第2話 僕と彼女と焼きそばパン

 なんてこった。


 学校に着いたころには汗だくになっていた。 

 だが自転車をとばすのに夢中になったお陰でいつもの不気味な景色をあまり意識せずに学校に来れた。 

 不幸中の幸いとはこのことだ、これからは朝起きる時間を少しだけずらすのも存外悪くはない。 


 駐輪場に来るとグラウンドの方から聞こえてくる男たちの大きくて野太い声が癇に障る。

 我が高の応援団たちだ。

 毎年よくてベスト四止まりだった野球部だが今年はかなり期待出来る強いチームらしい、もしかしたら夏の甲子園へ出られるかもしれないと学校を挙げて期待をしている、それは応援団の朝練にも気合いが入るわけだ。


 しかし一般の生徒にとっては何が悲しくて

朝から野郎どもの大声を耳にせねばならんのか、僕を憂鬱にする出来事はこの町には多すぎる。


 しかし彼らにも大変な一面があることを僕は知っている。 

 それは部のユニフォームが詰襟学生服だということだ。 

 ちなみに我が高の指定制服はブレザータイプだから着替えないとそのままの格好では授業に出られない。

 朝練くらいジャージでやればいいのに、と思うのだがきっと応援団として正装へのこだわりでもあるのだろう。


 僕は三年二組の教室へ入った。

 自転車をとばしてきたおかげで余裕をもって遅刻を回避出来た。 

 そんなささやかな喜びもさっきの応援団たちの大声を聞いたおかげで僕の憂鬱度はまたマイナスに傾いた。 

 制服の下から汗がモワッと湿気となり僕の顔面に漂ってきて不快だ、だがこういう時に窓際の席は助かる、窓を開ければ適度な風が心地よく入ってきて汗もひいてくるというもの、これで不快指数はプラマイ0といったところだ。


「あー、おはよー」


 グラウンドで声出しをしていた応援団たちに勝るとも劣らない声量が僕の耳を通り抜けた。 

 キンキンして思わず一瞬体がビクッとするような声だ。


「お、おはよ」


 挨拶の返しを「う」まで聞き終わる前に僕の隣の席へ声の主である女子生徒が慌ただしく座った。 


 彼女の名前は梓美最(あずさびも)、下の名前が美最(びも)だから通称ビモっちゃんだ。 


 僕がこの町に越してきてから彼女とはずっと同じ学校でしかもなぜかずっと同じクラス。 

 少子高齢化が進むこの港町は学校数も少ないし学年ごとのクラスも少ない。 

 それなのになぜ奇跡的にクラスがずっと一緒なのだろうか、これは絶対何かの呪いに違いない。 


 そういえばクラスはずっと一緒だったけど席が隣同士になることは僕がこの町に転校した時以来久しぶりのことだった。 


 ショートカットでいつもニコニコしているいかにも元気キャラ、隠キャの僕とは正反対の陽キャっぷりだ。 

 おまけにそのルックスは美少女と言っても差し支えない。

 今まで可愛い可愛いと言われてきたことが影響しているに違いない、僕が初めて出会った時、すでに彼女の将来の夢はアイドルだった。

 一体いつからアイドルを目指しているんだか、そんな子どものころからの夢を今も変わらず言い続けている彼女を昔から成長しない奴だなと思う反面、将来とくにたいした目標もない僕はいつもほんの少しだけだが羨ましくも思っていた。


「ねぇ、エージくん今日はいつもより学校来るの遅かったね」


 相変わらず大したことのない質問を無駄に元気よくハキハキと僕にする。


「別にそんなことどうだっていいだろ、それよりビモっちゃんの方こそ今来たんじゃないか」


 一体どの口が言うんだ、僕よりあとに教室に入って来たくせに、ビモっちゃんの方が絶対遅かったに決まっている。


「ブー、それは残念ながら不正解でーす。 わたしはエージ君よりずっと早く学校に着いてから今の今までトイレにこもっていたのでしたー。 だーかーら、エージくんの方がわたしより遅かったんだよー」


