セレクトショップの悪魔

石島時生

ヘリンボーン

「今日からここが俺の職場か……」


 そう一人つぶやく男、渡部薫は決意を新たにしていた。大学在学中から大手セレクトショップでアルバイトをし、そのまま卒業後、アパレル店員としてそのセレクトショップに入社した。高校生のころからファッションが好きで、大学は経済学部だったがファッションへの探求は欠かさなかった。アルバイトで稼いだお金は当然のように服や靴、アクセサリーを買うのにほとんど使っていたし、毎日のようにInstagramをチェックし、流行りや自分好みのファッションを研究し、深化させていた。


 そんな渡部は大学時代から働いていた大手セレクトショップを退職し、こじんまりとしながらも独自のセレクトを行っているセレクトショップAZMAに今日から入社する。転職した理由はシンプルで、今まで勤めていた大手セレクトショップのノルマがきつかったり、渡部自身が気に入っていないような商品もお客さんに勧めねばならなかったのが心苦しいと感じるようになったからだ。その点AZMAはノルマ自体は店舗ノルマのみある形で、個人ノルマに関してはないと面接時に聞いていた。さらに独自のセレクトを行っているAZMAは渡部が訪れて見ている限り、渡部好みの商品しか置いていないと感じていた。AZMAの店員に話を聞いても、AZMAのセレクトに興味を抱いて入社してきた転職組の店員がほとんどで、渡部はその点でも安心できると感じた。


 面接は結構な数の候補者がいたようだが、渡部はAZMAへの入社を勝ち取る形となった。そんな苦労して入社したAZMAで今日から働く。その事実が渡部に期待と不安を確かに感じさせていた。AZMAのあるビルの前に立ち、1度深呼吸したのちにAZMAのある3階へと階段を上がっていく。3階に着くと先輩店員たちが渡部を待ち構えていた。


「ああ、渡部君。今日からよろしくね。知ってると思うけど、俺は店長の隅。よろしく」


 隅は渡部もたまに接客をしてもらっていたので知っていた。ああ、この人が俺の上司になるんだなと思うと、身が引き締まった。隅さんは比較的ゆったりとしたファッションが好みで、前に聞いた話だと年を取って、身体に服を合わせるようになったという。若い頃は服に身体を合わせていたらしいが、気持ちが分かる。


「隅さん、よろしくお願いします」

「うん、他のみんなも知っていると思うけど挨拶して」


 そう隅が声をかけると店内にいた店員2人が集まってくる。1人は丸眼鏡をかけ、初夏だというのにラペルドのジャケットを羽織った短髪の青年で松田という店員だった。もう1人は、アメカジをベースとしているのだろうデニムを履いてヘリンボーンのミリタリージャケットを羽織ったこちらも短髪でベースボールキャップをかぶった男で林という店員だった。


「渡部さん、今日からよろしく」


 松田が言う。続けて林も


「渡部君、今日もおしゃれだね。頑張って仕事覚えていこうね」


 と優しい言葉をかけてくれる。林におしゃれだと言われ少し喜ぶ渡部。渡部の今日のファッションはヴィンテージライクなリネンのトラウザーに、同じくリネンの半袖のラインシャツといういでたちだった。


「まずは知ってるかもしれないけど、この店の取り扱いブランドとか、最近の入荷情報を教えるね」


 そう林に言われ、奥の事務室に連れていかれる渡部。長年通っていたとは言え、事務室という裏の部分は初めて入る渡部。中は6畳ほどの広さで簡素な部屋だという印象だった。


 椅子に腰かける2人。林から説明が始まる。


「うちはヴィンテージ古着と国内外のブランドで古着とも相性の良いようなセレクトをしているんだ。人気のブランドだと最近渡部君も購入したと思うけど、Casey Caseyやsus-sousが人気だね。この2つのブランドはお客さんからも入荷情報とか聞かれるからしっかり覚えてね。後は、来週ヴィンテージ入荷ウィークとしていて、ヴィンテージがどさっと入荷するから、あとで品出ししようね」


