第4話 伊織の事情 セカイの真実
(一年前、セカイの真実を調べて、紗那に必ず教えると約束をした。紗那の小指はぷっくりと膨らんでいて、とても愛らしかった。最下層のウェルドで真実を掴めるのは僕だけだ。抱擁と共に、このセカイを疑い続けよう。僕の織姫がセカイを知りたがっている。いつだって疑いは興味になる。セカイの不条理に甘えていては、真実は掴めない。出来ることはなんでもやる。それが悪でも、例え条理に刃向かうことでも)
***
――数度目のチャンス到来。前回はセキュリティが作動してしまった。だが、今回は。
伊織はこっそりラボの資料館の重要機密端末を立ち上げたところである。紗那と別れ、伊織は黄泉太宰府としての勉強に追われる日々を送っていた。兄からの厳命ではあるが、秘密を知るにこれほど適した環境はないだろう。
隠されてきた彦星の謎を調べて、紗那に伝える。そうすれば、織姫になった紗那の行動を助けるも可能だろう。
(寄りにも寄って、一番織姫に遠い紗那が織姫の資格を得た。いや、僕の中では紗那が一番の織姫……)
どこかしっくりこない牛飼いのような部分は取りあえずとして。
(中心は織姫。しかし、彦星については執拗なまでに隠されているようだ。データすらない)
銀河有史から、男と女は揃って然るべき。象徴とも言える織姫だけが独り身を強いられるはどう考えてもつじつまが合わない。矛盾から織姫が織姫に殺された理由も見えて来るはずだ。
伊織はこの一年というもの、研究所に入り浸り暇さえあれば片っ端から電子端末と呼ばれる「本」を開いていった。殆どのデータは消されているが、星迎についての記述に気に掛かる記述を見つけたは先日の話。それは伝承とは遠い、理学系のほんの短いコラムだった。執拗に消されていたが、何故か遺伝子系列だけは僅かながら記事が残されている。
――昔の言葉だ。解析にかけてみると、『彦星因子の危険性』――『乱暴』――『隔離』と導かれる。
更に記述を追っていく。彦星となる人物の危険性と因子について語られていた。因子とは、その個体を作るための根幹的な遺伝子。彦星の遺伝子は男に眠るとある。
「それで、男女が離されてしまうのか。一年の逢瀬の元凶……僕らはどこから産まれたんだ」
また気に掛かる記述があった。
『織姫の核を持ったものはセカイの統治者。その名を女禍。彦星はユグドラシルに認められし悪の守護者となるべし者』
m織姫の核とは、まさに紗那の掌の現象だろう。該当するならば、現状、セカイが認めた織姫は紗那になる。しかし、その織姫はきっと跳び蹴りなんかして掌の核なんか忘れているに決まっている。
伊織はとある文言を指でなぞった。
「彦星は悪の守護者」。気に掛かる語彙だ。
(本当に何事もなかったのか? この、一年間。黄泉太宰府は甘くない。そんなに簡単に見逃されるものだろうか。あんなに証拠がはっきりしているのに。だが、紗那についての情報は今のところ良きも悪きも一つもない)
「それなら、彦星のほうを調べよう。ユグドラシル?」
電子端末に夢中になっている耳に、マウスのクリック以外の音が飛び込んだ。(誰か来る)足音は軍人の歩き方だった。伊織は小さく息を吐いた。
(この足音……兄貴だ、まずいな。監視カメラに見つかった? それより、痕跡……)
伊織はち、と舌打ちして端末へのコードをまとめてむんずと掴んだ。もう少しで全貌が見えるところだったが、諦めて思い切り引き抜いた。シャットダウンを待っていては、兄のほうが追いつくだろう。どうせ後からログで分かるだろうが、現場を押さえられるよりはいい。
ブチブチブチ……嫌な音を立ててコードが引き抜かれた。なんなく消えたディスプレイを横目にしれっと端末を直しているところで「伊織」と声がした。
呼ばれて伊織が振り返ると、実兄・楚千織が、部下二名と伊織に歩み寄ろうとしているところだった。後ろ手で最後のコードを繋ぐ。カチリ、と音がしてコードが嵌まった。
――間一髪、でもないかな。再起動の画面が立ち上がった。伊織はにっこりと人当たりの良い声音で嘘の説明をする。
「ああ、すみません。資料を取ろうとして、足でコードを引っかけてしまったんです」
「さすがはトップ成績の研究員。勉強熱心は良いことと言いたいが余計な研究は身を滅ぼすぞ」
想定内だ。(それなら)と伊織は間髪入れず訊いた。
「兄さん、織姫は何故死んだのですか」
聞くまでだ。
千織は緑の髪を短く切った精悍な顔立ちでウェルドの責任者たる長袍型の制服がよく似合う。やせ形だがそれなりの威厳を持つ実兄は、更に嘯いて見せた。
「織姫が殺された? そんな面白い物語があったか。それなら夢中で読みたがるも分かるな」
現在の伊織の制服は研究用の白衣。白衣を揺らして、伊織はそっぽを向いた。
「いえ、物語ではありませんが。僕は目撃者ですし、覚えていますから」
「おまえは夢を見ていたのだろうな。伊織。織姫は《ずっと生きて》いる」
――織姫が生きている!?
