第6話 幼馴染の亜美ちゃん

 ピピピー、ピピピー。 


 聞き慣れた音が微かに聞こえてくる、これは僕の携帯のアラーム音だ。

 僕は目を開いたが辺りは暗かった。

 布団をかぶっているせいだった。

 布団をどかすと外に置いてある携帯のアラーム音がいつもの音量で聞こえた。 


 起きる時間だ、今日は月曜日。 


 学校に行かなくては、英語の小テストがあるから休むわけにいかない。

 昨夜のことがあってリビングに行って二人と会うのが怖い。


 布団をたたんだ。 

 勉強机にはノートが開いてあった、昨夜遅くまで書き写した英単語がびっしりと書いてある。 

 確認するとそれは全て同じ単語だった。 


 困惑した、これは英単語なのだろうか、bokuwaukeireru こんな英単語習った覚えなどないしましてやテスト範囲などでもない。 


 書いた覚えなどない、だがこの文字からは不思議と嫌な感じはしなかった。 

 それよりも今はこんなことどうでもよかった。

 昨夜おかしくなった父さんと母さんが元に戻っているか、それを確かめるのが最優先だ。

 僕は意を決してリビングへと向かった。


「あら、おはようエイジ」


 リビングに入ると母さんがいつもの優しい声で挨拶をしてくれて僕はホッとした。


「おはよう父さん、母さん」

「んっ…おはようエイジ」


 父さんはコーヒーを飲みながら僕をチラッと見ていつものボソッとした口調で挨拶をしてくれた。 


 父さんも大丈夫そうだ、安心した。 


 一夜明けたら元通りの二人に戻っていた。 

 三人で朝食をとった。

 今朝も白米に味噌汁に焼き魚、いつもと変わらない我が家の朝食メニューに僕はまた一つ安心した。


「先に出る」


 父さんはスーツ姿で玄関へと向かった。 

 僕も出る準備は大体出来ているがあとは少しハネている寝癖をクシでとかすだけだった。


「あなた、今日も帰りは遅いのかしら?」


 鏡を見ながら寝癖をなおす僕の耳に母さんの声が聞こえてきた。


「どうかな、まぁハタケ次第だな」


 父さんの聞き慣れない言葉に驚いた僕はクシを持つ手が止まった。 

 ハタケ次第? ハタケってなんだ?

 僕は考えた。 

 あっ、そうか、ハタケってのは建設業特有の業界用語なんだ、との自論に妙に納得して僕は再び寝癖をなおすことに集中した。



 ピンポーン。

 インターフォンが鳴った。

 こんな忙しない朝の時間に訪ねてくる知り合いなど家族にはいないはず。



「あら、誰かしら」


 ガチャ。

 扉が開く音が聞こえた。


「おはようございます。 おばさん、おじさん」


 訪ね人は僕の両親に挨拶をしている、それは聞き覚えのない女性の声だった。


「おはよう」

「あら、おはよう亜美ちゃん」

「じゃあ行ってくる」

「お父さんいってらっしゃい」

「おじさん、お仕事頑張って下さい」

「あぁ」


 父さんは仕事に行くようだ。 

 しかし、何がおきているんだ?

 僕の知らない女性を父さんと母さんは知っている様子だった。

 僕は気になって玄関へと通じる廊下に出た。


「エイジ、亜美ちゃんが迎えに来てくれたわよ、早く一緒に学校へ行きなさい」


 母さんが当たり前のように言うもんだから僕は驚いた。 

 僕は亜美ちゃんなんて知らないからだ。 

 玄関には知らない女性が立っている、僕と同じ学校の制服を着ている、彼女はまるでラブコメ漫画からそのまま飛び出してきたかのようなロングヘアーのクール系美少女だった。


「母さん、この人は?」


 僕の言葉に母さんと亜美ちゃんなる女性は顔を見合わせてキョトンとした。 

 そして少し間があってから二人は爆笑した。


「やだよこの子ったら。 朝からふざけちゃってもう、あなたの幼馴染でクラスの学級委員長の亜美ちゃんじゃないの、まさか忘れちゃったの?」


「いいんですよ、おばさま。 エイジくん流のユーモアなんですから」


「は、はぁ?」


 理解がまるで追いつかない。

 そもそも僕にはこんな美少女の幼馴染などいない。


「早く学校に行きましょうエイジくん。 ってかそれイメチェン? 結構似合ってるじゃん髪型」


「はっ、髪型?」


 まさか寝癖がまたハネたのかと僕は自分の髪を手で触った。 

 なんだかパリパリしている、それに髪が全体的に後ろに流れている、なんだこれは?


「大丈夫似合ってるわよ、ホラ」 


 カシャ。


 亜美ちゃんは携帯カメラで僕を撮って見せてくれた。 

 僕の髪型はいつの間にかオールバックになっていた。 

 おかしいじゃないか、僕はオールバックにした覚えなんてないしワックスをつけた記憶なんてない。 

 いつもの僕は前髪を垂らしたなんのひねりもない髪型でなくてはいけないのに。


「俺はオールバックにした覚えなんてない」


 そう叫んだ俺に二人は目を丸くしている。 

 んっ、俺、だと? 

