「愛は存在するか」について ~定義のお話~
空乃 千尋
第1話
「愛は存在するか」
言うまでもなく、この主語は愛であるが、そもそもこの愛という言葉が何を指しているのか、これを定義しないことには、この問いに対する答えも定まらないのではないかと考えられる(存在についてもまた同様である)。
例えば、貴方の考えるところの愛がAという意味を持つものだとして、私の考えるところの愛がBという意味であったとする。
このときAとBの定義が一致していれば、この二者の間で同じ愛について話をすることが可能であると考えられるが、AとBの定義が異なっていた場合、同じ愛と言う言葉を使いながらも、お互い違うものについて語ることとなり、結果、この二者の間では共通の認識においての答えに辿り着くことが出来なくなると考えられるからである(但し、そもそもお互いに共通の認識を持つことが可能であるかと言うことに関しては大きく議論の余地があるかもしれないが)。
しかしながら、この定義が明確になされないまま、何某かの議論がされているケースは多くあるのではないかと思われる。
例えば、「日本人(或いはアメリカ人、ロシア人、中国人、韓国人など)は……」や、「女性(或いは男性、トランスジェンダーなど)は……」といったワールドワイドな議論であったり、「ライトノベル(或いは大衆文芸、純文学、異世界系、なろう系など)は……」といった身近な議論がある。
その際、これらの主語を語る数多くの方々が、果たして同じ言葉において、同じ定義をもって、話をすることが出来ているのだろうかというと、それはなかなかに難しいことなのではないかと思われる。
というのも、これらの言葉を、誰も彼もが単に辞書的に統一された意味合いのみで語っているのではなく、その人個人の、その言葉の指すところのものに抱くイメージなどの、何某かのバイアスを含んだ意味合いで語っているケースが多くあるからである。
寧ろ、一個人の主張を語る場合、当然ながら、その人個人の思いや考え方に寄った話をすることになるので、バイアスが掛からない意味合いで言葉が使用されることの方が稀であるのかもしれない。
愛は存在する(或いは存在しない)。
日本人は聡明である(或いは愚かである)。
女性は冷遇されている(或いは優遇されている)。
ライトノベルは斬新である(或いは陳腐である)。
度々耳にすることのある主張である気がするが、果たしてこれらの主張において、発言者ごとの言葉の定義は一致しているのであろうか(但し、敢えて定義を曖昧にしたまま語ることによって、解釈の余地を残したり、また作為的に偏った解釈に誘導したりする場合もあると思われるが)。
言葉として同じ発言がなされる際に、発言者ごとに、その言葉において伝えようとしている内容に違いがある場合でも、言葉が同じである(または似通っている)ことによって同一内容の発言であると、一括りにして受け取られてしまうことはあるだろう。
そんな際、発言者の説明が不足しているのか、それとも聴き手の認識が不足しているのか、はたまたその両方か、それともそれ以外の何某かの要因があるのかは、様々であるのだろうが、発言者と聴き手との認識において誤解が生じたまま議論や話が進んでしまっているケースは、少なからず生じているのではないかと思われる。
「愛は存在するか」
愛と言う言葉において、思い描くところのものは、恐らく人によって様々だろう。
しかしながら、この問いにおいて議論がなされるのであるならば、愛とはどういった意味合いのものであるのかを、その議論を行う者たちの間で、まず定義することが必要なのではないかと思われる。
それは、定義を同じくする言葉において、何某かの結論を出すためにもであるが、また、その言葉において何が意味され得るのかを知るためにも、大切なことなのである(但し、お互いに共通の定義を持つということが可能であるのかと言うことに関しては、また議論の余地は大きく残されているかもしれないが)。
「愛は存在するか」について ~定義のお話~ 空乃 千尋 @sorano-chihiro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
とっしーの一言/捨石 帰一
★16 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1,726話
哲学/鏑木レイジ
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 12話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます