第10話 七色銀河海の仙人たち②

「改めて、わたしは華仙人が蒼杜鵑だ。蝦蟇の姿のほうが楽なんだが蝦蟇の姿ではおまえたちには話にならんようだ。呑み込むわけでもあるまいに。紗那と言ったか、そこの」


 蒼杜鵑は蝦蟇の時とは打って変わって、優しい表情を浮かべたが、途端に冷笑になった。


「ユグドラシルの木すら見つからないなら、おのれには自然を感じる心が欠けておる証拠だ。織姫は人選を間違えたようじゃな。諦めぃ」


 紗那は押し黙った。ここまで虚仮にされると、怒りを通り越して哀しくなる。


 ぎゅっと眼を閉じた。視界を閉ざすと闇に落ちそうになるから嫌だった。


「闇は嫌だ。怖いよ」


 再び眼を開けると、見慣れたセカイが飛び込んだ。伊織の姿にホッとする。


「こりゃ! おのれは諦めが早すぎる」


 蒼杜鵑が変わらずの仙人口調で杖を振り回した。


「だって、闇恐い。真っ暗は嫌いなんだ。もう無理。視界を閉じるなんていや」

「見えるものしか見ないからじゃ!」

 ヒクッとなったサナの手に伊織は手を重ねてくれた。コブが痛い。それを労るようにーーー


「紗那ちゃん、感じるんだよ。願って想像するんだ。さあ、眼を開けて。もう一度、やろう」

「でも」

「こうすればするほど僕が在るだろ?」

「......」


「目を開けて」


 紗那は言われた通りに眼を開けたが、ぼんやりと視界が霞むだけだ。木などありはしない。「願っても見えない」と泣きそうになって眼を開けそうになった時、伊織の気配を感じた。


「紗那、僕が近くにいるとわかるね。眼を閉じているのに、感じてるんだよ」


 ――感じる……生きている気配。そばにいる、気配。


 ふと伊織の温かさを思い出した。あの時に感じた感情が再び駆け巡った。すう、と息を吸って、セカイを「感じ」始める。


 ――白い膜がたゆたっている。


 わたしたちのセカイは七層に分かれていて次元と次元が重なって、融け合っているんだって。だから、視点を変えると、何もかも透きとおっているんだって。


 透きとおっている……。気づきにセカイが透過されていく。何かがゆらゆらと揺れている。


 セカイをうっすらとした雲海が包んでいる。

 それはどこまで広がっているのだろう。


 次の刹那、紗那は眼を見開く事態になった。透けて銀色に輝く透明の樹木の形をした〝巨大な大気〟が紗那の前に揺らめいていた。空気に溶けてはいるが、大樹の容をした〝樹木〟は白い葉を絶え間なく揺らし、銀の実を実らせていた。


 意識が途切れるとただの水のように透き通って消える。


「見えた! 空気に透けて、ううん、すごい! 大気が大きな木の形してる!」


 蒼杜鵑がやれやれと杖をゴンと大地に打ちつけ、ドロンと蝦蟇の姿に戻った。


「古来に蓬莱の樹木と呼ばれた霊木じゃ。おのれはずっと地面から生えた木のみを探しておるから気付かぬのじゃ。自分の思い込みで視覚を操作するは愚行じゃと分かったな」


「はい」と素直に返事して、大気に眼を凝らした。


 ――綺麗だ。


 ちゃんと見える事実に涙が滲んだ。

 視界に何やら果実がぼやけて見えて来た。


(ん? 果物かな)


「では次じゃ」仙人講義はそっちのけになった。


(リンゴだ!)


 忽ち見えていたユグドラシルの木々はぼひゅ、と消えてリンゴだけがくっきりと揺れ始めた。


「伊織、林檎がある!」

「は? 林檎? 何をみているんだ、紗那ちゃん」


〝おいでよ。美味しいよ~ 食べて〟


 林檎が紗那を誘惑している。


「美味しそう」ぼうっと林檎を見詰める前を蝦蟇がびょーんと飛んだ。杖を振り上げてウロに飛び込んだ。


「引っ込み思案のくせに、ちょっかいだして! 出て来んかい」


「不法侵入!」声がして、今度は蝦蟇が吹っ飛んだ。蝦蟇はぼんぼんぼんと転がって、腰をさすりながら立ち上がった後、びょいんと跳ねて、伊織の前に落ち着いた。伊織が再び固まった前で、蝦蟇はひょいと杖で紗那を指した。


「ほれ、あの台詞やってみい。暴れ織姫。ぼんくらなんとかじゃ。ぼんくら言うてみい」


 先程伊織が嫌がらせに言わせた言葉である。


「あー、ぼんくら悪魔……いや、ぼんくら仙人あたりが妥当じゃ。大声でな。いつまで林檎を見てるんじゃ。ありゃ、悪魔の林檎じゃ、からかわれとるんじゃ、あやつに。せっかく見えていた木々ももう見えんじゃろ」

「あっ」


 紗那はむっと頬を膨らませて、ありったけで怒鳴った。


「役に立たない。このぼんく……ぼ、ぼんくら仙人が! せっかく見えたのに!」


「大地が震え始めたぞ」と伊織が眉を下げて見せた。



「ん~だってえええええええ? おまえら、この俺にぼんくらつったかァ――?!」



 ユグドラシルが吹き飛んだ。ウロを引き裂いた手は人の手ではない。爪が硬く、反り返った龍の手だ。「ぼんくら龍神のほうが良かったか?」と伊織が首を傾げた。


「ぼんくらじゃろが。仙人のくせに引きこもり。毎日昼寝しかしとらん。時を操る龍の仙人のくせに情けないのう。蛇龍貴人よ」


 2人目の仙人のお出ましである。

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