第20話 大人になる傷心の織姫
「おっと」
こちらは織姫騎士団本部・星宮塔。織姫こと織姫(ヴァル)騎士団(キュリー)総帥の紗那はボツボツ浮かんでくる金の珠を一つ、受け止めたところだった。
落とさないよう、両手で珠を浮かせ、水晶の前に立つ。レジスタンスを宣言しても、願いを処理するは織姫の存在意義だと叱られて、それもそうかと日々邁進している。
(お願い、多すぎ。本当に叶うと思ってんの? 織姫は彦星に振られましたよーだ)
「はいはい、はいはい。えーと……織姫が命ず……彼の……かの……」
紗那はコリコリと額を指で掻いた。確か願いの珠を水晶に入れるための文言があったが、忘れている。伊織が居れば、「バカだね、紗那ちゃん」と代わりに唱えてくれるはずだが。
「行け、ほい。願いは叶うって! だいじょうぶ、大丈夫」
(ホラ、願いの珠はきちんと、フワ~と水晶の中に溶け込んでいった)
ほ、と胸を撫で擦ったところで、騎士の礼儀正しい足音がした。
(げ、適当に放り込んだの、ノエラに見られた!)
「織姫」紗那のお目付のヴァルキュリー騎士団長、ノエラである。身長は高く、一見男のようだが、織姫騎士団(紗那・命名)に男子はいない。
紗那はさっと両耳を塞いだ。怒号が降った。
「貴女はどうして詠唱文言を覚えない! ほい、で願いを投げる織姫がどこにいるんだ!」
耳元で怒鳴られて、紗那はしぶしぶ両手を外した。
「あんな長い詠唱! なんか、判明した? ノエラ」
ノエラは首を振った。ノエラ率いるヴァルキュリーと、伊織の所属するウェルドは犬猿の仲だ。紗那は織姫を襲名して、まずは織姫の為すべき役割を学んだ。織姫は願いを唯一受け取れる媒体で、セカイの調和を取る電波塔みたいなものだ。織姫が地上の願いを受け取らなかったら、願いの珠はやがて弾けて消えてしまう。願いを叶えられない人が増えれば、地上からは今度は不満の塊の黒珠が増えてくる。希望と絶望の水道管のようなものか。円滑にセカイを回す潤滑油のようなものか。
(あー、窮屈!)紗那はチラ、と願いの詰まった水晶を睨んだ。
――昔からこれ、嫌い。
伊織と別れた時も、この水晶の前だった。織姫が死んだ時も、この水晶が見えた。願いの魂が泳いでいる。水槽にすし詰めになったメダカみたいだ。何だか不気味な青い珠に見えて来て、紗那は背中を向けた。
何が願いだ。伊織に振られたんだ、あたしは。
考えた末に、思いついた。織姫となった以上は、権力を示さなければいけない。伊織への面当てでもあるが、その内心はおいて置いて。伊織の台詞は思い出しても腹立たしい。
『きみはね、織姫として、織姫星宮塔で、さながら王女のように僕を待っていればいい。過激な兄弟喧嘩してやるさ。勿論、気が向いたら、逢いに行く』
――あんたの未来を不意にしたあんたへの報いは、ぶつけてやるからね!
こうして織姫騎士団は高らかに独立を宣言した。領域は日々、拡大している。
黄泉太宰府に管理なんかさせるものか。紗那のねがいそのままに。
***
「ノエラ~。お願い、増えてない?」
「地上が希望を欲しがってるんだよ。最下層では黒の珠が大量繁殖してるだろうね。また戦いでも始まったかな。伊織も加わっていたりして」
黒い袋を持って、どぶさらいする伊織を想像したが。似合わない。
「願いごとがいっぱい。希望と絶望は常にある。寄り添い合ってるって言ってもね!」
ノエラはかつっと踵を逢わせると、白銀の冑を腰元に抱え、庭園を去った。伸びたオレンジの髪は獅子のようだ。
紗那は眼を凝らした。織姫の宮殿のバルコニーに、願いの珠が引っかかっている。がっくりと背中を丸めた。
「拾い残し。可哀想だし、ちゃんと拾って願いを流すか。また大目玉」
紗那はたたっと駆け出した。
(禊ぎでしか使わない古い塔。なつかしい。伊織が「織姫ノゾキ」を思いつき、アタシを連れて、螺旋階段を駆け上がったんだった。そこにいま、あたしがいるなんて……)
もう十年以上も前になるか。織姫が織姫を惨殺し、逃げた超歴史的殺人事件(伊織・談)。ここで、彦星への想い――核を受け取った。
その後は、仙人たちに出会い、古代中国で――。
(楽しかったな。あたし、初めて伊織とキスして。月夜の中で、すごく興奮して)
ちら、と紗那は自分の胸元を引っ張って、二つの双丘を覗き込んだ。まずまずは育っているが、伊織が悦んで顔を埋めるにはほど遠い。その前に、別れを切り出した事項をしっかりと土下座させてやらないと気が済まないが。
「せま……っ。あたしたちが小さかったんだな」
螺旋階段は巻き貝のように渦を巻いている。上がれば上がるほど狭くなった。
「ぬぬ……」と腰を屈めて登って、足で扉を蹴り開けると、冷えた風と光が待ちくたびれた風情で飛び込んで来た。
「ウワァ、気持ちいー!」
アーチ型のバルコニーで紗那は思い切り空気を吸い込んだ。
目下拡がるは天上セカイミズガルズ。遠くまで見渡せるほど、空気は澄んでいる。蛇行した銀河は願いの珠に溢れ、空は白銀の雫を垂らして輝く無機質で、美しい天上セカイ。
(やっぱ、欲しいな……レジスタンス始めたけど、どうすりゃ勝てるのかな)
ウェルドをやっつけないと、伊織は取り返せない。あの頑固な男は、絶対に自分の信念など曲げやしない。ならば居場所を奪って引き摺り出す方法が一番だ。まどろっしくないし。
「総攻撃……? それもなー……あっちがどのくらい強いかも分からないし」
沸々と野望が滾る紗那の横にぬっと蝦蟇の顔が割り行った。
「総攻撃だと?! 野蛮じゃ、野蛮!」
「ぎゃあ! 蝦蟇!」
「おっと」バルコニーから滑り落ちた紗那を尖り爪が受け止めた。
「おい、蒼杜鵑。織姫脅かして、落としてどーすんだア! あ、や、やァ、き、綺麗になっ……。
元気?」
人見知り仙人蛟龍貴人の瞳がじいっと紗那を見下ろしている。
「蒼杜鵑、貴人……!」
蝦蟇こと蒼杜鵑、蛟龍貴人。仙人二人とは、殷の事件以来出逢っていなかった。懐かしさで涙が零れそうになった。同時に、封印した伊織との日々の凍結も解けて行く。
(伊織....寂しいよ)
はらはらと泣いたはいつぶりか。二人の仙人は全てを見通した表情で、泣きじゃくり始めた困惑しつつ微笑んだ。大人になんかなっていないとサナは泣き笑いするのだったーーー。
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