第36話 世界の水音


「織姫星宮塔へ焦点を合わせろ。構わない、閃光弾発射、即時に織姫を捕縛し引き摺り出せ」


 ゴウン。動き始めた戦艦上。伊織は無慈悲にも甲板で片手を挙げたところだった。

 ヴェルドが誇る第1級戦艦。大破させるには少々大きいが、次元細分化に耐えられる船はこれしかなかった。


「いえ、星宮塔に織姫はいない様子です」


(いない? まだ寝てるのか。あの暴れっぷりだったし……いや、こっちもか。制御が効かなかったし、紗那もよく盛り上がって)


 昨晩の行為を思い返して、素に戻った。伊織はぱっぱと腕を頭上で振った。


(あの元気な紗那の話だ。一晩の行為でへたばるとは思えない。それも、よく男の体力についてくる。お陰で予想以上の成果)


なんの成果だ。

伊織は再び手を振った。


「副長官?」


 長官が襲撃されたため、伊織は弟として代理を務めている。しかし、シミュレートのお陰で軍を率いる策略は持ち合わせていた。

 

 つまり、昨日の逢瀬にニヤニヤなどできる立場にはない。そのニヤニヤの原因を捕まえるが本懐。とは建前の騙しだが、まだ、誰も伊織の思惑には気付いていない様子。


 振り返ると、ユグドラシルはちゃんと近くに見える。まるで伊織に従う如くの不思議な木々は少しくすんで見えた。


「織姫発見。彦星の立ち入り禁止エリア」


「立ち入り禁止エリア? ああ、あの殷虗の廃墟か……何やってるんだ」


 ユグドラシルを見つけた荒廃した大地。殷の残した「大犯」の呪場だ。伊織は眼を細めた。


(妲己の言葉を思い出した)


〝愛した想いも、残るのか。妾はそれが知りたいだけじゃ〟


 生きる人々の、愛する人への願いはいつも同じだ。声が聞こえる。ずっと好きな人と過ごしたい。妾は、それだけで幸せだったと。ただ、生きて、愛する。それだけが願いであったと。


 ふと、天上が蔭った。戦いは、近い。


 大きな黒い影がすっと雲の向こうを通過して消える。

(何だ……? 僕に呼応しているのか? それとも....?)


 ユグドラシルに?


 伊織は蒼空を見上げる。みれば紗那も見上げていた。


 もうすぐだ。この世界が壊れるまで。


 この日、全ての天上セカイの生きるものは同時に蒼空を見上げた。


 ……迫る何かの水音を感じ取りながら。

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