第28話 彦星の一族②
***
二人きりで歩いても充分に広い、無機質の回廊は徐に天井が高くなった。
「研究施設七〇九だ。天上セカイにはいくつもの研究施設――ラボ――があるが、七〇九は一番大きく、その研究も多岐に渡っている。王紗那の持つ織姫の核。あれを持つ織姫は単為生殖では産まれやしなかった。もう一つ、織姫もどきにはやらねばならぬ役割がある。こっちだ、伊織」
(織姫の本当の役割? ……願いを叶えるだけでなく?)
恐らくその役割こそが、紗那を選ばせ、生かした理由だ。だが、それはなんだ?
たくさんの気配がする。
伊織はやがて見えて来た風景に言葉を喪い、口元を覆うしかなかった。兄の声が冷淡に響く。
「流石に驚いたか。これから織姫としての教育を受ける単体たちだ」
同じ顔、同じ声。同じ態度。伊織は言葉を無くしたまま、コピーライトの裸体の朗らかに微笑みを向ける少女たち。ここは織姫の牧場だった。コントロールされ、至上の空間で健やかに育った織姫だけが願いの珠を処理する任務につく。核のない織姫たちが願いを処理していたとは――。
「織姫とは、何なんだ……」
千織は言葉を噤んだ後、軍人らしく爪先を素早く向けた。
「受精の失敗作はある。《失敗作は性別を変え、セカイに放り出す》か、解剖され、卵子を取り出され、リユースされる。織姫たる能力は夜空を編むらしいが」
《失敗作は性別を変え、セカイに放り出す》言葉は誰よりも伊織の心を揺さぶり始めた。
「まさか……」
一度だけ紗那に見せた、夜空が編める不思議な特技。明け方に毛布にくるまって、空気が澄むを待ち、両腕を天に伸ばした。確かあれは――。
〝覚えていない。記憶がない〟
記憶が飛んでいる。(まさかだろう)と相変わらず唖然とした伊織に、抑揚のない声で、千織は告げた。
「最後の部屋だ。その失敗作の末路だな」
最奥の部屋は重厚かつ重そうな扉で、完全に外部を遮断していた。精神異常者でもいるのだろうか? 中には入れないらしく、除き窓から覗くシステムらしい。伊織はそっと窓を覗き、身を引いた。
とうとう胃液が込み上げた。扉に縋って、嘔吐した口を覆った。背後で無機質な声が変わらず響く。
「さあ、こちらのカードは全て見せた。ここが「黒の光珠」の処分場だ」
(混乱している。
受精のない卵子。女禍。失敗作……
《失敗作は性別を変え、セカイに放り出す》
……織姫たる能力は夜空を編む)
「伊織」伊織は扉を両手で叩いた。兄が無表情でいられる理由が分かった。この残酷な真実の前で、自分を超えるには、無表情にならざるを得なかったのだと。
(そうだ。僕らはどこから来て、どうやって生きているか、ずっと疑問だった。僕も、すべての天上人は全て織姫の出来損ないから産まれていたんだ)
僕は、織姫の出来損ないだった――……。
寂しさははけ口を探し、彷徨う様はまるで蛇が蠢く如く。出来損ないの織姫。それが、このセカイの男で、「彦星因子」を持たないように、影響がないように遠ざけられ、逢瀬の許可が与えられられたが「星迎の夜」。
「このセカイはとうに織姫という悪の存在の手の中だという話だ。女禍たる運命だな」
いつになく優しい兄の声も慰めにもならない。真実はあまりにも虚構で、残酷だ。
「僕と紗那が見た織姫同士の殺害は何だったんだ……」
「核を持った織姫が突然変異で産まれた。彦星のいないセカイで彦星を求め、暴走する前に消さねばと単体を向かわせた。このセカイでは、織姫と彦星は同時に存在してはならないとされている。昔から言い伝えられた禁忌だ。しかし、稀にルールを破って逢瀬を繰り返す男女がいる。だから、管理社会にするしかなかったのだろう。地上の願いを我がセカイが処理しなければ、地上は希望を無くすだろう」
〝核を持った織姫が、彦星のいないセカイで彦星を求め、暴走する前に〟
やるせない事実に、伊織は項垂れた。
「でも、僕は紗那に逢いたい。ずっと一緒に過ごしたい。責任取るから――」
きみに逢いたいよ。
伊織は清んだ目で千織に告げ、撃鉄に指をかけた。千織との会話は時間の錯覚を呼び起こす。
「もしも、本当にユグドラシルに認められるなら、織姫の呪縛を断ち切れるなら。紗那といつでも在るために、セカイを壊せるのなら、喜んで悪になる。大切な兄に手を掛ける。これ以上の悪はないだろうから」
千織を撃った。千織は衝撃で壁に背中を打ちつけて、ズズ……と床に伸びた。
「殺しはしない。それでは紗那に嫌われてしまうからな……目覚めるかは分からないけれど」
兄は意識を失った様子だ。大股で跨いで、三枚目の絵の前に立つと、伊織はもどかしさに任せて幕を鷲づかみにして引いた。視界に飛び込んで来た絵にしばし呆然となる。
「これは……これが、本当のセカイか」
(ずっと考えていた。叶えられない願いの行く末はどうなるのかと……これが、答……。だが、これが本当のセカイならば)
妲己の言葉が胸に刺さる。
〝愛した想いも、残るのか。妾はそれが知りたいだけじゃ〟
違う。生きる人々の、愛する人への願いはいつも同じだ。今し方の兄との会話を反芻した。
こんなものは...忘れるしかない。
部屋を出た。
「長官のように死にたくなければ僕に従え!」
(ユグドラシルがゆっくりと現れて木々を僕に伸ばしてくる。まるで語りかけるようにして)
兄が既に手を回していたことは知っていた。
「僕が終わらせてやるよ。織姫核も彦星の一族も」
こんなセカイはもう要らない。それで充分だろう。ユグドラシルーーー。
僕はきみに逢いたいよ...誰の想いがそうさせるのかは分からないが。
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