 確か俺の一人称はずっと前から僕だったはずじゃ。

 わけの分からない現象が目まぐるしく俺の日常を侵食してくる。 

 頭がおかしくなってきて意識が遠のいていく感覚が俺を襲った。


(受け入れて、早く。 君は真ん中から動いたらダメなんだ)


 また頭の中で声が聞こえる、俺がこの非日常の出来事に疑問を持ち自我が崩壊しそうになればなるほどこの声は俺に何かを訴えかけてくる、受け入れるって、この変わりゆく日常をか、それで自分を救えるのならば、それでこの苦しみから解放されるのなら……。


「うっ、受け、受け入れ、僕は…俺は、受け入れる」


 ハッとした、とてもスッキリした気分だ、さっきまでボヤけていた世界が急に鮮明になった気がした。

 俺はさっき何かを口にしたようだったがよく思い出せなかった。


「あっ、亜美ちゃんじゃないか」

「亜美ちゃん、じゃないわよ。 エイジくん今日はなんか変よ」


 んっ? 変、今日の俺は変なのか、こんなに気分がいいのにおかしいな、しかしどうやら幼馴染の亜美ちゃんを待たせてしまったようだ、反省せねば。 


 ブォン、ブォン。

 外でエンジンを吹かす音が聞こえてきた。


「俺は全然大丈夫だよ、さぁ学校へ行こう」

「そう、ならいいんだけど」

「母さん行ってきます」

「ではおばさま、失礼します」

「二人とも気をつけてね」


 玄関を出て俺は自転車に乗った。

 亜美ちゃんも自転車にまたがり俺と家の門を出た。 

 目の前を一台の軽トラックが走って行った。 

 俺の家の駐車場から出た気がしたがそんなわけあるはずない、父さんの車はコンパクトカーだから。 


 俺は亜美ちゃんと学校へ向かった。

 俺の幼馴染で美少女でクラスの委員長の亜美ちゃん、まったく、最高だ。


 俺はラブコメ好きだ、そんな俺がリアルでもラブコメ的な立ち位置にいられるなんて俺はツイている。 

 気分よく自転車を走らせていてふと疑問に思った。


「ねぇ亜美ちゃん、道路の反対側に海がないよ、それにあの一面に広がる砂地は一体、あの不気味な松林も無くなってるし」


 亜美ちゃんは俺の言葉に自転車を止めた。


「エイジくん、あなた一体なんの話をしているの? 道路の反対側は砂漠でしょ、海なんてあるわけないじゃない、それに松林って何よ、そんなの砂漠で育つわけないじゃない」


「えっ! そうだっけ?」


 俺は亜美ちゃんの返しに一瞬驚いた、これは砂地じゃなくて砂漠なのかと、まさか日本にも砂漠があったとは。


「やっぱりエイジくん今日熱でもあるんじゃないの、空元気だしてまで無理に学校に行かなくてもいいわ。 今ならまだ引き返せるし、幼馴染としても委員長としても私心配だわ」


 しまった、亜美ちゃんに余計な心配をさせてしまった。


「ごめんごめん、冗談だから。 今日も普通に元気だよ、ほら早く学校へ行こうよ」


 この場はごまかしたが記憶が曖昧だ、俺が通学する一本道は海沿いだった気がするんだが、それに俺はこんなに学校へ行きたがるタイプの人間だったか? まぁいいか。


 俺は再び亜美ちゃんと自転車を走らせた。 

 俺は世間話のついでに亜美ちゃんに自分の曖昧な記憶が正しいのか正しくないのか聞いてみることにした。


「ねぇ冗談の続きいい?」

「どうぞ、面白かったら答えるわ」


「俺たちの住むこの町は昔から港町だよね、漁業が盛んでどの家庭でもほぼ毎日食卓に魚料理が出るなんてあるあるじゃん?」


「馬鹿ね、砂漠町で漁業なんて出来るわけないでしょ、それに魚は他県から仕入れてるんだから輸送コストがかかって凄く高いのよ、毎日食べられる家庭なんてこの町ではほんの一握りお金持ちだけよ」


「だよねー。 でもさ、俺今朝焼き魚食べたよ」

「嘘はいいわよ」

「ほんとだよ」

「絶対嘘よ、だってエイジくんの家お金持ちじゃないじゃない、魚料理なんて誕生日とかクリスマスとかの特別な日にしかこの町の一般家庭では食べないわ」


「あーそうだそうだ、俺の父さんの稼ぎで魚を毎日食べられるわけないもんな、きっと俺がさっき食べたのは焼き魚じゃなかったんだな」


「あなたそんなに自分の家庭を卑下するものじゃないわよ」


「そう言えば亜美ちゃんは今日の一時間目にある英語の小テストだけど勉強はした?」


「英語のテスト? 何よそれ」


「いや、先週の金曜日にホームルームで川辺先生が言ってたじゃんかテストがあるって」


「そうじゃなくてテストって言葉の意味がわからないんだけど」


「テストはテストだよ。 授業の内容を生徒がどれだけ理解してるかを確認するための」


「そんなこと確認してどうするのよ?」

「どうするって生徒個人の成績の評価につながるんじゃないかな」


「あのねエイジくん、人に優劣なんかつけたらダメよ。 エイジくんの言うテストという蛮行がもし本当にあるとしたらそれは人権侵害も甚だしいわ」


「じゃあ今日のテストはなし?」


「はいはいなしなし、ほらもう学校着いたわよ。 まぁ中々面白い冗談だったけどくれぐれも私以外の人には言わないようにね。 幼馴染が変人扱いされるのなんか私見てられないからね」


「了解了解。 亜美ちゃんは相変わらず優しいなぁ」



 そっかー、テストないのか、よかったよかった。 

 テストって実はもの凄く悪いことだったんだ。 

 んっ、あれっ、テスト……テストってなんだっけ、まぁいいか。


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