第3話 商店街ポエム巡り

 アイリスのドアを押し開けて外に出れば、ぴゅうと木枯らしが吹いた。寒い。

 すたすた歩いて3件隣の喫茶店の店外に置かれたA看板のメニューには、バレンタイン特別パフェ1600円。ポエムを書けば100円引き。

 やはり割引が鉄板だよね。それにしても1600円か……。他の店もこの調子だと懐がヤバイ。けれども推しのためなら致し方がない。金は推しのためにある。……でも高い、だから紅茶だけ。紅茶ならマスターのコーヒーとも被らないし!

 カウンターに備え置かれた小さな紙片とペンを手に取れば、店員が生ぬるい視線を向けてくる、と思ったのは被害妄想に違いない。

「あの、短歌でもいいんですよね」

「勿論です。宜しければこちらにご住所をお書き下さい。抽選で公園通り商店会共通商品券をお送りします」

 それは美味しい。

 推しのために生活を切りつめるのは当然だ。もっといえば貢ぎたいくらいだけれど、500円とはいえ30日続けば1万5000円になる。これまで目をつぶっていたけれど、薄給の身には木枯らしが吹き付けるようにそれなりに厳しい。


 そもそもポエムを出す人間なんてほとんどいないだろう。当たる確率はきっと高いに違いない。なんだか自分が物欲の権化のように思えて、マスターの高潔な心意気との落差が激しすぎる。でも胸は痛むがお財布事情は切実だ。背に腹は変えられないと言うし。 

『かぷかぷと珈琲香るカウンター そっと添えたるチョコいと甘し』

 こんな適当なのでいいのかな。とりあえず何も言われなかった。

「お姉さんはこのお店、長いんですか?」

「いいえ、2ヶ月前にバイトに入ったばかりなんですよ」

 にこやかに笑う店員はバイトで、この辺りの古い話、もといマスターの過去は知らないそうだ、残念。

 それから都合5件の物販店を渡り歩き、3件程のカフェをはしごした。

 物販のうち3件はただポエムを貼る掲示板を置いて放置、カフェアイリスと同じスタイルだった。正直スマホ屋と靴屋はどうしようもない気はする。残り2件は香水屋と輸入雑貨で、ポエムを書くと特別なバレンタインラッピングをしてもらえるシステムだった。

 回転が速いのか輸入雑貨を除けば全て新しいお店で、昔の商店街のこと、つまりマスターのことは知らなかった。輸入雑貨屋のご店主も2代目で、この商店会のことはあまり詳しくは知らないらしい。マスターは年3回ほど行われる商店会の会合で顔を合わせるくらいで、物静かな人という印象しかないみたいだ。


 商品券のプレゼントはすべてのお店でやっていた。聞けば商品券はこの企画自体の賞典らしい。なんでそんな重要なことをパンフレットに書いてないんだよ、全く。

 商品券ゲットの倍率を上げるためにそれぞれの店にポエムを提供することにした。知名度の低さに乗じるのだ。お店も喜ぶしwin-winに違いない。私がwinするには最終的にラックに頼る必要はあるのだけれど。

『ほろ苦き遠くより来た甘味かな 思い馳すのは珈琲の香』

『馥郁と香る珈琲注ぐ手に 小さなチョコとロマンスグレー』

『珈琲とチョコの香りのマリアージュ モカブラウンに染まる店内』

『こっそりと置いてこようかチョコレート 気づくのかしら珈琲の隣』

フルシティ深入り焙煎その鼻先に立ち上る チョコの香りと珈琲と』

 我ながらよくこれだけ浮かぶものだなぁと思うけれど、推しへの愛は無限大。羞恥に耐えつつマスターのことだけを考えてひたすらひねり出していると、なんとなくするりと出てくる。商品券も欲しい。


 カフェ3件のうち1件は掲示板周りに花束や小物を置いてセットを作り、インスタ映えを狙っていた。もう1件はポエムを提供すればエスプレッソカップに特別なホットショコラを一杯プレゼント。うん、チョコはバレンタインっぽい。

