第23話 心の距離
「こっちだよ、伊織、一緒に食事しよ」
紗那は羽衣をふよふよ纏いながら、銀河の橋に伊織を誘った。どちらにしても、ウェルドに敵対している織姫騎士団(紗那命名)の中に、伊織を置いておくよりはいいと思ったのである。
「銀河のほとりでデートか。いいね」
伊織の視線から逃げるように、紗那はあたふたと観光案内口調になった。
「あっちが、織姫の船の埠頭。で、虹の橋か、良く来たよな」
伊織がすっと銀河の果てを指した。空は星々が輝きだし、銀河からも願いが溢れる。まるで宇宙に浮かんでいるような、そんな光の洪水に眼を細めた。
「笹の葉で船、浮かべてみようか。沈まないようにして」
伊織は足を止めると、一際大きな笹の前で考え込み、三枚の葉をそっともぎとると器用に船を作ってみせた。
銀河の流れに揺れる笹舟をしゃがんで一緒に船を見送る。掌ほどの船はゆっくりと、銀河を下って、流れて行った。
「これで、こいつが流れて来たら、この銀河はぐるりと一周している流れになるね」
星の砂を踏みしめて、二人は手を繋ぎ、七色銀河海をひたすら歩いた。
言葉なんか要らない。一緒にいる空気はユグドラシルの美しさを思わせたから。
(うん、この空気が好きなんだ)
伊織とずっと。
それが叶わぬ夢だとしても。
***
四阿に戻ると、ずらりとヴァルキュリーたちが並んで紗那と伊織を待っていた。
「武器を全てお渡し願います。楚伊織」
伊織は息を吐くと、携帯していた剣や機械、薬や手錠全てを地面に投げた。数々に驚く紗那に、伊織は肩を竦めた。
「一応、黄泉太宰府の警察機構だから常備してるさ。普段は歴史の監理をしている。おっと、機密についてはきみにも話せないから勘弁して」
包のかたちをした天蓋からは、白いレースがかけられ、二人だけの食事が銀のテーブルに並んでいた。和気藹々とは行かない。相手はいまや紗那の天敵の黄泉太宰府の関係者だ。
騎士たちも神経を尖らせて当たり前。これでは、デートじゃない。会談だ。
なんか、違う。しかし伊織は疑問すら見せず、テーブルについて「ありがとう」などと頭を下げている。
ま、いいか。と紗那も座った。
「妲己さんが、好きだったんだよね。わたしも帝辛さまが好きだったから、お互い様」
言い返して、鋭い眼にぶつかる。
――なんなんだよ。一気に不愉快。むすっと頬を片方膨らませた紗那に伊織は微笑んだ。
「僕らは大人になったと思ってた。しかし、どんなに気取っても無駄だ。止めようか。コース料理なら付き合う。その後は茶番から抜けさせて貰うか」
会話が止んだ。やはり伊織も窮屈だったのだとほっとして食事に勤しんだ。伊織は気に入った様子でスープの鍋に手を伸ばした。
天上料理のフルコースは、「前菜」→「湯」→「主菜」→「主食」→「点心」と続くが、伊織は次々と平らげてしまった後で、じいっと連下を咥えた紗那を見詰めている。
「デザートはきみを独占がいいかな」
紗那の心が一瞬で凍った。凍ったと思うと、沸騰する。この男はニコニコと何を言い出すのかと、あたふたと食器を鳴らした。
「黄泉太宰府とやり合うつもりとはね、そこまでしてセカイを欲しがっていたとは」
「伊織を取り返すためだよ」
本心を告げた時、時が一瞬止まったようだった。伊織の指が震えている。
「ガキの我が儘」伊織は吐き捨てて、「そりゃ、僕か」と項垂れた。雰囲気が曇り始めた。
お茶を差し出すと、今度は紗那の背中に揺れる羽衣に興味を示し始めた。
「すっかり天女だね。妲己さんを思い出す」
しっかりと報復して、美味しそうにお茶をすすった。
(ガキのワガママ……ああそうですか! でも、ウェルドが在る限り、あんたはずっと囚われる。織姫が実権を持てば変わると思って……)
