくが、そのあとのことは知る由もない。また来てくれる客も当然いるし、来なくなる客もいる。グーグルのレビューで店の評価は☆2.5ほどであまり高いとは言えなかった。詳細な口コミを見ても「サイズの合わない服を売りつけられた」や「店員がごり押しの接客で買い物が楽しくない」などと散々な評価だった。しかし、渡部はその評価は気にしない。どんどんAZMAに染まっていっていた。他の店員、隅、松田、林なども当然ごり押しの接客をするし、渡部はそこに疑問を持つことはなかった。


 そして、ヴィンテージ入荷ウィークがやってきた。事前にブログやインスタライブで宣伝していたこともあって、店は盛況だった。初めての客も来るし、常連の客もたくさん足を運ぶ、そんなイベントだった。そんななか、以前渡部が初めて服を売ることができた島田がやってきた。


「おお、渡部君。こんにちは。ヴィンテージ入荷したんだね。なんかいいのある?」

「こんにちは! 島村さん! いいのいっぱい入ってますよ!」


 そう答えた瞬間、島田は急に口を閉じ、その顔から笑顔が消える。


「私は島田だよ」

「ああ……そうですよね。島田さん!」

「もういいよ」


 そう言って島田はあっという間に帰っていってしまった。渡部はAZMAに入社して初めてショックを受けていた。客の名前を間違えるという初歩的なミスをしてしまったこと、しかもそれが記念すべき初めて売ることができた客だったのだからショックは当然である。他の店員たちもたくさん来ている他の客の接客で渡部のことなど気にしている余裕はなさそうだった。渡部はその思いをかみしめながら他の客の接客に当たる。


「そのバブアーいいですよね! 4つポケで今はもうないタイプのビデイルなんでオススメですよ!」

「そのファイアーマンコートも今は見つからなくなってきていますから、買うなら今がいいですよ!」


 そのように接客をこなしていくが、島田のことが気にかかり、心のこもった接客ができなかった。俺は相当にひどいミスをしたな、結構常連っぽかったのに常連客を失ってしまったのかもななどとうじうじ考えてしまう。しかし、そんな思いを抱えながらでも接客はしなければならない。


「そのスペイお似合いですよ! サイズもばっちりだと思います!」

「そうですか? 身幅がでかすぎると思うんですが」

「でもそれくらいが僕の好みですね!」

「あ、そうですか。私は好みじゃないのでやめておきます」


 とそんなようにお得意のサイズ違いを買わせる方法も通じなかった。どうやら渡部のその接客スタイルが客にばれてきているようなそんな様子であった。しかし、へこたれず渡部は再チャレンジする。


「その70505いいんじゃないですか? サイズも色落ちも最高ですよね!」

「そうですね。サイズも色落ちもいいですね。でも値段がなあ」

「今はそれくらいで買えますけど、将来もっと高くなるんで今がお買い得ですよ!」

「でもデニムジャケットいっぱい持ってるんでやめときます。値段がもう少し安かったら買ってましたけどね」


 そうAZMAは古着もいいものが多いが、やはり状態などを加味して値段は高めの設定だった。服に興味のない人からすると目玉が飛び出るような価格帯なのだ。そのようにヴィンテージ入荷ウィーク初日は大盛況で初日を終えた。渡部は結局一着も売ることができなかった。当然のように林から説教が入る。


「渡部君、なんで売れなかったの?」

「ちょっと常連さんの名前を間違えてしまって、そのお客さんが帰られてしまったんです。それを気にして接客に身が入りませんでした」

「あ、そうなの。でもそれは他のお客さんの接客には影響したらダメだよ」

「はい」

「明日はちゃんと売ってね」


 そのように林から説教を受け、より落ち込む渡部。明日からもヴィンテージ入荷ウィークもやっていけるか少し不安は残るがやっていくしかなかった。


 次の日になり、身が引き締まった渡部。今日は売るぞと強い思いを持ちながら店頭に立つ。そんな中ある一人の客がAZMAを訪れた。見た目は渡部と同じくらいの20代中盤くらいで、黒縁メガネをかけており、髪は坊主頭。服装は黒のポロシャツに細身の色落ちしたデニムを履いていた。靴はニューバランスのグレーのスニーカーを履いており、とてもおしゃれに興味があるようには思えない見た目だった。そんな客に渡部は積極的に声をかけに行く。


「いらっしゃいませ。気になる商品あれば試着できますのでなんでもおっしゃってくださいね」

「あ、ありがとうございます」


 少しおどおどした様子で声も小さかった。渡部はこのままだとこの客は何も買わず出ていってしまうなと思った。逆にお勧めしていけば無理にでも買わせられると思った。渡部は接客を開始する。


「お客様はどういった服が好きなんですか?」

「あ、服のことあまりわからないんです……」

「ああ、そうなんですね。そうしたらこのデニムジャケットはいかがですか? お客様でもおそらく知っていると思うんですが、リーバイスの70年代のデニムジャケットなんですよ。古い物にしては状態もいいし、値段も手ごろなので試着だけでもいかがですか?」

「あ、じゃあ着てみます」


 そう言って客に試着をさせる。奇跡的に客の体格や雰囲気に合っており、サイズもデザインもマッチしていた。渡部は無理やりでも買わせようと思っていたので、ラッキーだと思った。


「お客様よくお似合いですよ! サイズも雰囲気もばっちりですね!」

「あ、本当ですか? 値段いくらですか?」

「税込み5万5千円です」

「え、高いですね……」

「でも古着って高くなっていく一方なので今買わないとどんどん高くなりますよ。10年後には2倍の値段かもしれませんし」

「そうなんですか……。でも予算から超えてるんだよなあ」

「でもよくお似合いなので買って損はさせませんよ」

「ちょっと悩ませてください」


 そう言って客は試着したまま、鏡の前で悩みだす。渡部はこれは押せ押せだなと思い、助け船を出す。


「デニムジャケットって持ってらっしゃいますか?」

「いえ、持ってないです」

「そうしたらデニムジャケットって本当に便利ですよ。春や秋はアウターになりますし、冬はインナーにもなるので3シーズン着れるんですよ。そう考えるとめちゃくちゃコスパいいですよ」

「ああ、そうなんですか。でも値段が……」

「お客さん、おいくつですか?」

「30歳です」

「見た目若いですね。僕は25歳なんですが、同い年くらいかと思いましたよ」

「見た目幼いとはよく言われるんですよね。僕は見た目気を遣ってないで服も何年も同じ服を着ているので、それで幼くみられるのかも」

「でも今日こうして、AZMAに来てファッションを変えようとしているんですよね。いいことじゃないですか!」

「ありがとうございます。確かに変わりたくてここに来たので、このデニムジャケット買います!」

「ありがとうございます! ちなみにお客さんのお名前聞いてもいいですか? 僕は渡部です」

「僕は田母神と言います」

「田母神さん、常連になってください! いっぱいいろいろ話しましょう」

「はい、ぜひ!」


 そんなわけで渡部に田母神という顧客ができた。田母神は正直ダサかったが、これから渡部が手伝っておしゃれにしていこうと思った。渡部はそういうダサい人間をおしゃれにするということがアパレル店員の使命だと考えていたので、この出会いは本当にうれしいと感じていた。林からも褒めてもらうことができた。


「渡部君、やったね。ただ売るだけじゃなく、顧客ができたね」

「はい! ありがとうございます!」


 渡部はその日満足しながら眠ることができた。

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