ユグドラシルの木をさがして

第8話 ユグドラシルの水源

「伊織、どこに行くの」

 天馬の羽ばたき音に混じって聞こえる声に伊織は答えた。


「天界ミズガルズの北。七色銀河海の水源があるんだと見たんだよ」

「北? 水源?」

「ここは織姫のいる星の塔に繋がっているんだ」


 飛び続けるうちに空中に細やかな粒が増えて来た。目の前のサナの頭がよく動くこと。

 伊織は天馬の手綱を軽く引いた。


 あらゆる宝玉石を沈めたような水底は、水飛沫の美しさに貢献していた。魚こそいないが、磨かれた宝珠が水圧で動くせいで、水面には常に光が溢れている。


「願いの珠に似ているね。水源かぁ...きれい」

 

 うっとりトロン。そんな声を響かせそうな紗那の声音に伊織の目もまた優しくなった気がする。

 

(言ったんだよ、本当は)


 もう離すかよ...思い出して伊織は熱くなった頬を隠すように空中にさらした。


「進んでみよう」


 二人を乗せた天馬は大胆に羽ばたき、雲の合間をすり抜けてやがて荒廃した大地の影に辿り着いた。


「景色が変わった」

「僕もここまで来た経験はないな。かなり北に飛んだがあれが久々の大地だ、紗那」


 今度は高く聳える霊山と、張り巡らされた不思議な壁が延々と続く。澄んだ大気に相反して、大地は平静で、むしろ寂しくなるような静寂の雰囲気だった。天上セカイの雰囲気はない。


「ここまで来ると、願いの光珠は見えないね。あんなに溢れていたのに」

「織姫領域を中心に集められているんだな。どういう絡繰りなんだろう」


 願いの珠の飛ぶ中央部を抜けると、景色は一段と寂しくなった。寂れた空気だ。

 最下層は見えない。大地に輝きはなく、砂礫が続くのみである。


「随分降りたな。北とは下方だからね」

「伊織、あれだよ! 荒ら屋がある! ほら、彼所が彦星の家かも」


 紗那の身長の高さしかない規模の荒ら屋がぽつんと建っていた。どう見ても家ではない。


「あれは祠だよ。どうやって人が生活するんだ。考えてものを言おう紗那。この周辺なのは確かなようだ。少し旋回してみるか。ミカエル」


 眼の前には大きな擂り鉢状の湖が見えて来た。周辺は放射状に吸い込まれ、タプタプとした赤い水が穴を満たしていた。水没した水源の中に、微かな建物の影が見える。


(大きな湖だ。擂り鉢のように窪み、人為的に掘られたような形をしている。地中から引き摺り込んだように見えるな。何か生物がいるのか……巨大な蟻地獄など、逢いたくもないぞ)


「ねえ、伊織、祠にやっぱり何かいるよ」と紗那が身を乗り出し始めた。しかし、伊織は伊織で擂り鉢湖が気になった。


(あんな巨大な擂り鉢状には余程の衝撃でもなければ、ならないだろう。何かが内側から引っ張るか、消失したか……)


「ミカエル。水面ギリギリに飛んでくれるか。湖の中が見えるくらいに」


「――動いてる、ぎゅうぎゅうに詰まってる感じ」


 手綱を同時に引き合ったせいで、馬が揺れた。


「湖のほうが見たいんだ」

「祠だってば。彦星さまかも」


今度は天空での手綱の引き合いである。


 八枚の翼のある天馬ミカエルは、二人の言い合いと分裂した命令に困惑しつつも、どちらかというと伊織に従順になった。ぶすくれた紗那を載せ、高く羽ばたき、水面に触れるか触れないかでギリギリで器用に足を止めた。


「さすがは織姫の天馬。紗那ちゃん、暴れないでくれる」

「だって、何かが」


 水面を覗き込んでいる伊織の前で、紗那は陸地を見て視線を固定させ、ごし、と両手で眼を擦って、何度も瞬きを繰り返し。乗り出す微動で天馬が時折バランスを取ろうと横に揺れた。