「もうちょっと先に珊瑚の波止場があったね。逢い引きに良さそうだと思わない?」
終始こんな調子で、振り回されてたまるものか。
もう妲己にも、織姫にも負けない自信がある。
「その逢い引きとやら、引き受けてみるよ。負けないから」
「そうじゃない」と伊織が頭を抱えた。
***
伊織は銀河の手前で足を止めた。
埠頭だ。銀河への途が途切れて、蒼空に続く。
「古代中国、覚えているか」
伊織はまた眉を下げて、考え始める。銀河海の漣が間をすり抜けるように響いて消えた。
「紗那、おかしいと思わないか? 僕らの容姿は殷の人々にそっくりだ。では、仙人や神さまはどこへ消えた。ウェルドも謎だらけだ。紗那ちゃん、心の眼は? ユグドラシル見えてる?」
紗那は首を振った。どんなに修練を繰り返しても、伊織にももうユグドラシルは見えない。それが大人になったという証拠だろう。少し、寂しい。
「あの美しい木、もう一度見たいんだけどね。無理だな」
岩場に出ると銀河は一際太くなり、対岸が見えない。紗那と河原に座り込んだ。
「覚えている? 殷の時代に蛇が解き放たれた。次元を超えて、この天界のどこかにいるはずなんだよ。僕はあの蛇こそが、このセカイの本体ではないかと思うんだ。古代中国とここの繋がりは見つけた。それが」
伊織は紗那の手を持ち上げた。
「織姫が残したこの刻印だ。遙か昔には〝女禍〟と呼ばれたどうやら種子。僕らは古代の夏王期に織姫と彦星がいたことを突き止め、そこで、役目は終わった」
波が、図を攫って行った。
「つまり、古代歴史は織姫と彦星が存在する理由が見つけられるチャンスだった。必ずあるはずなんだ。このセカイの絡繰りが」
んー、と紗那は眉をしかめ、「簡単じゃん」とひらめきの顔になった。
「蛇、見つけりゃ終わる。大きな勘違いしたんだよね? 織姫と彦星が人間とは限らないよ。なんとなくだけど、もう間違ったら終わりな気がする」
「簡単に言うけど」
「伊織はぐちゃぐちゃ考えすぎるんだよ」
紗那はまた頬を片方膨らませ、ぽんと伊織を叩いた。
――ちょっと違うが、まあいい。紗那が笑顔でいるのなら。
ドサクサ紛れに細い腰を抱き、引き寄せたところで、紗那が「んげ!」と大層織姫らしい(厭味)声を漏らした。銀河の表面にボコボコと珠が溢れて、トビウオのように跳び跳ね始めている。
「願いが溢れて来た! 伊織、仕事溜まってる!」
「手伝おうか。珠なら多分まだ掬えるし」
「それはあたしの仕事だし! あ、伊織がくれた安全、ちゃんと分かってるから!」
「残念だ。よい口実でそばに居られたのに」
「戻るよ。織姫さま。僕も仕事が溜まっているし、この時期は最下層も酷いんでね」
「あ、うん。元気で。伊織。ふえええ、こりゃ徹夜だ……」
苦手だった願いの珠掬いも、なんとか会得したらしい。黒馬で舞い上がった伊織は、銀河の側でわさわさと珠を抱える紗那を見下ろした。愛しさと憎しみは紙一重。まさに今の心境だ。
――伊織を取り返したいが為に黄泉太宰府に喧嘩を売った?
「そんなバカなことを考えるのは、きみくらいだよ。嬉しがると思うか。それなら、僕は……」
多分。こんな風に逢えるのは今夜が最期だ。
君との心の距離は離れつつあるのだろう。
(でも、何としても、きみに関わっていたいから、僕はこのセカイを敵に回す)
「元気で、紗那ちゃん。セカイを手に出来るのは僕かきみか。織姫彦星大戦がしたいなら、きみの遊びに付き合ってあげるよ。行くぞ、最下層、ウェルドへ!」
黒翼を翻した神馬は天の河の上空を駆けて見上げる暇もなく消えた。
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