天空のレジスタンス
第19話 大人になる傷心の彦星
『今より織姫はひとつの勢力となる。星宮塔を破壊されたくなかったら速やかにこのセカイの機密を開示せよ』
織姫よりの悪夢の声明である。
*1*
お久しぶり。僕は伊織。
ウェルド内の特務歴史管理課に配属された。歴史になど興味はなかったが、紗那を護る為、未来を捨てた。今の僕にはうってつけだ。古代中国から飛び立った黒い蛇はどこかに潜んでいるはずで、だが、僕には目的ができた。それは――。
***
伊織は改めて周りを見回した。黄泉太宰府の本部は黒光りする大きな建物で、周辺には黒の珠を拾い続ける囚人達が徘徊している。天上セカイの暗部組織でもある。ここは天上セカイの最下部。ミズガルズ・シヴォルと呼ばれる場所で、天上の織姫の領域――紗那の活動している織姫騎士団の真下に位置する。願いの黒珠の廃棄場だ。
シヴォルとは子宮(シヴァル)の意味だ。制服は漆黒に赤のラインが入った詰め襟で、気楽な白衣と違って肩が凝った。おまけに静まり返っている館内には、機械音しか響かない。
(紗那と別れて数年……立派に織姫やっていると思いきや……思い出すと笑いが止まらない)
伊織は突如駆け巡った悪夢のニュースを思い出し、苦虫を噛み潰した心境のあとで、笑った。
『織姫騎士団』なる設立声明が届いた瞬間、天上セカイは震撼した。多分、紗那の無鉄砲に、あの冷静なノエラが協力したのだろう。いまや、憧れの織姫は『レジスタンス』組織に成り代わっていると言う現状。それも、ウェルドの支配を殺ぐ勢いで権力と領域を伸ばしている。
元々織姫に憧れる女子や男子は多い。一年に一度の逢瀬制度こそ護っているが、研究施設への権限まで、紗那は手にしようとしている様子だ。
「あーっはっは。それでこそ、俺の織姫だよ。蒼白した兄貴の顔、見せてやりたかったよ」
かつての暴れ織姫、無敵の紗那を思い浮かべた。
(あの瞬間は昨日のように思い出せる。僕が紗那の手を離した瞬間)
『……潮時か。お別れだ、紗那ちゃん』
(……お別れ、なんて言葉を出したくはなかったな。でも、織姫になれば、君は生きられる)
(ねがいなど誰よりも信じなかったきみが、ねがいを叶える織姫役か。セカイはこんなにも皮肉だ)
ウェルドに忠誠を誓ったおかげで、紗那の監視はされているものの、自由が保障されている様子だから、あの別れも無駄ではなかった。
(兄の僕への溺愛は知っている。ならばそのキッショい愛を利用するまで。
何だかんだで兄は僕には甘いからな)
――というより、僕もこれ以上手を拱いているわけにはいかなくなったよ。
廊下にある監視カメラの死角に入り込むと、襟元のタグを外して、指抜けの手袋をきゅっと嵌めた。
天上セカイ用に作られたハーレに跨がると、伊織は颯爽と大通りから最下層を抜けた。
最下層を抜けると、途端に大気はきらきらと粒子の如く輝き始める。第三層まで辿り着けば、もうすぐ願いの光珠がちらちらと粉雪のように見えるだろう。
振り仰いだ空はいつになく金色の珠で埋め尽くされていた。銀と蒼の光は懐かしき、七色銀河海の星迎のシーズンの始まりの兆しだ。
(僕らはお互い、大人になった。もう、七色銀河海で珠を掬うことはない。星の船にも乗れはしない。拾えずに大暴れする幼い織姫モドキには、二度と逢えない。大好きだった僕の織姫――……なんてこの僕が諦めると思ったら大間違いだ)
紅月季の紋章を潸然と輝かせた伊織のハーレは無音で、黒翼馬の養育所に辿り着いた。
黒翼馬に伊織が跨がると、馬は察して翼を大きく広げ、大空に飛翔する。みるみるウェルドが遠くなる。ここからは天上セカイ。天馬でないと移動がしにくくなる。
今日は七夕前夜。星迎奇譚の前の夜ーーー
伊織は強く眼を閉じた。天馬が空中を突っ切って走る。願いの光珠は変わらず美しい。願いは光だ。珠の中に、どんな願いが込められているだろう。願わくば。僕が勝手に紗那に逢ってもいいだろう、神さま――。
***
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