第7話 君とセカイの天を翔る

 甦った記憶の奔流に、紗那は肩を震わせていた。


(どうして忘れていたのだろう)


(間違いなく、織姫さま、殺されたんだ。伊織とあたしは見たはずだった。織姫は二人いた。何で忘れていたのだろう――)


 伊織はそれに気がついたのだろう。

 ....なんかすごいこと聞いたような?


「伊織、さっき何か泣きながら言わなかった?」

「泣いてもいないし言ってないけど」


ーーー離さないよ。洗脳されたならば、脳裏まで支配してやるまで。約束破りは嫌いだよ。


 冷たい肩を不思議に思いつつ、サナは会話を止めた。伊織は耳を赤らめているように見える。


 泣いてるはずが無いか。


 サナが追及の眼を周辺に向けたことで伊織はまたサナのほうに向き直った。


「黄泉太宰府は織姫側の船に乗っていた全員の記憶を封じたんだ。特に紗那ちゃんの記憶は念入りに蓋をしたのさ。二度とセカイを疑わないように。


 きみの手のそれが彼らをそうさせた。それはね、織姫の核。つまり、きみはもう織姫自身なんだ」


 ――あたしが織姫? この、手の中の。


 ただのコブじゃない。これは織姫からの預かり物だった。


「織姫に相応しくないきみもいずれはここに連行されることになるだろう。その前に、ラボ行きだ。覚醒させないように操作して、何かを育てさせてるんだろう」


「ラボって何」


「ウェルドの子宮(シヴァル)領域あたりで、やってるキナ臭い研究所だよ。実態までは分かってないんだ。頑張ってるんだけどさ」


伊織が嘯いたところで、背の高い女戦士が鎧姿で進み出て来るのが見えた。


(あ、さっき、わたしを見ていたヴァルキュリーのひとり……)


 ヴァルキュリーとは天翔る戦士。織姫を護る役割だ。一人だけマントをつけた一番権力がありそうなヴァルキュリーがそっと鎧を脱いだ。


 伊織が「さて、貴方は僕の織姫の味方ですか、敵ですか」と早くも臨戦態勢を取り始める。


「私の名はノエラ。織姫の戦士ヴァルキュリーの騎士団長を務めているものだ」


 押し込んでいた金のパサパサ髪を揺らし、女戦士ノエラは紗那の手を取った。

 特殊な掴みかたをして、サナの手を撫でた。


「確かに我が主織姫さまの証。貴方が引き受けていらしたのですね。あの日、大騒ぎでした。黄泉太宰府は織姫が死したと知るや、すぐにきた。記憶のない、心を持たない、傀儡の。次の織姫を。願いを処理するための傀儡として」


