第5話 サナの事情 セカイの真実
「みんな、乗って~」黒髪のカツラを揺らして、紗那は声を張り上げていた。
女子たちの願いの珠を掬いに行くが習わしの〝星迎の夜〟である。
船の操縦士ST候補生たちが操縦環の前で待機している。着慣れない着物。裾と長い腰紐を抱えて歩いている状態の紗那を誰かが笑った。ぴた。紗那は足を止めて、振り向いた。
「今笑ったヤツ、誰」
唯一乗船を許されている操縦士の卵たちは知らんぷりを決め込んでいる。織姫らしくないサナを笑っているのだろう。「掬ってみろよ」と少年の一人が、金の籠を投げて寄越した。
「.....言いたいことはそれだけ?」
そう。紗那は未だに願いの珠を掬えない。何度やっても、珠は生きた金魚のように紗那から遠ざかる。今までは伊織が助けてくれたが、成人間近の伊織は星の船には乗れないから、助けはない。
「俺、見てたんだよ。おまえ、願いの珠、掬えもしねーくせに、どこが女のシンボルなんだか」
掌がカッと発熱した。広げると、白い炎が揺らめいていた。《生まれつきのコブ》が沸騰している。掌を向けたら、何か得体の知れないエネルギーか何かで軽くやっつけられるような、感覚に苛まれた。
《いつからか出来た》
コブ。日々力が溜まっていっている気がするから、
《どこかで手術しなければ……》
にらみ据え紗那は片足をざっと踏み込ませた。そこに一人の女性が宝珠を手に弾ませて、甲板への階段を登ってきた。
確かお付きの天女たちだ。
(綺麗……あんな綺麗な女性だったら、すいっと拾えるのかな。ねがいだってきっと喜ぶ)
女性は立ち止まり、「めっ」というように少年たちに向いた。
「星の船で問題を起こしてはだめだよ。少し堪えるんだ。きみたちも、からかわないの」
「はーい」男の子は本当、大人の女性に弱い。伊織も織姫が好きで、覗こうとしたことを思い出し、忌々しく見ている前で、女性はふう、とカツラを引き摺り下ろした。
「来た途端にこれだもんな。踏み込んでどうするの?お得意の跳び蹴りか」
途端に男らしい顔付きが目に焼き付く。今度は紗那が金魚の如く、口をパクパクさせた。
「いお……っ!」
「紗那ちゃん、静かに、騒がれるとヤバい」
(し、静かにって……あんた、女装までして何やってンの――っ!)
伊織の艶やかな外はねの髪も、声も、一年前よりもずっと研ぎ澄まされているような気さえした。女装してまで密航を決行したとんでもない幼なじみ、伊織はふっと笑った。あとで、鋭い視線になった。
「きみをからかったあいつらには、後で地獄を見せてやるから安心しなよね」
「こっち来て!」と冷静な伊織の手を引き摺るように引いて、船首の裏に回り込んだ。
「久しぶりだな、この船」と変わらずの冷静さに唖然とさせられた。
「あのさ……見つかったら大問題になるって分かってる?」
一年ぶりに逢えた感激もあまりの驚きで吹っ飛んでいる。伊織は伊織で、紗那のこめかみに唇なんか押しつけて、しっかりと再会の砂糖モード。
「きみを、黄泉太宰府が束縛するかも知れないんでね。迎えに来たんだ」
黄泉太宰府とはこのシステムを管理する政府機関だ。
「なんであたしを……大人しくしてますけど。それに、迎えに来たって……伊織さあ、無謀過ぎるよ。それにセキュリティーがあったのに」
伊織はにっこり笑って「システムは頭脳で解決」とヒラヒラとカードを翳して見せる。
「あ、船のセキュリティー書き替えたな! これだから悪の研究員は!」
「違う。パソコン・ウイルスで機能停止させたんだ。結構な圧が掛かっていたけどね。パワーダウンしたと同時に乗り込みを……そんな話はいいんだ、紗那ちゃん」
(良くない!)しかし伊織は真摯な面持ちで紗那の両手をまとめて掴んだ。クスクスと女子が通り過ぎた。傍目から見ると仲良し女子同士が会話をしている何も疑われない構図。
「織姫星宮塔についたらすぐだ。駆け落ちしよう」