 林からの説明はざっくりとそういった内容だった。確かに言われた通り、渡部は最近Casey Caseyの黄色のシャツを購入していた。とにかく色味とシルエットが最高で、気に入っていた。そんな自分のお気に入りの商品をお客さんにこれからどんどん勧めていけると思うと胸が高鳴った。一方sus-sousの方もジャケットとシャツとパンツをそれぞれ1着ずつ所有しており、こちらも自信を持ってお客さんに勧めていけると感じた。


 ブランドだけでなく古着も大好きな渡部にとってはヴィンテージ入荷ウィークも楽しみだった。洋服の入り口が、安いうえに、いいものが多いからという理由で古着だった渡部。自分のルーツともいえる商品たちをレコメンドできていくと思うとやはりわくわくした気持ちになれる。入社してよかったといきなりながらそう思った。林が続ける。


「そしたら開店まであと一時間くらいだから掃除と商品のディスプレイやってみようか」


 そういって2人で店頭に戻る。セレクトしたブランドと古着が混在したディスプレイは独特ながらかっこいいと思える配置だった。まずは掃除からと林に言われたので、まずは掃除機をかけていく。前職の大手セレクトショップでも掃除はしていたので、慣れたものだった。しっかり4隅に対しても掃除機をかけて、埃を見落とさないようにする。まずまずきれいにできたと思う。次にモップで床全体を磨いていく。タイルの感じはピカピカにしてもわからないようなタイルだったがこちらも念入りにモップをかける。ひとまず掃除が終わった。林に報告を行う。


「渡部君、掃除うまいね。じゃあ次はディスプレイ直しておいて」


 林から褒められるとうれしい気持ちになる渡部。林のことは渡部がお客さん時代から尊敬できるなと思っていた。何よりも優しいし、話し好き、世話好きで誰からも頼られるんだろうなと思っていた。そんな林の期待に応えようと一生懸命商品のディスプレイを整頓する。整頓しながらもこの服欲しいなあ、社割あるし買いたいなあとそんなよこしまな気持ちでディスプレイを整えていた。すると林から注意が入る。


「渡部君、ボーっとしてない? ちゃんと集中してやってね。そこの間隔開けすぎだよ」


 林から注意を受けてしまい、ハッとする渡部。憧れの店で働くとこんなこともあるのだなと反省はしつつも、そんな憧れの店で働けるという環境、状況に興奮を覚える。店にある服という服が渡部の理想の詰まった服たちなのだから仕方ないともいえる。しかし、仕事に注意力を欠いてもらっては困るのが社会というものだ。


 林から注意をうけた箇所の服の間隔などディスプレイを整えた渡部。林に何をすればいいか聞きに行く。


「じゃあ、うちの接客スタイルを教えるね。まずうちは物は最高峰だから商品に自信は持っていい。まずこれが第一ね。そしてお客さんをしっかりヒアリングして、好みのスタイルを探る。もちろんお客さんの着ている服を見てね。そしてうちは接客ではなく提案するってのをモットーにしているからそこに注意をして接客してもらえたらいいかな。渡部君の前の職場ではどんな接客だった?」

「前の職場はお客さんが興味を持つまではあまり話しかけないように指導されていました。でも、服が好きそうなお客さんにはがっつり話しかけに行っていました」

「となるとうちとはちょっと違うね。とにかくうちは話しかけて興味を持ってもらうのが大事だから。そこに注意してね」

「はい、わかりました」


 渡部はお客さん時代にAZMAに通っていたことからAZMAの接客スタイルは当然知っていた。少し苦手な接客だなという印象は持っていた。なぜならゴリゴリ買えよアピールをしてくるし、サイズが合っていない服も勧めてくるからだ。そんな接客スタイルは嫌いだが、頑張ってなじんでいこうと渡部は決意した。

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