第30話 願いの発芽
蛇探し中の紗那は天馬の上で、手を見詰めたところだった。コブになった掌が赤く腫れ上がって来た。「邪魔」と軽く手を振って、天馬で空を回ってみた。
(遠くに織姫星宮塔、蝦蟇の住処の彦星の宮殿、銀河、星の船の発着場。伊織と食事した四阿に、研究施設。充分な広さのある織姫領域ミズガルズ。この高度からでも、願いの巨大水晶ははっきりと見える。それにしても、蛇はどこへ逃げた。下層まで降りるのは危険か)
幼少に眼の前を横切って消えた蛇が、殷の時代から昇ってきた……そもそもこのセカイと地上はどこでリンクする。謎だらけだし、目撃していなければ信じられない。
「でも、昇っていったもんね……遠いセカイに行ってたんだって思うわ……」
では、下層と逆、上層はどうだと紗那は天馬の手綱を引いた。空にはセカイを照らす光だけがある。あの光は一定で見えなくなり、境界線のない銀河一面の夜が来る。
地上にも、大きな光が蒼空に輝いていた。――やはり、似ている気がする。
「ノエラ、この場所が天空で一番高いはずだよね。まだ、上があるのか。ウェルドが管理できてない場所とかあるとは思えないんだけど」
並列して紗那の探索に付き合っていたノエラが馬を寄せてきた。
「あるかも知れないな。天空は広い。願いの珠もどんどん上昇して見えなくなる。ただ、この先は光の大領域、馬では燃えてしまうだろうが……こら、織姫!」
「ちょっとだけ――っ!」
怒鳴って紗那は天馬をぐいと上空に向けた。天馬は難なくスイスイと登ってゆく。昔の翼をつけた男の神話の如く。
(面白い、空が歪曲して一点に集まっているんだ)
地面はなさそうだ。無限の空と光。突き抜けるような眩しさが紗那を襲った。
(あち、こりゃ無理だわ。光と光が繋がっている。あちち)
手を振り上げて、紗那は唖然とした。咲いている。さっきまで蕾だった種は大きな薔薇を手の中に咲かせていた。
「なんであたしの手で咲くんだ……でも、綺麗……」
一瞬伊織に見せたい、ともう叶わぬ夢を想い描いた。
〝伊織〟
まるで呪文の如く、心が洗練されていく感じ。
古代セカイでキスしたこと、覚えてる?
――なんで今頃、気付くんだろう。
あのゾクゾクは伊織を感じた感触で、初めてわたしの中に伊織が触れたからこそで。
もっと触れていたかった。触れれば壊れそうで、臆病になったんだ。だってキスだけでも倒れそうなくらい――……。
「きみの心の叫びはなまなましい」
ぼすっと天馬に重みを感じた。気付けば蒼杜鵑が横座りになってちゃっかり乗っていた。
「いつもどっから来るんだよ、蝦蟇。あれ? 珍しいね。仙人姿? 蒼杜鵑」
「口の減らない織姫。我らは仙人だ。どこからでも来られるし、発芽と開花とあっては、寝ても居られんだろ。赤い薔薇、古代では紅月季と呼ぶ。織姫。ようやく、伊織への愛を自覚したんだな」
伊織への愛。負けない言葉の生々しさに、紗那は(んげ)と思いながらも否定し、項垂れた。
「否定できません……今頃と笑えばいいよ」
蒼杜鵑はふわりと浮いて、紗那の薔薇を懐かしそうに見詰めていた。
「我らは巧妙に織姫と彦星の始祖の遺伝子の種を少しずつ、少しずつ混ぜ込んで来た。いつか、地上で奪われた華仙界を取り返せると信じて、同志を取り戻すために」
「訊いたことないよ。そのセカイ。殷にもなかった」
「遠き時代の話だ。殷など、まだ近代のほうじゃ。植物しかなかった時代。人はおらず、植物を冠する我ら仙人が降り立った。動物が生まれ、知恵を持った人々が現れるまで――」
蒼杜鵑はひょいと一つの願いの珠を差し出した。綺麗な碧色の輝きを纏っているが、オレンジの光も発している。プリズム色のねがいの宝珠。
「綺麗」
「おぬしの心が育つを信じておった。伊織の放り投げた願いの珠。ウェルドがおぬしの記憶を消した時、一緒に弾け飛んだ。伊織への愛を自覚されて、早々に発芽は困るからだろうな。今こそ、返そう。知るがいい。伊織のねがいを」
――忘れていた奥底の想い出。
伊織の願いは此処にある。
掌に包まれた銀色の珠を紗那は光に翳した。
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