第9話 狂った日常

 帰り道、学校へ来る時はまだ道路があったけど今は地面の全てが砂漠に変わっていた。 

 その砂漠を車が当たり前のように行き交う。 

 車道と歩道の区別はもはやない、我が物顔でスピードを出す自動車に歩行者が距離をとって歩いている。


 俺は途中、何度か車にハネられている人を見た。 

 至るところにハネられた後の死体や何度も轢かれて肉がぐちゃぐちゃになっている死体が無造作に転がっているのを見た。

 なんてことない、この町ではいつもの光景だ。


 車との距離をとって歩かなかった歩行者が悪い、生身で外出するなんてこの町では常に命懸けなんだから、最新の注意を払わないと。

 車とぶつかってキズつけたら家族に修理費の請求がきてしまう、歩行者は常に車から目を離さないことだ、この砂漠は車優先なのだから。 


 ようやく家に着いた。 


 砂漠の上を自転車で走った割に俺の制服には砂埃一粒ついてなかった。


  当然だ、この町の砂漠は砂が舞ったりしない地域住民にとても優しい砂漠だから。


 家に入る前に駐車スペースに軽トラックが止まっているのが目に入り気になった。

 修理業者でも来ているのだろうか、多分水漏れでもして母さんが呼んだんだろう。


「ただいまー」


 おかしい、誰も応答しない。 

 リビングまで来ると母さんが夕食の用意をしていた。


「ただいま母さん。 表の軽トラックなんだけど、業者さん呼んだの?」


「おら、おかえりエイジ。 業者ってなんのことかしら、表の軽トラックは父さんじゃないの。 嬉しいわ、今日早く帰って来てくれて、ルルルー」


 母さんが浮かれている、しかし父さんの姿は見当たらない。 


 確か父さんの車はコンパクトカーだったはず、まさか会社の軽トラックを借りて帰って来たのか、あーもうなんでもいいや。


「母さん、ところで父さんはどこ?」

「なに言ってるの表に止まってるって言ったじゃない」

「はっ、表っ? 軽トラックには乗ってなかったよ」

「だから軽トラックがあなたの父さんでしょ、あなたは母さんと、表に止まっている父さんから生まれたのよ、ホラッ」


 母さんが指差した方には家族写真が壁に掛けられていた。 


 どの写真も俺と母さんと軽トラックしか映っていない、なんてこった、俺の父さんは軽トラックになってしまったのか。


「母さん、その。 じゃあ表に止まっている父さんに乗ってた人はどこへ行ったの?」


「あー、あの軽トラックね。 あの軽トラックならスーツを来て今もバリバリ会社で仕事しているわ」


「……」


 俺はもうツッコむ気力もない。 

 だが軽トラックこと俺の本当の父さんは会社で仕事をしていて無事らしい。


「エイジ、ご飯にしましょう」

「もうお腹ペコペコだよ母さん」

「あらあらまったく育ち盛りなんだから、燃費が悪いボディね」


 クレイジーな会話をしているうちに外はすっかり暗くなっていた。 

 俺はテーブルに着いた。 

 早く母さんの料理が待ち遠しい、魚は高級品らしいからきっと夕飯のオカズは肉だろう、楽しみだ。


 昼はビモっちゃんのせいで弁当を食べそびれたからな。


「ごめんなさいねエイジ、ちょっと待っててね。 あなたー、ごはんよー」


 母さんは窓を開けて表に止まっている軽トラックに叫んだ。 

 だが呼んで来るはずなどない、あれは車なんだから。 


「もー、せっかく早く帰ったんだから夕食は家族皆で食べなきゃダメじゃない」


 母さんはブツブツ言いながら窓を開けて外へと出た。


 ブォン、ブォン。


 車のエンジン音が聞こえてきたのも束の間、突然眩しいライトが俺の視界を奪った。 


 ガシャーン。


 凄まじい音とともに母さんが乗った軽トラックが窓を突き破りリビングへと入って来た。


 そして母さんはゆっくり徐行させる、パキパキと割れた窓ガラスをタイヤが踏みしめる、そして普段父さんが座っているテーブルの位置に上手いこと車をつけた。


「もー、呼んだらすぐ来てよね、ご飯が冷めちゃうじゃないまったく」


 母さんは車からおりてもブツブツ呟いている。 

 裸足のままリビングを歩くもんだから母さんの足の裏はガラスで切れて出血しフローリングが血の足跡で汚れた。


 母さんの怪我の心配をしようかと思ったけど痛がる素ぶりを微塵も見せないもんだからこれ以上触れないようにした。


 俺はもう何もかもがどうでもいい。


「あらっ、あなたメガネ壊したの? メッ」


 パンッ。 


 母さんは軽トラックのヘッドライトカバーが割れているのを見てボディのテッペンを平手ではたいた。


 あぁ、この世界の母さんはもうダメだろう。


「いただきます」


 俺の目の前のテーブルには白米と味噌汁だけが置かれた。 


 案の定焼き魚の姿はないが期待していた肉料理の姿もなかった。

 

 少しガッカリしたが腹ペコの俺には取り敢えず食えるものならなんでもよかった。


 白米に味噌汁をぶっかけただけのそれを一気に口へかきこんだ。 


 向かいの母さんは何も食べず携行缶を手に軽トラックの給油口へひたすらガソリンを注いではブツブツ何かを言っている、よく聞き取れないがきっと「父さん美味しい?」とでも言っているのだろう。


 俺が冷めた目でその光景を見ていると母さんはハッと何かを思い出したかのようにキッチンへと向かった。

 動き回れば回るほど散乱したガラス片をパキパキと踏みしめその度に出血がひどくなる。


「こめんねエイジ、私ったらつい父さんの食事に夢中になってあなたのこと忘れてたわ、アハハハ」


 そんなことを言いながら母さんはキッチンからジョッキを持ってくると携行缶に入ったガソリンをジョッキに注いで俺に手渡した。


「はい、これはエイジの分よ。グイッとおあがりなさい」


「はっ、これ俺が飲むの?」


「いつも飲んでるじゃない、だってあなたは母さんと父さんの子よ、白米と味噌汁だけじゃなくてガソリンもちゃんと飲まなくちゃ、ただでさえあなたの体燃費が悪いんだから」


「母さんも飲めよ」


 よく分からない理論を押し付けてくる母さんに俺は半ギレで言葉を返した。


「無理よ、母さんは父さんと血が繋がっていないんだからそんなの飲めるわけないじゃない」

「あーもう分かったよ」


 俺は息を止めヤケクソでガソリンを飲み干した。

 ガソリン臭い後味は最悪だったが不思議と内側から元気が出てくるのを感じて俺は気が滅入った。


「おーい帰ったぞー」


 俺の本当の父さんが今更ノコノコと帰ってきた。 

 我が家がこんな悲惨な状況だとはつゆ知らずに。


「おかえりなさい軽トラック」


 母さんにはもう父さんが軽トラックにしか見えないらしい。 

 父さんのスーツはなぜか泥だらけになっているしかなり汗をかいたのか臭いが漂ってくる。


「なんで営業の仕事でスーツが泥だらけになるんだよ?」


「営業? 一体なんのことだ。 父さんの仕事はずっと農業じゃないか、それに畑仕事は汚れてもいいスーツでやるもんじゃないか。 まあ営業の場合はお客様と対面するのだからくれぐれも失礼のないように汚れてもいい服装が常識だがな、ガハハハー」


 あぁ、こりゃ父さんももうダメだな。

 俺の両親は壊れたから明日は我が身かも知れない、俺がまだ俺であるこの時を神に感謝せねばなるまい。


「さっ、そろそろ寝る時間よ。 軽トラックは表で止まっときなさい」


「ブォンブォン」


 母さんが指示すると本当の父さんはハンドルを回す動作をしながら外へ出て駐車スペースに正座した。


「あ、そうだエイジ、今夜は久しぶりに親子水入らずで寝ましょ、父さんが窓を壊してくれたお陰で夜風が入ってきて涼しいわよ」


 母さんはそう言うと軽トラックの荷台に横たわった。 

 俺は玄関に行き靴を履いて散乱したガラスをホウキで部屋の隅に掃いた。


 俺は壊れた窓から駐車スペースに正座する本当の父さんの後ろ姿を一目見てから軽トラックの荷台に体を横にした。


 ピンと伸びたその背筋からは俺が憧れたかつてのカッコいい父さんの名残りが僅かにだがあった。


「幸せねエイジ」

「そうだね」


 俺はもう母さんと喋りたくなかった。

 母さんに背を向けて寝りに入る、今日も疲れた。 

 とても眠たくてまぶたを閉じると視界が真っ暗になった、直後に涙が頬をつたってきたところまでは意識があった。

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