第2話 ポエム的インセンティヴ
この企画には色々と欠点がある。というか、根本的に企画自体から企画を盛り上げようという気概がない。さっきからパンフレットを眺めているけど、ようは『みんなでポエムを書いて盛り上がろう』というだけで、その先がまるでない。例えば優秀者には何かプレゼント、というようなお得感もない。
ただでさえポエムを晒すなんてハードル高いのにこれじゃ誰も参加しないよ。いっちゃ悪いが恥を晒すだけというか。
「マスター、この企画にはポエムを書こうというインセンティブがありません」
「インセンティブ、でしょうか」
「ええ。投稿してもなにもないといいますか……。例えばポエムを出すと100円引きとかクッキーをつけるとか」
「なるほど……いえ、そうですね。おっしゃることはとてもよくわかります。けれども……」
割引をするとお店の売上が減ってしまうのは確かで。
カフェ・アイリスはそれほど高くない。本日の珈琲なら500円に消費税。特別で貴重な珈琲を頼んでも1000円前後っていうところ。そこから100円引くのは大変かも。かといってクッキーも経費がかかってしまう。箱で多めに仕入れればそうでもないかもしれないけれど、そもそもクッキー1枚もらえるからといってポエムを提供するかというと疑問だ。自分なら書かない。
けれどもマスターの答えは違った。
「何といいますか、できれば自発的に貼っていただけると嬉しいな、と思いまして」
「自発的に」
「そうですね。なんと申しますかモノで釣るのは詩に対して失礼なのではないかと、少しだけそう思ってしまいまして」
「た、確かにそうですね、ハハ」
申し訳ありませんでしたッ‼︎ 私は心のなかで土下座する。
モノで釣ることしか考えていませんでしたッ‼︎ 推しの心をちっとも推し量れない我が不徳が憎い。
そういえばマスターはポエムに困ってシェイクスピアを引くような人だ。詩に詳しくないと先程おっしゃっていたけれど、私なんかと比べて遥かに詩への造詣が深いに違いない。
私はシェイクスピアといえば何故かベートーベン風の小難しい顔をした男が語る『生きるべきか死すべきか、それが問題だ』しかしらない。いや、あれ? これはシェイクスピアだったよね、うーん自信がない。
えーと、じゃあ他に方法、方法。モノで釣るのが無理、えーとそれならば何が?
「みんながポエムを書きたいなという雰囲気になればいいのですよね」
「ええ。けれどもそれがどうしてよいのか途方にくれておりまして……」
私の馬鹿馬鹿。推しを困らせてどうする。
でも私にもちっとも浮かばない。そもそもポエム提供とか何の罰ゲームかよと思うわけで。けれどもどことなく元気のなさそうなマスターの様子からは、詩というものにあまり抵抗がなさそうだ。
マスターはひょっとして文学青年だったのだろうか。40年ほど前の20歳くらいのマスターがぽわわんと思い浮かび、この喫茶店で人の出入りが一段落ついた時に窓際の木漏れ日の下でボードレールの詩集でもそっと開いているのだ。ぐへへ。
なお、私はボードレールの詩集なんて読んだことはないのだが。
「そうですね……他のお店はどうされているんでしょう。商店会の企画ということですと他のお店でもされているんですよね」
「他の店ですか……どうでしょうね。この通りのカフェやショップが10店舗参加しているのですが、私も日中はお店があるのでなかなか……」
「では! 私が行って調べて参ります!」
「え、あの、宜しいのでしょうか」
マスターは少しだけ大きく目を見開いた。尊い。
「ええ、今日はお休みなので!」
「本当に……ありがとうございます。いつも吉岡様には感謝しております」
推しに感謝されるとかもう冥利に尽きる。死んでもいい、いや、駄目。
けれどもどうしよう。なんとなく言ってはみたけれど、ここの通りの他の店は行ったことがない。
この神津北公園通りは
私の家は駅の反対側で通りの入口にあるアイリス以外に全く用事がない。だから正直どんなお店があるのかもわからない。
そう思っているとマスターは奥から古びた商店街のマップを持ってきた。
「このマップの北側半分は既にありませんし、残っているのは5店舗ほどなのですけれど」
「随分変わったんですね」
「今は北側は公園になって全く面影がありませんが、私が若い頃は北側にも店が並んでその裏には長屋が続いていたのです」
マスターの若い頃とか!
どこか懐かしそうに窓の外を眺めるマスターはまさに映画のワンシーンである。それはともかくマスターは古びた地図の4店舗ほどの店に丸をつけた。その他はイベントに参加している今の店名のメモ。マスターは字もお美しい。
昔からある店はひょっとしなくとも昔のマスターを知っているやもしれぬ。これは行かねば。うほほい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます