第9話 七色銀河海の仙人たち①
***
(俺の頭にあごがぶにゃっと……)
伊織はこれは夢だと思いたかったが、一番嫌いな感触をそうそう忘れるはずもなく、ぼんやりと目を開けるしかなかった。
目を開けると、五感も霧散して、今度は視覚、聴覚と感覚が向き直る。
紗那と蝦蟇はどうやら会話を続けているらしかった。
「蝦蟇っち、ずっとこんな退屈な景色が続くの?」
「ここら一帯はみーんなこんな退屈な景色じゃ。わしゃ、靜かで過ごしやすいがね」
気付くと、蝦蟇仙人と紗那は、どうやら周辺をぐるぐる歩き回っていたらしい。
一人と一匹の足音と響く声に、伊織ははっと起き上がった。砂礫だらけの砂埃を叩き落とした。
「伊織、起きたみたい。あたしの悪戯のせいかな」
「悪戯じゃと?」
「ははは。幼少にね……伊織の後ろからガマの子供投げたことが」
紗那の苦手はないのか。とんでもない「織姫」である。
(そうだ、幼少も紗那に蝦蟇が頭に乗って、卒倒したのだった。情けないな)
ふんふんと天馬ミカエルが寄って来た。手綱を掴むと勿論、飛び乗って伊織は二人を追いかけた――。
***
「ミズガルズからそう離れていないのに。ねえ、蝦蟇っち。彦星知らない?」
愛称〝蝦蟇っち〟は杖を振り回してぺったぺった歩いている。跳ねるのではなく、歩く。それも気分が悪い。
うっとなりそうになりながら、伊織はミカエルで上空から二人の様子をうかがっている。近づくとぺったぺったが聞こえてきていやなのだ。
「彦星なんぞとっくにおらん」
「いない? 蝦蟇、それはどういう話なの? 織姫は「届けて」って言ったのに」
「人を蝦蟇蝦蟇呼ぶ阿呆には教える義理もありゃせんわ。ユグドラシルでも探しておれぃ。見つかればだがな」
「蝦蟇!待ってって」
「蝦蟇蝦蟇言うない!己らはやかましいんじゃ! 片割れは上空から見下ろしているし気分悪い言うとるんじゃ!」
蝦蟇は杖をつき、偉そうにふんぞりかえって「もう起こすない」と壊れた祠に潜り込んで行った。(やはり気づかれるよな)とミカエルで舞い降りると、紗那はむー、と考えごとの最中だった。
(そうだ、ユグドラシル……蛙でも、相手は仙人。情報が聞けるチャンスだが)
だが、相手は蛙。しかも、大きめの文字通りの蝦蟇だ。
「紗那、蝦蟇に何か言われたのか。僕が寝ている間に、仲良くなったんだな」
「んー、蝦蟇が言うには、「おのれらは人を蝦蟇蝦蟇言うから、気付かないんじゃ。なんじゃ。伊織とやら。弱すぎる。蝦蟇蝦蟇言うからじゃ、バカめ、蝦蟇蝦蟇言う阿呆にだーれが真実など言うかいな!」以上」
大層な口の悪い蝦蟇である。
「ありがとう。そうかもね。僕は蝦蟇が昔から嫌いだよ。あの顎、感触、気持ちが悪い。君だろ、僕の目の前に蝦蟇投げたのは」
「好きだと思ったんだよ。プレゼントのつもりで」
「……嫌いだよ」
伊織は寝に入った蝦蟇を一睨みして、持ち歩いている白紙の書物とペンを取り出した。念書で書ける。空中に浮かすと、ペンの焦点を合わせて見せた。
「いいけどまた何を始めるの、伊織」
「仙人と情報は有効に使わないと。紗那ちゃん、僕が書いたこの言葉を大声で言ってくれるかな。ならばご要望通りに」
にやりと伊織は口角を上げると、きっぱりと告げた。
「蝦蟇に嫌がらせしてみよう」
伊織はさらさらと文言を書き、紗那に手渡した。掌のコブが邪魔なのか、紗那は右手を振りかぶり、「マジで?」というような顔をする。
「仙人を引き摺り出すんだ。罵詈雑言はやむを得ないだろ」
「伊織、蝦蟇への文句言いたいだけでしょ。いいよ。読むね」
大きく息を吸うと、紗那は文言を朗々と読み始めた。後ろでククク……と笑いを含ませる伊織の腹黒さなどへっちゃらな様子で。
『やっぱりがーまは、やくに、立たないなァ~。あーあ、残念残念。仙人なのにな~。蝦蟇だもんね~! 仕方ないかぁ! だってぼ、ぼんくらぁ? ボンクラ蝦蟇だもんね!』
忽ち祠が吹っ飛んで蝦蟇が怒りの形相で飛び出してきた。
「誰がぼんくらガマじゃ! 口の悪い織姫なんぞ、日が暮れるまで説教じゃ!」
「いや、伊織が、あれ?」
伊織は紗那の背後で丸めていた背中を伸ばすと、頭を下げた。ゲコ? と蝦蟇が首を傾げた。構わずいつもの強気で押し通した。
「お昼寝の邪魔して済まないが、ユグドラシルのことを教えて欲しい。あと、このセカイのこと。それから、ウロの悪魔、織姫、彦星、黄泉太宰府の関係、そうだ、ついでにセカイを手に入れる方法や不老長寿の仙人の秘訣なんかも聞いておきたい」
蝦蟇はぽかんと、平然として次々欲望を口にする伊織を見上げていた。
「おまえさん、そりゃあ、業突く張りというものじゃろ……」
「僕はもともと業突く張りだ。今更改心する気はない。紗那の手には織姫の心が宿ってる。僕らは彦星に届けなきゃいけないんだ」
蝦蟇はスタスタと近寄って来た。
「蝦蟇! 約束を護れ」
「証拠はあるか? 証拠を見せれば教えてやらんでもない」
「紗那ちゃん、手を拓いて見せてやりなよ。この蝦蟇、信用しないみたいだ。見ろ、蝦蟇!」
「おのれらは、蝦蟇蝦蟇と……見せてみい」
紗那が広げた掌を蝦蟇こと蒼杜鵑はじっと見詰めた。「ほー」と感嘆の啼き声のあとで、くるりと背中を向けた。
「どうだ、証拠になるだろう」
「ほう……これは立派な「証拠」だな」
蝦蟇は同じようににやりと振り返った。伊織がズザッとうしろずさった。
「頼みがあるんじゃが。わしも天馬で空をとんで見たいんじゃ。ナァに、そこの聡明な兄ちゃんがわしをだっこして、馬に乗ってたかいたかいしてくれたらええんじゃ。たまには、ぼんくら蝦蟇も空を飛びたいもんじゃて」
「ぼ、ぼくに蝦蟇を抱いて空飛べと?!」
「いいじゃん、ちょっとぬめぬめしてそうだけど」
紗那は時に気持ちよく裏切るのをよく知っている。(この蝦蟇! この僕に向かって!)完全なるぼんくら蝦蟇の雑言への報復だった。
***
――つかの間の伊織の地獄の時間は置いておいて。蝦蟇は嬉しそうにゲコゲコ喜び、青ざめた伊織にグッド気分で紗那は笑顔で迎え、「約束じゃ、少しばかり語るかの」と蝦蟇はげっそりした伊織の前でふんぞり返った。
「ユグドラシルを探しておるんじゃったな。どれ、ひとつ手伝ってやるかの。おのれらはじっとするという行為が出来んようじゃ。目を閉じて、空気を読むんじゃ」
再び蝦蟇の眼の前で、伊織と紗那は説教よろしく正座で座らされていた。
「この座り方、痛いんだけど」
「古来の説教の姿勢じゃ。次に、結跏趺坐じゃ」
結跏趺坐とは、仙人が空中に浮いているあの姿勢である。結跏趺坐のほうが少々楽になった。
「眼を捨て、全身でセカイを見よ。様々な色、音、命が溢れておる世界じゃ。霊的な感覚で視よ。おぬしらの体内は知っておる」
紗那は集中しようとしたが、視覚が閉ざされるは辛い。
(心の眼って事かな。……そもそも眼があるから、景色が綺麗に見えるのに)
隣で伊織が立ち上がった。
「蝦蟇! これがユグドラシルの木か……なんと、大きい……!」
「そうじゃ」蝦蟇と伊織の声が響く。伊織にはもう見えた様子だ。置いて行かれた紗那は唇を噛んだ。いつだって伊織は最初に走って行ってしまう。紗那にはさっぱり見えないのに。
このセカイの秘密でも何でも、手にしていくのは伊織のほうだ。何も教える気はないんだ。
(蝦蟇のうそつき! ばか蝦蟇、あほ蝦蟇、いじわる蝦蟇、伊織……っ!)
蝦蟇の吐息が聞こえた。
「蝦蟇蝦蟇言うなと言うておるのに。煩くて集中どころじゃない。これなら良いか」と声を発したが、声は何故か紗那の頭上から響いてくる。
「目を開けたまえ、織姫」
語り口調の変わった声に驚いて開いた眼の前にはすらりとした長胞に身を包んだ青髪をたなびかせた青年が立っていたのだったーーー。
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