キューバシャツ

 そんなことをしていると、店の開店時間がやってきた。先ほど林から聞いた接客スタイルを頭に叩き込み、接客をしようと決意する渡部。早速、本日1人目の客がやってくる。その客はパナマハットをかぶり、半袖の白シャツを着た恰幅の良い男性だった。初めての客だ頑張って接客するぞと思い、その客に話しかけに行く渡部。


「なにかお探しですか?」

「いやー、夏服が欲しくてねえ。半袖の良いシャツがあればほしいななんて思ってるんだよね」

「そうなんですね。そうしましたらこちらのキューバシャツはいかがですか? サイズ感もゆったりしていますし、色も黒なのでなんにでも合わせられますよ」「いいね。試着してみようかな」


 そんな会話をして、鏡の前に客を案内する。客の荷物を預かりながら、試着を手伝う渡部。その男性客に対してそのキューバシャツは少しばかり小さい印象だった。


「うーん、ちょっと小さいかな」

「そうですね……。上のサイズあるか確認しますね」


 そう言って渡部は林に在庫状況を聞く。


「あのシャツはあれがラス一だから、サイズはないよ」

「わかりました」


 男性客にそのシャツがラスト一点だと伝える残念そうに「そっかあ。残念だけど仕方ないね。あのシャツが良かったし、今日は買わないで帰るよ」と言い、店を後にした。


 渡部もいきなりはさすがに売れないよなと思いながらも残念だったと思う。でも接客は悪くなかったはずだと渡部は思っていた。しかし、その様子を見ていた林が渡部に言う。


「渡部君、なんでさっきのお客さんにキューバシャツ売らなかったの?」

「え? サイズがお客様に合っていなかったので……」

「あれくらい許容範囲でしょ。まずは売ることを考えないとダメじゃない」


 林に注意され、渡部は実感としてAZMAに入社したのだなと思い始めた。ゴリゴリの接客、それが今の自分には求められていると強く感じることとなった。


「すみません。次はもっと売れるように接客します」

「うん、注意して」


 少しばかり落ち込んだがそうは言ってられないと思い、渡部は自分に活を入れる。次は絶対売ってやるぞ、そんな強い思いを持ち始めた。すると今度は男女のカップルの客がやってきた。男性の方は、黒の半袖Tシャツにグレーのトラウザー。女性の方は透け感のあるピンクのワンピースを着ていた。早速渡部は声をかけに行く。


「いらっしゃいませ。いい商品入ってますので試着したい商品等あればおっしゃってくださいね」

「ありがとうございます。今日は松田さんいないの?」

「あ、松田いますよ。松田さん!」


 そう渡部が呼びかけると松田が裏口から現れる。それと同時にカップルが「松田さん、こんにちは!」と明るく挨拶をする。松田も嬉しそうな表情を浮かべて「こんにちは! お二人でお買い物いいですね!」などと声をかける。ここは自分が居ても無駄だなと思い、渡部は一歩引く。これが長年勤めた店員と今日から勤める店員の差だなあ、などと考える渡部。林からフォローが入る。


「あのお二方はいつも松田さんが接客しているから気にしなくていいよ。渡部君もガンガン声かけて仲いいお客さん作っていこうね」

「はい」


 松田が接客したカップルは様々な服を試着しながら、松田との会話を楽しんでいた。AZMAはレディースサイズも少しだが取り扱っていて、女性の方もいろいろと試着をしていた。一時間ほど滞在しただろうか。男女それぞれ一着ずつ商品を購入していった。その一時間の間、渡部も何人か接客したが購入に至った客はいなかった。松田の接客を見て渡部は単純にすごいなと思っていた。松田は若くすらりとした好青年で、言葉遣いも丁寧で客に寄りそう接客ができている印象だった。そんな松田と渡部は同い年の24歳。なんでこんなに差があるのだろうと渡部は思った。前のセレクトショップでも常連に対してうまく接客できていなかったと思ってしまう。しかし、それでもまだAZMAで働くのは初日なのだと思い、耐え忍ぶしかなかった。