『ほろ苦い思いも全てあの店に チョコと一緒に漂う空気』

『あの店のどこか懐かしこの香り チョコを添えたら甘い思い出』

 最後の1件は『あなたの大切な人にポエムを贈りましょう』という企画に仕立ててハート型のメモが配られ、原本は持ち帰ってチェキったものを掲示板に貼っている。これはバレンタインっぽい。チェキのフィルム代って高かったかな。費用計算は難しい。

『いつだってここでの時間は特別で 今日は追加でチョコを隣に』

「ハートはラミネートいたしますか?」

「ラミネート?」

「ええ、どなたかに送られるならラミネートにすると見栄えがよくなりますし」

 確かに紙だと運んでいる間に折れてしまうかも。

 これまで都合9つポエムをひねり出してきたけれど、どれもマスターへの推し愛ばかり。旅のポエムは書き捨て、そのまま掲示板に貼ってもらうことにした。家に持って帰ってもどうしようもないし、捨てるのも忍びないし、マスターにお渡しするなんてとんでもない。

 何枚かのチェキの写真が貼られる中に1枚だけ赤いハートの紙というのはなんだか少し気恥ずかしい。

 けれども結局、どのお店も若い店員さんばかりで昔のマスターを知る人はだれもいなかった。残念残念。


 私の長……くもない旅の終点、最後のお店は公園通り商店街の一番端っこにある『パティスリー・エクセデスノルゲン』。たまに雑誌でも特集されるドイツ菓子の専門店で、小さなカフェスペースが併設されている。

 古い店だと聞いて期待したけど、カラリとベルが鳴る入り口を開けて『いらっしゃい』と声をかけた小柄な赤毛の女性店員はまだ10代後半くらい。マスターの話は知らなさそうだ。

 見回して掲示板を見つけると、そこには他の店の比較にならないほど、わさわさと小さな紙が降り積もっていた。

「あんたも願掛け目的かい?」

 気づいた赤毛の店員が近寄ってくる。

「願掛け、ですか?」

「おう。先月末にさ、タウン情報神津で特集してもらったのよ。ドイツのバレンタインは男から女に贈るんだ。そんでドイツにはホワイトデーがないからな、だから女はお返しに詩を贈るってことにしたのさぁ」

「へぇ。うん? 贈る、ことに、した?」

 つまり、捏造? そう思っていると店員さんは妙におばさん臭くヘヘっと笑う。

「おうとも。うちオリジナルだ。女が男に送ったっていいんだよ。詩は『好き』とか『ラブ』とか思いがこもってりゃ簡単なものでもいい」

「そりゃまあ、そうかもしれませんが」

「短いならチョコに字入れサービス付だ。そのままプレゼントしちまえばいいさ。効果は折り紙付きだとも。あんたもどうだい、詩を置いてくかい?」

 店員は追加で意味ありげに笑った。

 詩を書く。そんな羞恥プレイできっこないと最初は思っていたけれど、ここまで詩を書いてきたんだからコンプリートしたい気持ちになってきた。ハート型のピンクの紙にチョコレート色のペンで書き込んだ。なんとなくさらりと書けた。慣れだろうか。

『幾重にも甘さ重なるほろ苦さ 思い出すのはあの樫のドア』

「へぇ、英一んとこか。あんたも見る目があるねぇ」

「ひえっ。英一って」

 マスターを名前で呼ぶとは恐れ知らずな! 思わず慄いた。

「うん? 送り先はアイリスの英一じゃないのかい? あそこのドアが思い浮かんだんだよ。それでチョコを作るかい?」

「ちょ、チョコをですか?」

「うん。たっぷり魔法を込めてチョコに書いてやるぜ、それ」

 それと言われて指された詩を見て、この文字をチョコに書くとして、それをマスターにだと? いや、それはちょっと待って、無理無理いや推しにプレゼントを贈るというのは割とありふれた行為で、いやそれでもバレンタインにマスターにチョコを渡すだと⁉︎

 私はすっかり動転した。

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