(ばかな。あの日、僕は間違いなく冷たくなった織姫の手を離した。腕は重みを持って、落ちたんだ。あの感触はなかなか抜けなかった)
あの時は紗那を引き剥がすほうに神経を向けていたが、直面によく耐えたと思う。兄の言葉を疑う伊織に、千織は伊織以上の冷静さで告げた。
「疑うならば、ミズガルズの研究施設を訪ねるがいい。織姫の監理は万全だ。だが、成人間近の男では星の船のセキュリティが作動するからもはや船に隠れて乗るも無理な話」
千織は伊織から背を向けた。背中に皮肉をぶつけてやった。
「織姫がセカイの傀儡だと知ったら、地上の人間は哀しむでしょうね」
「何が言いたい。おまえをウェルドの下層施設に堕とすは忍びない。可愛い弟だからね。だが、知りたいなら明日からでも行けばいい」
「言うことを聞けば、でしょう。僕は言うことなど聞きません。紗那に約束したんだ」
兄は眼を細めた。
「今日は一段と七色銀河海が騒がしい。ここまで眩しさが流れてくるな」
伊織はチラと海岸の方面に眼をやった。七色銀河海は日々、輝きを増していた。
(あれから一年。やっと、僕の織姫に逢える。僕の織姫紗那。少しは大人しく可愛らしく〝女子〟に育って……いないだろうな。しかし、僕は変わっていないよ。きみに逢えるためならね、どんな危険でも厭わないと決めている)
――織姫の核を持ったものはセカイの統治者。その名を女禍。彦星はユグドラシルに認められし悪の守護者となるべし者――
さきほど目にした文面が脳裏にくっきりと浮かび上がった。
「伊織、織姫は健在だが」兄は言葉を切った。
「もしも、《異変があるようならば、次の織姫となる人物を我々は探し出してラボに連れ帰らねば》ならない。何か、引っかかりがあるか? 先日も資料端末を荒らしたのはおまえか」
「いえ違いますよ」
「履歴を見る限り、そのならず者はセカイを知りたいようだ。なんだ、セカイを手にしたいのかと笑った。それなら簡単だ」
千織は怪訝に見る伊織に詰め寄った。
「わたしの跡を継げば全て分かるぞ。楚一族はセカイの闇を背負っているから」
「僕が最高司令長官に? 冗談を。しがない研究員ですから、結構です」
伊織は笑顔で答え、兄が立ち去るなり、部屋のクローゼットを開けて、用意しておいた紙袋を取り出した。
――御年十九歳。セカイの全てを知るため、そろそろ動いても良い頃合いだ。
ミズガルズ港に星の船が停泊する。一年ぶりの星迎祭り。紗那は御年15歳。恐らく織姫星宮塔に向かう引率組に加わっているはず。急がなければ。
(紗那の掌の秘密はバレていない様子だ。何かあれば即座に奪うつもりと研究施設で待ち構えていたけれど、無事で良かった)
「ふん、僕を甘く見るなよ。たかが船。システムなんざこの手で変えられるんだ」
そう、君に逢うためならなんでもしよう。という理由だけで。
パソコン・ウイルスを嬉々としてブチ込む伊織は一年ぶりに浮き足立っていた。
***
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