第18話 元ある世界へ
(その後の情景は言葉では言いにくいな。僕らはユグドラシルの大いなる流れの中にいた。大いなる、としか言い様がない生命のエネルギーの中に)
伊織は紗那の腕を引き、黄金の時空の流れに身を任せていた。光の束はうねり、波のように穿っては、様々な世界を流し、白銀の白波を立たせては過ぎる。
(織姫が堕とされたのではない。元々の天災・禍が女禍と呼ばれ、やがては織姫と称されたのかも知れない。彦星についてはやはり、謎が多すぎたが、いずれ、繋がるだろう)
「僕らのセカイでは輝かしい織姫は、地上では禍と呼ばれていたんだ...」
伊織は金の波に揺らされて、眼を閉じた。ユグドラシルの時空は太陽が溢れているのかというほどに、黄金の嵐だった。
「禍転じて福と為す。この禍を織姫としたなら……」
時空は丸まった紙のように始まりも終わりもない永遠の柵で覆われた、様々な時代のセカイが過ぎて行く。まるで歴史の縮小図だ。
ふわり、と伊織は紗那の細い腰を抱き、流れの中を泳ぎだしたが、内心穏やかではない。
伊織は一度だけ遠くなった殷のセカイを振り返った。
――いつでも、織姫は彦星を求める、か……。
(織姫と彦星はいつか逢える。二人が出逢い、愛を交わしたら何が起きる? それは紗那と伊織でしかないだろう。そう、紗那が織姫になるのなら。彦星になるためには、ユグドラシルをひっくり返す必要がある。それほどの悪人にならねばならないわけか、不可能ではないな)
時空のとば口では、蛇龍貴人と、蝦蟇こと、蒼杜鵑が二人を待ち構えていた。
「ただいま、蝦蟇」伊織の開口一番の言葉に蝦蟇の杖が、伊織の頭上に振り下りた。
***
「己らは、ほんに常識や、思い込みで雁字搦めじゃ」
ユグドラシルの木に寄り掛かって蒼杜鵑は厭味な真実と共に息を吐いた。グウの音も出ない二人の前で、今度は貴人が唇を歪ませ、空中に浮いた。細い四肢でくるりと宙返りして、紗那の前で舌を出した。
「ばああああああっか。俺らがワザと黄泉太宰府の眼を霞ませてまで、飛ばしてやったってのに。おまぇらがその禍、置いてくれば終わったんだよ。頭わりーな」
「ぼんくら龍に言われたくないね!」
「ちんくしゃ織姫!」
短気な紗那が足を振り上げ、「むがあああああ」と紗那と貴人は忽ち取っ組み合いになった。(アホは無視)とばかりに伊織は蝦蟇仙人に向いた。
「織姫が心を紗那に預けたところにチャンスがあったんじゃ。紗那の手には〝女禍〟=紅月季の証拠があると知ったじゃろ。しかし、これ以上踏み込ませれば、紗那は消されるが」
「絶対に、紗那を危険な眼には遭わせやしないさ」
二人きりの想い出が胸を締め付けた。
(あんな風に過ごせる時間を取り戻したい。織姫と彦星なんか、この手で消し去ってやりたいくらいだ。いいや、消し去ってやる。何としても。策はある)
「……おぬしの胸の中に、何やらあまり良くない思考が育っておるようだが、聞こえん。思考を閉じる術なんぞどこで覚えた」
フワフワの青い髪の向こうの双眸に向いて、伊織は誓うように告げた。
「ミカエルを帰して戻るよ。どのみち、僕はもうじき二十だ。将来を突きつけられてる」
蒼空に黒い影が走った。「戦艦」と紗那が震え声で伊織に問う。伊織は天空を見上げて、くっと口端を持ち上げた。瞬間二人を照らし出すように光線が大きく蒼空を駆けた。
『楚伊織、王紗那! そこにいるのは分かっている!』
「お早いお着きだな。やれやれ。拡散器で呼ぶなって言わなきゃな……」
『大暴れしている織姫。一番は一族でありながら、織姫を誘拐した不届き者、伊織! 一年に一度の逢瀬の不条理を破った罪は重いぞ、そこの二人!』
(黄泉太宰府――天上セカイの監査機構〝ウェルド〟!)
「伊織……」
紗那が伊織を涙目で振り仰ぐ。戦艦が近づいて来た。伊織はぱしんと拳を打ちつけて、兄の姿を視界に映す。そう、紗那を危険には遭わせない。一番の安全な場所を、今作る。
「きみはね、織姫として、織姫星宮塔で、さながら王女のように僕を待っていればいい。過激な兄弟喧嘩してやるさ。勿論、気が向いたら、逢いに行く」
――相変わらず話を聞かないと、罵ればいい。
伊織は背中を向けた――……。
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