 伊織は靜かに唇を反した。


「兄貴のやりそうなことだ。だが、どうして黄泉太宰府は紗那が織姫を引き継いだ事実を掴んでいるのに、捕獲しないんだ。逃げるなら、今しかないだろう」


(話題の中心のようでいて、蚊帳の外)の紗那の手を、伊織は再び強く握った。振り仰ぐと、伊織の綺麗な双眸が紗那を捕らえていた。


「僕と駆け落ちして。僕らには、彦星に願いを託す義務がある」


 まだ言ってる。しかし伊織は本気だった。


「紗那の握った手の中に、織姫の心がある。抜き取られるを怖れ、守り抜いた心がね。見えて来たよ。あの織姫は織姫の核を奪うつもりだったのかも知れない」


「織姫の核?」

「パソコンのコア 魂のようなものさ」


 紗那の眼に涙が溢れた。


「なんで泣くんだ」


「あたし、伊織への気持ちも忘れていたから……逢えて」


 ……また言えないし。なんで忘れていたのだろう。そう思うと、手の中の織姫の心がとても愛おしい。紗那は背中を向けて、ちらっと振り返った。



「一緒に、来てくれる? 伊織」


 伊織はしっかりと頷いた。


「当然だよ。僕らは彦星さまに織姫さまの想いを届ける、天の河にかかる橋になろう。しかし、ここからが問題だな」


 伊織は天上セカイの蒼空を見上げ、絶望を滲ませた声音になった。


「ここはそもそも陸が少ない。地図は頭にあるけれど、天馬で来るべきだった。このセカイは大気に覆われている上、その先は真っ赤な海と、白のセカイしかないんだ」


 二人の合間を密やかな風と、銀河の漣が駆け抜けて行った。宇宙とも、地上とも違う。移動には、天馬を使っているもその理由だ。あまり天上では歩ける場所がない。


「ずっとセカイの闇を弾き飛ばす女を待っていた」


 ノエラは頷くと、一頭の天馬を連れてきた。白く大きな体に、強そうな前足。立派な翼は八枚もあり、眼は金色だ。


「天馬じゃないか。それも、サラブレッドのヴァルキュリーの馬」博識な伊織が「だが、これなら……」と顔を輝かせる前で、ノエラはゆっくりと天馬の鬣を撫でた。


「天馬ミカエル、良いな。私の代理として、大切な織姫を護るんだよ。我が主、織姫の心、しっかり届けよ。彼の人へ。それが主の最後の願いなら協力するべきだ。黄泉太宰府は怖ろしい。今や、わたし以外に織姫の真実を知るものはいなくなった。どうかちっちゃな織姫、其処のクールな彦星と一緒に、役目を果たして欲しい」


「僕は彦星ではないですよ」


「織姫を護るなら、近くにいるきみは彦星だろう」伊織は一瞬顔を強ばらせたが、「光栄な役割だね」といつも通りにはにかんで、馬を見上げた。


「いずれ、彦星にはならねばと思っていますが。ユグドラシルに認められし者になるにはどうしたら良いのか……」


「ユグドラシル? ああ、それなら……この先の砂礫を目指せばあるいは」

「知っているのですか。どうやら彦星に深く関わるようでして」


 ノエラは「残念ながら」と首を振ってみせた。紗那が一番に飛び乗って手綱を握った。伊織も軽く跳ねて、馬の背に紗那を挟んで飛び乗ると、二人で同時に手綱を掴んだ。


 手が触れて、ちょっぴりくすぐったい。


(天上を二人で翔る。それを駆け落ちと呼ぶなら、大歓迎。伊織となら、どこまでだって)


「北東を目指せ。立ち入り禁止領域がある。その木のウロにいる悪魔が幻影を魅せてくると聞いている。名は!」


「紗那だよ! 織姫の心を還しに行く!」


「伊織。このじゃじゃ馬の織姫から眼は離さないから、お姉さん、安心して。紗那、行こう」


 天馬が声高に嘶いた。紗那は脇腹を蹴った。天馬は美しき羽ばたきを見せた。悠々と上空セカイの更に上空に溶けてゆくかのように飛翔する。羽ばたく度に大気は金に光り、蒼の帯が空を駆け巡った。願いの玉も、シャボンのように浮かんでは、発光して空を彩った。


 セカイを見下ろして、二人はふふと笑った。可能性があるかないか。決めるのはいつだって二人だ。伊織となら、超えられる。セカイのルールも、隠された秘密もきっと。


 あとは、このちゃんと言えない恥ずかしがりの自分を何とかするだけ。


 背中に伊織の存在を感じる度に、どうしていいか分からなくなるけれど、いつでも前を向いていくのはきっと間違えてはいない。紗那はまっすぐに前を見詰めた。


(一緒にセカイ征服しようよ、伊織。今度こそ)


〝一緒に〟なんて心強い言葉だろう。だが、伊織にはまだ言えていない。一緒にセカイ征服。その言葉にはまだまだ深い意味がある気がして、言えていない。

 伝えたいのに、言えていない。言わなきゃいけないと分かっているのに、言えてない。


「北なら、ミズガルズを避けよう。大丈夫。黄泉太宰府の警備を避けるは容易だ。とっくにパトロール航空ルートは分かってる。紗那ちゃん、前に進むってどういうことか知ってる?」


 驚く紗那に伊織は眼を細めた。また心を詠まれている。

 ドキドキが加速する。


 それは、寄り掛かった背中からの力強い鼓動が年々強さを増しているせいかもしれない。手を重ね合って、セカイを見下ろすと、天馬の元、セカイは小さく見えた。


「よく、記憶を取り戻したな、織姫のことも」

「伊織が抱き締めてくれたから。脳がぱりーんてなるのが恐かったけど、でも、間違いない。あの星宮塔で、織姫さまは殺されて」


 紗那は掌をぎゅっと握って見せた。


「あたしが、継いだ。だから、あたしは織姫なんだ」


 セカイに飛び出した二人を祝福するような、雲の合間の天使の梯子が見え始めた。このセカイは神々しくて、美しい。願いで出来ている天上セカイが美しくないはずがない。

「一緒に、セカイを生きることだ。僕たちの未来を、このセカイを信じよう――」


A Universe of divine

love is present within you

ー神の愛は貴方の内の宇宙に或るー

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る