第17話 女媧の種子


 背後の空間が消え失せ、残された残骸が木々を揺らしている。


(殷の首都。朝歌の一部分は、天上セカイに一緒に運ばれたんだ。だから、ぱっくりと割れて、擂り鉢状の催事場はそのまま彦星が幽閉される場所となったのか……あの不思議な形状はたいぼんが残っていたんだ。たいぼんとは「大犯」と書くのだから)


 通常、霊廟の棺には書簡が一緒に収められる。死した王の偉業、悪業を記した書簡は二つずつ、石の棺に並んでいた。伊織は並んだ石の棺の上に置かれている書簡・竹簡を三つほど抱え、霊廟の隅っこに座り込んだ。


「暗いな……急がないと、今度は神殿を荒らすだろう。そうなったら、すべて灰燼に帰す。僕が知りたいのはね、妲己=彦星がどこから現れたか、だよ。そして天界との繋がりだ。黄泉太宰府は隠蔽の天才だ。兄を筆頭に人の心なんて持ってやしない」

「伊織、お兄さんをそんな悪魔みたいな言い方していいの?」

「かまわないよ。僕も同じ穴のムジナだ」


 紗那は俯いた。


「伊織は、違うと思う……。大好きな伊織を悪く言うと、大好きなアタシが怒るよ」


 伊織は話題に触れず、書簡に視線を落としている。読みにくそうなので、ひょいと掌を向けて、炎を一つ、浮かばせた。ぽわ、と浮かぶ炎に照らされた伊織の耳は少し赤かった。


(素直じゃないなあ)と思いつつ、隣に腰を下ろした。


 書簡から視線を上げ、伊織は小さく息を吐いた。


「絡繰りが見えない。僕はどこで地上と天界が分かれ、今の管理社会になったのかを知りたい。理想のセカイ。そう信じていた。しかし、実際のセカイは織姫を量産し、地上からの願いを処理するだけの黄泉太宰府の傀儡だ。信じたくないが」


 伊織は長い脚を投げ出し、膝を立てた上で再び竹簡に視線を落とした。紗那は何となく寄り掛かっていたが、いつしか伊織の膝に寄り掛かる格好になった。気付いた伊織がにこと微笑む。


「霊廟だからね。このくらいに留めておこう」


 引き寄せられた瞬間、初めての胸の揺れを自覚した。体内から引っ張られる感じ。どこがこの程度なのか、伊織はどんどん紗那をキスで「発芽」させて指で、心で「育て」ていく。


(あたしのからだ、変わって来た気がする……)


 伊織に触れられると、胸が悦ぶ。指先で擦られると、心のどこかがふわりと花開く。こんな思いをみんな噛み締めて来たのだろうか。好きな人に触れられたいと女の子はみな願って、綺麗になっていくのだろうか。


「ふ」頬を包まれて、目線を絡め合った。


(古代中国でも、天上セカイでも、わたしたちはとても大切。ねえ、伊織。泣きたくなるくらい、大切にして)


 でもどう言えばいいかわからないよ..。


「紗那ちゃん、僕の話を聞きたい?」


 伊織の声に涙眼を開けた。


「妲己さんの話なんか聞きたくない。苛々する。理由わからなくて、更に苛々したの」


 伊織は眼を瞠り、すぐに表情を元に戻したが、確実に驚いていた。落ち着き払っている伊織が驚くなど、有り得ない。


(ふうん、珍し。驚くこともあるんだ……こっちきて、何度か見たな)


「外が俄に騒がしくなってきた。急ごう」と伊織は紗那に手で「炎」とせがんだ。念じると、炎は大きくなった。伊織はにこりと軽く微笑み、感謝を伝えてくれた。


 時間がある限り色々な話をしたかった。


 伊織は一年間しか逢えないルールがおかしいと。だから、セカイを疑って、壊すのだと。紗那は一年間我慢して逢えた時が嬉しいと。伊織は無言で鼻の頭をぽりぽりやっていた。


 そんな仕草はすごく男子で、その仕草に恥じらう紗那はしっかりと女子で。失敗しながらも二人のセカイは歪でも、編み上がっていく。


 ――多分一時間か二時間。ようやく伊織は書簡を読む手を止めた。

『湯王から夏姫へ』と大きく掘られた書簡が見える。


「最古の王朝、〝夏王朝〟古代の文字だが、女禍って読める。紅月季(こうしんばら)の痣を持つ天の禍つを指す言葉で《奇禍》を意味する天厄。突然の、災い。紗那、手」


 伊織は紗那の細い手首を掴みあげ、長い指で掌を広げさせた。


「これと同じだ。種子が似ている」


 書簡に彫り込まれていた紋様は正しく、紗那の手の〝織姫の心〟の他ならない。


「紅月季とは、天の災い。禍々しい物。女禍である。この時代の織姫は禍とされていた」


 紗那はぎょろりと大気に眼を走らせた。はっきりとユグドラシルが見えた。


「伊織、ユグドラシルが逆さから、動いてる」


 透き通った木々の泥具合はともかく、ユグドラシルは真っ直ぐに聳え立っていた。


「ユグドラシルは歴史の正しさを測るコンパスだ。悪意が次元を超えたから、影響がなくなった主人を失ったようなものか。僕らも戻れるのかも知れない。ユグドラシルの周りの時間は瞬速度だ」


 紗那も一緒に神木を見上げた。ゆらゆらと揺れる大気の向こう、キラキラ輝く光が漏れている。見慣れた光と、穏やかな風。天上セカイへの光の階段がある。


「あった! 伊織、アタシたちのセカイの七色銀河海への道!」


 伊織はこき、と肩を動かして、紗那の手を引いた。


「どうやら、僕らの役目は終わったようだ。蛇を飛ばすことか、それとも、紅月季の禍を知ることか、あるいは両方か。僕らを媒介に、飛んで行った。その蛇をチビの僕らが目撃したんだ」


 紗那はゆっくりと霊廟を振り返った。どんなに汚れ、最悪な歴史でも、紗那は帝辛が黒歴史に残るような人物とは思えなかった。


「アタシの頭、優しく撫でてくれた……伊織も同じなだけだね。嫉妬なんかして……やなヤツ」

 可愛がって貰った妲己を見ていただけなのに。伊織を困らせた。


「伊織、ごめん……!」伊織は優しく紗那の側に寄り添って紗那が落ち着くまで、待ってくれた。

「運命ってあるんだって。辛くても、そういう運命は必ずねがいを運んで来る。僕らのセカイはあの「大犯」の呪場を基盤に出来たのかも知れない。空間が歪んでいる今なら戻れる」


 伊織は紗那に手を差し出した。紗那は手を出しては一度引っ込めて、次にはしっかりと手を繋いだ。二人で同時に掌に力を込めた。


「行こう、僕らの天上セカイへ還るんだ」



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