「気のせいか」と言いつつ、また祠が気になるのか、気がそぞろになった様子。


「紗那ちゃん。今、調べているところだから、そうきょろきょろするなよ」

「だって、祠が動いてるように見えたから!」


 紗那は頑固だった。伊織は息をついた。


「ミカエル、水面は後だ。陸地へ降りよう。僕の織姫が注意力散漫で話にならない」


「やった」と喜ぶじゃじゃ馬織姫のために、伊織は陸地に天馬を降ろさせようと強く手綱を引き紗那を片腕で支える。


 たどり着いた台地の砂礫は踏みしめるとサラサラと崩れた。足を砂に埋もれさせながら、祠にたどり着いた。立派な龍に、窓のような空間がある。紗那がさっと手を伸ばして、窓を開けた。



(う……こいつは嫌な展開だな)



 開けた瞬間見えた色合いに何がいるかを瞬時に察知して、伊織は後に下がる。


「伊織。何かが動いた。小枝ない? 突っついてみる。出て来るかも」

「度胸に恐れ入るよ。どうぞお好きに。ちょっと離れて見守るよ」


 紗那は落ちた枝を見つけるとと、突っついた。ぶにゃ、とそいつが動いた。


 伊織は顔を背けた。顎がムームーと動く動作を思いだしただけでも卒倒しそうだ。


 恐らく祠に寝ているは膝丈くらいの蛙と推察される。蛙は高次元では敬われる存在だがごめん被りたい。


(彦星が蛙だなどと聞いた覚えもない。どこかの異種蛙がちゃっかり祠をねぐらにしていたのだろうか)


 実は伊織は蛙が苦手である。頭を抱える前で、紗那は緑色のぶにゃぶにゃを耐えず突っついていた。「出て来い、えい」としびれを切らしたらしく、ブス、とやった。


「仙人に向かって何すんじゃ! このちんくしゃ! 痛いじゃろうが!」


 蛙がのっそりと祠から出て来た。シリを擦って、白い顎をモアモアと動かして見せた。


 間違いなく、蛙。伊織は眩暈を堪えて額に指を置く。


(こいつは考えていなかった。七色銀河海の件の蛙の仙人? ユグドラシルの番人? セカイ征服の前に、蛙を全部無害な生きものに変えてやる研究をしなければ。しかし、ユグドラシルはどこにある)


「でっかい蛙出て来た! まさか、セカイは蛙だらけ? えー、彦星さま、蛙なの?!」


 蛙は杖を振り上げて、ムームーと不満を吐き散らかした。


「おのれらは、寝付いたところを起こしよって! ユグドラシル? 見えないならそこまでじゃ。おのれらなんじゃ。揃いも揃って セカイセイフク、セカイセイフクやかましい!」


 伊織と紗那は顔を見合わせた。


「蝦蟇、心で思った言葉、分かるの?」

「だーれが蝦蟇じゃ!」


 蝦蟇は顎を膨らませて、びゃー、と舌を伸ばして伊織を脅した。


「ひい」と袖で顔を隠した。紗那が呆れて横目で見ているが、嫌いなものは嫌いだ。


「蒼(あお)杜鵑(とけん)っつー名前がある! そんじょそこらの蛙と一緒にすんない!」


「く、来るな……僕は蛙が死ぬほど嫌いで!」

「このバチ当たりが!」


 びょ、びょ~ん。と蛙が跳ねた。伊織の頭に飛び乗って、蝦蟇仙人はふんぞり返った。ぶに、と膨らんだ顎が伊織の天辺に触れた。


 霞が伊織の脳裏に立ちこめ始めた。


「紗那ちゃん、ちょっとごめん。僕、一休みみたいだ」

「伊織――ッ?!」


 ぱた、と自分が倒れる音が聞こえ、伊織は真っ白の中に落ちた。蛙は勘弁。いや、マジで。

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