 結局、初日は1つも商品を売り上げることができなかった渡部。わかりやすく落ち込んでいると店長の隅が話しかけてくれる。


「まあ、初日だから売れなくても仕方ないよ。特にうちは単価高いし、なかなか売れるもんじゃないよ」

「はい、ありがとうございます」

「とりあえず落ち込んでいるかもしれないけど、今日は歓迎会だからみんなで飲みに行こう! 渡部君はお酒は好きなの?」

「ウイスキーは結構好きですね」

「なら良かった。ウイスキーが多い店だから楽しんでもらえると思うよ」


 そう2人で会話をして、隅、松田、林、渡部でお店に向かう。隅が言うように、ウイスキーの多そうないわゆる肉バルの店だった。席に着くと早速お酒を四人それぞれ好きなものを注文する。隅はビール、松田はジンジャエール、林と渡部はハイボールだった。


「あれ松田さんソフトドリンクですか?」


 と渡部が尋ねると松田は気まずそうに


「お酒飲めないんだよね……」


 と返してくる。


「そうなんですね。でも今飲まない人も多いですよね。無粋なこと聞いてすみませんでした」

「渡部君は礼儀正しいし、フォローがうまいね。接客もうまくできそうだね」


 渡部がフォローしたことに対し、隅が褒めてくれる。渡部は少しそんな自分が誇らしかった。しかし、接客がうまくできそうという言葉はやはり今日一日接客して売れなかったため、引っかかりがあった。


「隅さん、やめてくださいよ。今日一着も売れなかったんですから」

「いやでも、話してる感じとか面接の印象を考えると、本当にうまくできそうなんだよなー。林もそう思うよな?」

「そうですね。今日1回売れるチャンスを逃してましたけど、センスは感じますね」

「林さんまで……。困りますね」

「まあ、これからだよ。これから」


 みんなで渡部のフォローを入れてくれる。渡部は温かい職場なんだなと思うことができた。料理も届き始め、お酒が回ってくると4人のファッションの話になる。


「渡部君はどういうファッションが好きなの?」

「コンチネンタルだけどアメリカも感じさせるようなファッションが好きですね。そういう隅さんはどういうファッションが好きなんですか?」

「俺は年取ってからゆとりのある空気を纏うようなファッションが好きかな。もちろんAZMAに取り扱いの多いヨーロッパ系のブランドが多いかな」

「なるほど。松田さんはどういうファッションが好きですか?」

「私は今着ているラペルドのジャケットからわかるように、カジュアルとフォーマルを融合したしっかり感のあるファッションが好きですね」

「すごくよくわかります。林さんは?」

「僕はアメカジがルーツとしてあって、大人のアメカジとかシティボーイファッションが好きかな」


 それぞれのファッションの理解が深まり、有意義な時間だなと渡部は思う。また単純に人のファッションのこだわりを聞くのがファッション好きの渡部にとって楽しかった。次の話題はAZMAの接客スタイルの話になっていく。


「AZMAはねえ、取り扱いブランドとかヴィンテージとか本当に都内でも最高峰だからある程度単価は高いのは仕方ないんだよ。高いけどでも、買ったらお客さんは必ず満足してくれるから自信を持って勧めていかないとダメなんだよ」

「そうですよね。初めてAZMAに来たときは、高いなと正直思いましたけど、物がいいのはわかっていたので思わず買っちゃうんですよね」

「そう。だから渡部君も自信を持って商品を勧めていってほしいな」


 隅、松田、林からそう言われ、渡部は気持ちが入る。そうだよな、物はいいんだから自信を持っていかないとな。その思いを持って、明日から接客頑張ろう。気持ちが新たになる歓迎会だと渡部は思うことができた。


「明日からその思いで接客頑張りますね」

「うん、期待しているよ」


 そうして歓迎会は幕を閉じた。

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