カバーオール

 次の日の渡部は昨日の歓迎会で言われたように、商品に自信を持って客に勧めていくことができた。しかし、まだまだ空回りしていて思うように商品を売ることができないでいた。林から言葉をかけてもらう。


「渡部君、今日は惜しい感じだね。あと一歩頑張ろう」

「はい、林さん」


 林から言葉をかけられ、気持ちが引き締まる渡部。また一人また一人と客がやってきて、渡部は接客を頑張る。


「こちらの商品は最近入荷したばかりで人気なんですよ。もうお客さんに合うサイズのMサイズはなくなりそうなので、買うなら今がお勧めですよ」

「お客様、よくお似合いですよ! 二色ありますが、おそらく今着ていらっしゃる色が似合うと思います」

「こちらラスト一点なのでこれ逃したら買えませんよ!」


 そのように様々な言葉を客にかけて気を引こうとするが、やはり思うようには売れなかった。今度は松田から声をかけられる。


「渡部君、本当にあと少しという感じだから、あとは時間だと思うなー」

「はい、ありがとうございます」


 そんな松田からの言葉もあってか次の接客はうまくいきそうだった。


 次に店に入ってきた客は、40代くらいの男性で、ベースボールキャップをかぶり、半袖のアロハシャツに淡いグリーンのショーツを履いた客だった。渡部は積極的に声をかける。


「いらっしゃいませ! なにかお探しだったらおっしゃってくださいね」

「ありがとう。実はインスタに載っていたこのカバーオールが欲しくてね……」


 それは昨日入荷したばかりのボンクラのヘリンボーンツイルのカバーオールだった。渡部も個人的に気に入っている商品で、売れ残ったら購入しようかと思っていた商品だった。


「ああ、それなら昨日入荷したばかりなので、全サイズございますよ!」

「あ、ホント? 試着いいかな?」

「はい、もちろんです!」


 そう言って男性を鏡の前に連れていき、その男性客のサイズの40サイズを着てもらう。はたから見てもサイズ感はちょうどだった。


「あ、いいねえ。これ」

「そうですよね。よくお似合いですし、ヘリンボーンが何よりもかっこいいですよね!」

「一応、38サイズと42サイズも試着していいかな?」

「もちろんです!」


 そう言って各サイズを客に着てもらう。渡部としても客としても40がその男性客のベストサイズだった。


「じゃあ、これにするよ」

「ありがとうございます!」

「というか君、最近入った人? 初めましてだよね?」

「あ、そうです! 渡部と言います」

「私は島田。よろしくね」

「島田さん、よろしくお願いします! 実は島田さんが僕から初めて買ってくれたお客さんになります」

「あ、そうなんだ。よかったね」

「はい、ありがとうございます!」


 そんな会話を楽しみながら渡部は感慨に浸っていた。ようやく売ることができた。ついにAZMAの店員になることができたと思い、万々歳の気持ちだった。渡部はレジで会計をしながら島田に話す。


「島田さん、また来てくださいね。ぜひ色々話したいですし、お勧めしたい商品もまだまだあるので」

「うん、わかった。じゃあまた来るね」


 お店の入り口まで島田を見送ると林が言う。


「ようやく売れたね! おめでとう!」

「ありがとうございます!」


 渡部は達成感に満ちていた。これからガンガン売っていくぞという強い気持ちでいっぱいだった。しかし、AZMAは忙しく感慨に浸っている間もあまりなかった。次々と客がやってくる。インスタに商品情報をアップしたばかりだし、土曜日ということもあって店は繁盛していた。また、新たにやってきた客に声をかける渡部。


「いらっしゃいませ。なにかお探しの商品あればおっしゃってくださいね」

「はい、ありがとうございます」


 その客は黄色のポロシャツにベージュのチノパンといういで立ちで、あまりファッションに興味がありそうではなかった。しかし、そんな客だからこそ接客したくなるのが服屋の店員だし、渡部という男だった。渡部はとりあえずその客に話を振ってみる。


「お客さん、今日も暑いですよね。半袖のポロシャツくらいがこの気候にはちょうどいいですよね」

「ですね」


 そこで会話が終わってしまう。渡部はこの客は服にあまり興味がないだろうし、ちょっと服屋を怖いと思っているなと考える。渡部はちょっと話し方を変えてみる。


「お客さん、今日はどんな服を探しに来たんですか? よければお手伝いさせてくださいね」

「はい」


 かなり下手に出たつもりだったが、客の反応は変わらなかった。渡部はあきらめ「なにかあったらおっしゃってください」と言って、その場を去る。その客が店から出ていったのはほんの20秒ほど後のことだった。渡部は残念だな。きっとファッションを変えたくて来たんだろうな。手伝いたかったななどと思う。アパレル店員を長くやっていると、様々な客を接客することになる。服が大好きな客からファッションに興味がない客まで。渡部は特にファッションがわからない客の接客が好きだった。一緒にその人が垢ぬける手伝いをし、実際試着などしたときの表情を見るとこちらもうれしくなるものだ。今回の客はそれが叶わなかったが、またぜひ来てほしいと思うのであった。


 そんなわけでこの日の営業が終わった。結局島田以外の客に売ることはできなかったが、渡部の自信には確実に繋がっていた。その日は家に帰ると放置している自分のInstagramを眺めていた。ショップ店員としてのアカウントなので、商品の紹介のスタイリングなどの投稿をどんどんしていくべきなのだが、しばらく放置していた。しかし、今日はAZMAの店員として初売り上げを上げた記念すべき日なので、ストーリーズを更新することになった。ボンクラのカバーオールを画像に「S様、ありがとうございました!!」とアップした。同じAZMAの店員たちからいいねが届く。渡部はそれに満足すると、その日は眠りについた。


 次の日も日曜日で客足は多かった。今日初めて接客した客はまたしても服に興味がなさそうな30代くらいの男性だった。その男性客は白Tにデニムというシンプルな恰好ながらもサイズ感が少し小さく、身体のラインが出てしまい太って見えるという残念なファッションだった。早速渡部はヒアリングを開始する。


「今日はどんなお洋服をお探しですか?」

「いや、実はファッションがわからなくて……。ファッションを変えたいなと思って来たんですよ」

「そうなんですね。ご予算とかありますか?」

「3万円くらいでなんとかなりませんか?」

「3万ですか……」


 渡部は逡巡する。AZMAで取り扱っている服たちは最低が3万くらいからの価格帯なので正直厳しかった。なので渡部は一着だけ良いシャツを勧めて、それを今の恰好の上に羽織るという提案をしようと考える。


「3万円ですと、正直シャツ一枚くらいになってしまうんですが、このシャツいかがですか? リネン100%で涼しいですし、長袖なので長いシーズン着用できます。夏は袖まくりをして、春、秋はジャケットなどのインナーに。色も白なのでどんな服にも合いますよ!」

「ちょっと着てみていいですか?」

「もちろんです」


 そう言って鏡の前に案内する。男性の雰囲気に似合っていてバランス感も良かった。ただ、もう少し身幅が欲しいのが正直なところだった。渡部は頭の中で在庫状況を思い浮かべる。この上のサイズがジャストだけど、それはもう売り切れだな。しょうがない。このサイズをごり押しして買わせよう。


「お客さん、お似合いですよ! サイズもいい感じですね!」

「そうなんですか? 自分じゃよくわからなくて……」

「お客さんのベストサイズはそのMサイズですね。いかがですか?」

「そんなに勧めてくれるならこれにします」

「ありがとうございます!」


 渡部はこの時AZMAに入って初めて良心の呵責を感じた。

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