かけおち。また衝撃の謎の四文字が紗那の脳裏を走り回った。伊織は靜かに告げた。
「一年前の約束通り、色々調べて来たんだ。きみは織姫の核を継承した。ウェルドに見つかれば、研究施設・ラボ行きだ。雲行きが怪しくなった。兄が口にしたなら決定だ」
「ラボ? ラボってなに? 研究って何」
伊織は視線を険しくし、長い腕で紗那を抱き締めた。きょと、と腕の中でも瞬きを繰り返す。不思議に思う度に、伊織は合わせるように腕に力を込めて、紗那の後ろ頭を引き寄せ、四肢に押しつけた。
トクトクトク……規則正しい鼓動は少しずつ速くなる。(伊織の鼓動だ)眼を閉じると、心の最奥からじわじわと安堵と、何かが沸き上がってくる。
「きみは知らなくていい」
沸き上がる感触は嫌ではないから困る。掌と背中がムズムズするし、何かがじわじわと心を満たす。伊織に触れると、いつしか心に音が生まれ始める。
小さくて、紗那ですら聞き逃しそうな小さな恋の音だ。
「彦星に逢いに行こう。届け物を頼まれただろ」
「伊織、誰かに届け物頼まれたの? 彦星さま? 逢えるんだ!」
普通に聞き返した言葉が伊織の中の何かを揺さぶったらしい。伊織は声音をがらりと変えた。
「……まさか、忘れて……違う。あの日、星の船から下りて、きみはどうしてた」
「うちに帰ったけど。宿舎に。ああ、でも、疲れていたから寝ちゃったかも……起きたらもう翌日で、伊織に会えて良かったって思って、勉強を……」
伊織の顔が見る見る険しくなっていった。紗那は綺麗さっぱり忘れた脳裏で、一人戸惑った。
〝掌にコブがあるんだ。いつできたんだろう、これ〟
――〝《生まれつき》だ〟
〝伊織とこうして温かさを交換しあったのはいつだっただろう〟
――〝伊織は乗っていなかったんだから、《昔の想い出》だ〟
〝織姫さまは〟
――〝織姫さまは健在だ。《何もなかった》んだ〟
沸き上がる疑問を見つける度、解消する声が何度も脳裏に響き渡って問題を無くしていく。
「伊織、顔が真っ青だけど船酔い?」
「……大丈夫。僕に言い聞かせてる」
紗那はもそっと伊織の腕から抜けだし、伊織を睨んだ。なんで紗那が織姫なんだろう。伊織のほうがこんなにも綺麗なのに。
「何を言ってるんだか。織姫さまに今から逢いに行くところで忙しいんだよ、今日は」
「紗那……まさか……いや、やっぱりか……」
伊織はいつも通りの笑顔を浮かべはしたものの、何も言い返しては来なかった。
船が出航しても、二人は甲板では別れて過ごした。やがて織姫の姿が見えたので、紗那のほうから声を掛ける。
「ほら、ちゃんと見えるよ、伊織。織姫さま、元気だって」
織姫の特徴ある嫋やかな優しい顔、緩やかで柔らかそうな衣裳がふわりと揺れている。ピンクの髪は長く垂らされ、妖艶に束ねられた上から、宝玉をふんだんにあしらった簪から伸びた細やかな真珠が揺れる。皆の憧れというも頷ける出で立ちだ。
「――そうだね。織姫の概念は健在だ」
「でしょ。変な伊織。セキュリティ勝手に変えちゃって知らないからね」
伊織は軽口を叩いても、無反応だった。喧嘩売りに来たのかと聞いても、無視。
――仕事に戻ろ。子供達を誘導しなきゃ。伊織の態度に引っかかりはあったが、煌めきを増やした銀河は変わらず美しくて、紗那を、伊織を忽ち幻想の現実へ引きこんでいった。
織姫はいつも通り七色銀河海の向こうで、集まった願いの光珠を手にしては水晶の中に丁寧に流し込んでいた。願いはゆるゆると泳ぎ回る熱帯魚の如く、ゆっくりと水晶の中で泳ぎ、やがては溶ける。地上の願いはこうして叶うのだろうか。
【織姫】はいつも通り七色銀河海の向こうで、集まった願いの光珠を手にしては水晶の中に丁寧に流し込んでいた。願いはゆるゆると泳ぎ回る熱帯魚の如く、ゆっくりと水晶の中で泳ぎ、やがては溶けた。どこへ行くのかも分からせずに。
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