第5話

「久しぶりね」


 成海さんの声は落ち着いていた。

 髪の毛は十代のころと同じように、肩より少し上で切りそろえられている。年齢的に白髪が混じってもおかしくないのに、きっとしっかりと黒く染めているのだろう。その艶のある真っ黒な髪は、未だに保っている潔癖さの象徴のようだった。

 名前を聞く前に一目見ただけで、彼女なのだと分かった。


「あら。私のこと、覚えてる?」

「少しはね。高三の冬に、誕生日が遅いことでお話したわね」

「あは、嬉しいな。偉い人に覚えてもらえてるなんて。さすが、あの頃から成績良かったもんね」

「…………」


 成海さんは、視線を外しこそしないもののどこか痛みを堪えるような顔をした。

 拘置所の無機質な面会室。

 分厚い透明の板が私と成海さんを隔てている。突然、大臣による聞き取り調査とかいう名目で連れてこられた。大臣というからいったいどんな偉そうなおじさんが来るのかと思いきや、姿を見せたのはかつての面影の残るクラスメイトだった。入ってくる姿を一目見て、彼女だと確信した。


「執行制度に反対したい、強硬手段もやむなしとまで言ってた人が、まさか司法省の大臣だなんてね」


 私の傍には刑務官、彼女の背後にはSPらしき男が立っている。私は周りに聞こえるようにわざと大声でそう言ってみたけれど、彼女は動じることもなく、ゆっくりと目を伏せるだけだった。あのときよりも随分と厚く重くなったメガネのレンズを、太い金のフレームが支えている。


 成海鈴音大臣。司法省のトップ。つまり――私の死刑執行の書面に最終決裁を行う役人。


 対する私は死刑囚22030325―ロ四号。もう、名前すら剥ぎ取られてしまった。

 あとは近日中にバスに乗せられて、椅子に固定されて、注射をされて、皆の一億ポイントになって、焼かれて、おしまい。

 あ、今は増額して一億二千万ポイントだった。


「――あれから、どんな暮らしをしていたの」


 成海さんは言葉を選びながら、ゆっくりと言った。


「知ってるくせに」

「…………そうね」


 死刑執行アプリには、死刑囚の生い立ちと罪状が、固有の名称を伏せたうえで詳細に記される。

 私の場合は――ごく普通のつまらない女が、ある日突然旦那と旦那の浮気相手をめった刺しにして殺害したとでも書かれることだろう。あまりにつまらなくて、きっと、Sポイント目当ての若い子なんかだと流し読みすらしないだろう。


 浮気相手のマンションに警察官が突入してきて、そこからは流れるようにスムーズだった。逮捕されて起訴されて死刑宣告。まだ旦那をいろんな意味で失ってから二週間ほど。


「成海さんこそ、どうしてこんなことに?」


 あのとき、死刑執行のことをきもちわるいって言ってたくせに。私は意地悪く笑って、彼女の顔を覗き込むように身をかがめる。水族館よりも厚いアクリル板の向こうで、彼女は小さく身じろぎをした。


「ちゃんとした方法で司法を変えようと思った。ちゃんと勉強をして、多角的に分析して、いつか影響力を得てから、今の執行制度の功罪を公にしたかった…………、でも、」

「でも?」


「司法省に入って、この立場になって、はっきりと分かったのだけど……現行制度が、一番合理的だったのよ」

「あらまぁ」


 世間話のように相槌をうつ私の顔色をちらりと見やってから、成海さんは続けた。


「――人口の抑制、治安の維持、犯罪防止の啓発、受刑者へ割くコストの削減。

 国民の倫理観の軽薄化や犯罪者の人権軽視をはかりにかけても、釣り合うどころかおつりがくるくらいのメリットがこの制度にあった。反対意見を持つ者ですら、内情を知れば消極的な賛成に転じる程度には。


 何より、人間の精神が、この制度にこれ以上はないというほど合致してしまった――これを進化ととるべきか退行ととるべきかは、私には分からないけれど。

この法制度が人をおかしくしたのではなかった。この制度そのものが、人の変質に合わせて巧妙に作られたものだった。


 ――人間は携帯端末を自分の世界の内側の存在だと無意識化で認識している。内側で起きたことは拒絶しづらい。だから――内側からの頼み事には容易に同意する。

 義憤をくすぐって、携帯端末を少し操作することで正義に加担できる仕組みがあれば、誰もが参加する。それに金銭的なメリットがあれば、なおさらね……」


 口をはさむことなんてできず、私は黙って聞いていることしかできなかった。


「でも、問題点もあるわ。

 財源はともかく――現行の制度では、『どうせ死刑になるのだから』と開き直る輩の凶行に対する抑止力にはなりづらい。それに、やはり命そのものの価値が落ち続けている。

 私はせめて、今のこの制度をできるだけよくしていきたいと思っている」


 彼女の顔は真剣そのものだった。真っ黒な瞳が揺らぐことなく私を見つめている。

 私は、急に息が詰まった。


 この人は、現実と理想の間でちゃんと折り合いをつけたのだ。たとえ着地点は違っていても、有言を実行したのだ。


 ああ、うらやましいな――そう思ったとき、不意に頭が急回転した。この前旦那の鞄から浮気の証拠を見つけて、相手の家を突き止めたときみたいに。包丁を掴んで、とっても簡単に人の命を奪ったときみたいに。


「そういえば、成海さん。もしかして、アプリの死刑執行はあの時から一度もやってないの?」


 一瞬鼻白んだ成海さんは、すぐに落ち着いて静かに返事をする。


「やっていないわ。それに関係者は参加できないことになっているの」

「インサイダーみたいなものなんだね。

 でも、アプリを入れてほしい。私の執行に参加してよ」

「それは……」


 惑う彼女に、私は詰め寄る。息がかかる――もとい、アクリル板に顔がぶつかるくらいの距離まで。そしてマイクに向かって囁きかける。


「一生のお願い」


 少しの間躊躇っていた成海さんは、やがて大きく息をついた。

 肩の力を抜いて、再び私の目を見つめてきた。


「わかった」


 私は達成感を覚えて、にんまりと笑ってしまう。


「うれしいな。成海さんの初めてをもらっちゃうんだ」


 苦笑した成海さんが何か言い返そうとする直前、彼女の背後に立っていた男が身をかがめ、何かを耳打ちしたようだった。

 とたん、彼女の表情が引き締まる。男に二言ほど返事をして、立ち上がった。

 あのときよりもすらりとして、背が高く見えた。


「時間を過ぎていたみたい。もう、行かないと……。 会えてよかった。あの高校三年生のときのこと、話せてよかったわ」

「うん」


 さようなら、と言い残して踵を返す彼女を、私はいつぞやのように呼び止める。


「成海さん」

「……なに?」


「執行、お願いね。それと――私の名前、忘れないで」


 わかったわ。――さん。


 そうして彼女は去り際に私の名を呼んでくれた。きっと、名を呼ばれるのはこれが最後だった。

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