傷心の織姫

第37話 編まれる世界

「ねえ、蒼空が蔭った気がするんだけど、伊織が戦艦で逢いに来たかなぁ」


 織姫こと紗那が呟くと、蒼杜鵑は「やはりいちゃついて更に脳味噌を減らしおったな」と厭味を零した。


「昨晩は昨晩! 捕まえに来るなら、戦うし!」

「伊織に味をしめよって」

「ウン......」


 仙人許すまじ。と再び赤面+無言の紗那に向かって蒼杜鵑は低い声を響かせた。


「伊織と喧嘩している場合ではないと言っておるんじゃ」


 蝦蟇は杖をまっすぐに掲げて見せた。


「おぬしの種はかつて女禍と呼ばれたものの片鱗じゃ。でかい禍が天におるのも忘れたか。伊織の蛇を体内にウヨウヨさせるも良いが、どうするつもりだ」


 紗那ははっと天上を見上げた。


 かつての星の船で遭遇した黒い蛇。


 明くる日の伊織との会話が甦った。


〝まっしぐらに天上へ吸い込まれた。黒光する蛇なんて初めて見た。下層から上がって来たんだろうな。どこから来たんだ、あんなの〟

〝大きかったね。あれ、下層から来たのかな〟

〝まさか。あんなデカイ蛇飼う場所なんてないから〟


 紗那はまさか、と蝦蟇を振り返った。


「このセカイの上に、あの黒い蛇がいるっていうの?! だって、近づけないよ」


「目覚めを待っておるんじゃ。彦星の」


「じゃあ、あれは織姫さま? 哀しみの塊ってことだよね。あたしはあの蛇にこの核を届けるが使命だった話になるの?」


「哀しみは制御できん。殷から飛び出した禍は、おまえたちを媒介に、このセカイをも突き抜け、願いを噛み千切って天上におるんじゃ。それだけではない。かつての蓮華の仙人の呪いも増幅しておるし、己に同調もする。――さあ、どうする」


 紗那はふいと視線を戻し、かちりと答えが嵌まる感覚をやっと感じた。


(夜空が編める伊織の能力は、ずっと織姫たちの中で何度も何度も護って来た能力だ。それが何故伊織なのかは分からない)


 ――あの寂しさの蛇を、誰がやっつけるのか。


 答はひとつ、織姫と彦星でしかない。

 願いが叶わずに産み出された哀しみを何とかするも、願いを叶える織姫の役割。


 全ては、あの「女禍」の出現のために伝えられた想いと手段だ。殷虗に染みついた呪いは、意志を持ち、更に天上セカイがバラ撒いた黒の珠のお陰で、地上のねたみは増幅する。ぞっとした。


 この天上セカイの闇をようやく視た気がする。

 この世界の主軸は闇だ。


(伊織はきっと知ったんだ。だから、またあたしを逃がそうとして、自ら汚れ役を買って出た。誰より綺麗で、蝦蟇すら苦手なくせに)


「二人が揃わないようにとは、禍を呼び起こすから……だったんだ……」


(彦星さまの名前は内緒だよ。お名前を出せば、織姫さまが哀しむんだって――)


 天上の呪術に近い願いに縛られたセカイは、地上から上がって来た想いから出来たのだと聞かされたし、信じていた。

 しかし、実際はどうだ。

 負のほうの想いだった。


 地上の呪いを利用して、できたセカイ。だから伊織は「このセカイは美しくなんかない」と告げた。


「でも、いずれあの禍は甦ると思っていた。夜空を編むとは、セカイの願いを編むこと。種を発芽させるとは、愛を形にすること。良く言うだろう。「愛が華開く――」と」


(愛が華開く……)


 紗那は昨晩のアレコレを思い出して、ふふっと笑った。「今度はなんじゃ」と蝦蟇は杖をついて、息を吐き溜めた。


「なんでもなーい。でも、どうして、彦星は――」


 告げたところで、蒼空が眩しく光った。


「織姫星宮塔の方向だ! 来たか、伊織っ!」


 紗那は叫び、ざっと足を開いて見せた。


「あのな、織姫、伊織と戦う暇はないと言ったじゃろ! 聞いておったのか!」

「聞いてたよ! でもねえ、蝦蟇。こういう愛のかたちだってあると思う」


 蝦蟇は萎むように俯いた。紗那は目の前に屈み込んだ。


「そんなに悲観しないでよ。あたしたちは、納得して、喧嘩するんだから」


 紗那は顔を上げて、降り注ぐ光を手で遮った。


「だって一年に一度しか逢えないなんて嫌だから。だから伊織は間違ってない。ちゃんと逢いに来て、からだで、心で伝えてくれた。だからあたしも全力で立ち向かう。終わったら、何か願ってあげるよ。願いは?」


