叶うのなら、もう一度

霧谷

✳✳✳

日焼けの痕跡の無い白い肌に、淡々とした声。睫毛に縁取られた眼は不快不愉快その他の感情もどこかに置き忘れてきたような、手を伸ばせば奥底まで転がり落ちる空虚なガラス玉。かんばせは整っているが、そこに一切人間らしい感情は篭っていない。


──俺は椅子に坐す彼に向かって手を伸ばす。一日一度は顔を見に来るが、一度もその目がこちらを捉えた事は無かった。茫洋と宙を見つめる眼を見る度に、喉を締め上げられたような呻き声が漏れる。


「──……」


沈黙に耐えかね床に視線を落とすと、一枚の写真が落ちていることに気付いた。拾い上げて彼に手渡すと、温度の無かった頬がほんの僅かに色づく。


「……姉貴」


……彼は小さく呟いて、写真を胸にやさしく抱いた。


写真の中のたおやかな女性はカメラマンに向けて慈しむような微笑みを向けている。レンズを隔ててもなお隠しきれない家族への愛おしさが滲み出るような、綺麗な微笑みだった。


「──……、……綺麗だな」


俺は一言、たったひとことだけを絞り出しぎりりと奥歯を噛み締める。彼はその相貌に花開くような笑みを浮かべ、俯いて何度も頷いた。皮肉なことにその笑顔は、写真の女性にとてもよく似ている。

──彼女はもう二度と、写真の微笑みを彼に向けてくれることはないのに。


「今年も夏がくる」


「またいつか、姉貴と行きたい」


「この写真を撮った、向日葵畑に」


心の壊れた彼から途切れ途切れに告げられる言葉が俺の胸を抉る。淡々とした声は抑えられた激情を際立たせており、胸の内に黒い悲嘆が渦巻いていることが窺えた。……細く開けられた窓から忍び込んだ微かな風で、カーテンが優しくそよぐ。



硬質な声音に、だんだんと感情の罅が入る。



「……もう一度、夢でもいいから会いたい」


「今の俺を見て、馬鹿だって笑ってくれ、ねえさん」




──彼の頬に、透明な雫が伝う。


「……」


未来を描く事をやめ自らの心を打ち壊してもなお、彼の中の喪失感は消えやしない。この無機質な部屋から連れ出す権利のある手は、俺のこの手じゃない。



捲られることのない古びたカレンダーと彼の心を置いて行き、今年も夏がやってくる。

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叶うのなら、もう一度 霧谷 @168-nHHT

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