「我の願いだと?」


 ん?と首を傾げて見せる。蝦蟇はようやく顔を上げた。


「バカな織姫が、さっさと素直になって、もっと阿呆な彦星をぶん殴る……いや、ちゃんと支え、天上セカイに華を復活させることじゃ」


「たくさんの、肉」


 両極端の仙人に笑って頷いて、紗那は蒼空を見上げた。


「だからな、伊織のほうと協力するしかないんじゃ。いい加減折れるんじゃ」


(折れる?)言葉に紗那は頬を膨らませた。


「あっちが喧嘩を売ったんだからいや」

「おぬしじゃ! おぬしがレジスタンスなんぞブチ立てるからじゃ。伊織に困らせて欲しいっておぬしが散々困らせておるわ! 伊織はいつだっておぬしを受け止めようとだな!……」


 蒼杜鵑はまたがっくりと首を項垂れさせたが、滔々観念した口調になった。


「天界の再建はおまえの肩に掛かっているんだよ織姫。僕らの願いはそれだけだ。幾星霜も織姫の誕生を繰り返し、心を持つ織姫を、我が種を育てられる織姫を待ち望んだ。一度神の怒りを受けた大地じゃ。少しずつ、進化の針を進めるしかなかったんじゃ。あの蛇は我らの仲間の慣れの果て。地上と交わったせいで堕ちた蓮華の仙人の怨念。地上に裏切りを教えられた仙人の」


「それ、怨念と違う」紗那はきっぱりと告げた。


「交わった愛を邪悪なんて酷いでしょう。天女もきっと……」


 紗那は唇を噛みしめた。

 男女が交わる行為は確かに罪深いだろう。受け止める恐怖もあった。でも、受け止めた彼方には互いの喜びがあって、二人で大胆に超えた壁は二度と立ち塞がらない自信になった。


 それは、二人だけで編み上げたセカイの創世と言えるかも知れない。


 天女だって、きっと。そんなセカイを編み上げて幸せ色に染めたに違いない。


 その片割れが消えてしまったら? 


(聞こえる、殷の王の慟哭が。今も耳奥で聞こえ続けて)紗那は声を詰まらせた。


「天女だって、地上で愛されて、幸せだったはずだよ。多分、相手が消えたことがショックだったんだと思う。あたしだって、伊織が消えたら――」


「先に好きな相手が消えたから――……有限の想いを知らなかったから暴走したというのか」


 紗那は顔を上げた。

 殷の片割れをなくした織姫がどれだけ泣き叫んだか。死しても帝辛は咆吼し、呪場と連動して、負の蛇を呼び起こした。その蛇は、同じ次元の紗那たちを媒介にこのセカイを目指す。


 願いなんか、叶わない。紗那の絶望そのままに。目的はねがいの絶滅だった。


「そうだよ。好きな人に抱かれ続けるって幸せなんだって昨日知ったから。自分だけのセカイに包まれて、安心して眠れる。心が強くなった感じがした。伊織と、わたしはちゃんと好き合ってて、このセカイが好きなんだって。抱き合うって二人でセカイを編み出すことなんだって。それにさ、今日は星迎の日。なら、伊織がわたしに逢いに来てもおかしくない。あのへそ曲がりはまだあたしに好きって言えませんけどね」


 紗那は思い出してクススと声を丸くさせた。


 微睡みと現実の合間で、伊織は何度か紗那に声を掛けようとして、出来ずに困惑していたを知っている。それが嬉しくて、意地悪と思いつつ、寝た素振りを続けた。いつしか頭を撫でられて(あ、誤魔化すな)と思いつつ、幸せに浸って真っ白に落ちた。


 ――未だに伊織は、紗那に好きだと告げていない。あれだけ愛を注いで、それでも言えない。そこが天の邪鬼な伊織らしくて、面白い。


「戦艦での逢瀬が愛と……なんとなく、織姫の核がおぬしを選んだ理由が分かったわ」


 蒼杜鵑は笑いを滲ませた。


「おまえは、周りに左右されん。泣いても、しっかりした眼と、芯のある生き方を知っている。彦星と織姫の大戦争なんて考えたくもないが、それもひとつの愛の形だと言う話なんじゃな?」


 紗那は頷いて、蒼空を見上げた。


「うん、後悔はしないよ」

「絶対じゃな。毒々しい織姫よ。己にも迎えが来た。我らはここまでじゃ。見守るぞ」


 紗那はしっかりと笑顔を向けて、迫り来る戦艦を見上げた。


 さあ、伊織。あたしはここ。でも、捕まえたいのはこっちだから。覚悟して来るがいい。

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