「ふーん、あっそ」


 一体何が不正解なのかはよく分からないが毎度のことビモっちゃんとの会話は常に建設的ではない気がする。 


 いや待てよ、そこそこ長い時間トイレにこもっていたということは便秘なのか、あるいは…女性特有のアレなのかもしれない。 


 というかなんで僕がビモっちゃんの長いトイレについて考察までしなければならないんだ、まったく。 

 女子が恥じらいもなく男子にこんな会話をするなよ。 

 初めてビモっちゃんと接した人間は彼女のことを美少女、から不思議ちゃん、そして最終的にはアホの子との評価に落ち着く。 


 だがよく分からない不思議な魅力でもあるのだろう、これまでイジメの対象になったことは一度もなく同級生からは例外なく可愛いマスコット的な存在として扱われてきた。 


 クラスの誰もがビモっちゃんの言動や行動を否定せずに温かい目で見守っている。

 ストレスに年代など関係ない、誰しもが心のどこかで癒しを求めている、きっとビモっちゃんで子猫や子犬と接しているような感覚を味わいたいのだろう。


 残念美少女ではあるがビモっちゃんのこのキャラクターはある意味もって生まれた才能だろう。 


 朝のホームルームから大して変わり映えのしない平凡な授業をこなしていく、内容がどうあれ日々の勉学に務める、それが学生に与えられた本分だからだ。 


 授業中、隣をふと見るとビモっちゃんは口を半開きにしてただ前だけを見つめている。 

 一見すると授業に集中しているようにも見えるが実はそうではない。 

 出会って間もないころは授業中落ち着きがなくじっとしていられない子だった。

 いつも先生から落ち着くように注意を受けていた。

 何度も何度も静かに前だけを見ること、そのことだけを先生が注意してきたものだから授業中は健気にその当時の教えだけを守っている。 

 当たり前のようにノートはとらない、教科書も見ない、先生はビモっちゃんを決して授業で当てない、その方が円滑に授業が進むからだ。


 進学しない学生にとって学校の授業とは中々の苦行だ。 

 教科書を開いてそれにそって先生が喋りその内容をノートにとる。 

 こんなのわざわざ学校に来てまですることではないじゃないか。 

 教科書を見てノートをとるだけなら家でも出来る。 

 先生も教科書に書いていない補足をたまにするが基本は教科書の内容を喋るだけ、これなら自分で声に出してノートをとるのとなんらかわらない。 


 ジリリリリリッ。


 チャイムが鳴りようやく昼休みへと入った。


「ねぇエージくん、一緒に食べよー」


 昔からビモっちゃんはお昼に毎回誘ってくる。 

 話しかけられること自体に悪い気はしない、僕はどちらかというとクラスではボッチ派の人間だからだ。


「いいけど、ビモっちゃん弁当持ってきてないから購買に買い出し行くじゃないか、買って戻るまで僕は待たないよ、先に弁当食べ始めとくから」


「えぇー、急いで買ってくるからー」


 ビモっちゃんは凄まじい勢いで教室から出て行った。 


 ビモっちゃんの運動神経は半端ではない、授業中動きたい衝動を無理矢理抑えているのだからきっととんでもない速さで買って戻ってくるにちがいない。 

 よし、今のうちにさっさと食べ終えとこう。


「あー!!」


 それはものの数分だった。

 僕が頑張って食べ終えた弁当箱を確認したビモっちゃんは奇声にも近い声をあげた。 

 僕は確かに待たないと予告したはずだが、やってくれたなと言わんばかりの表情をしている。


「なんだよ、待たないって言ったろ」

「ふっふっふー、こんなこともあろうかと…はい」


 そう言ってビモっちゃんは僕にメロンパンを差し出した。

 まぁ、食後の菓子パンは別腹で処理出来るしありがたくいただいておくか。


「ありがとうビモっちゃん。 せっかくだからよばれるよ」


 僕はメロンパンを受けとると教室の前方を向いて食べ始めた。 

 ビモっちゃんは僕の方を向いて焼きそばパンを食べ始めた。 


「ねぇ、一緒に食べるんじゃないの?」

「食べてるじゃん、並んで一緒に」

「こっち向いてよー、お喋りしながらじゃないとつまんない」

「別に食べ終わってから喋ればいいだろ」

「なんで?」

「だって対面したらどうせまたアレ、やるんだろ」

「やらないよ、わたしもう子どもじゃないし」

「焼きそばパン買ってんじゃん、久しぶりにやるんでしょ」

「やらないってばー。 ほらっ、ぜんぶ食べたよ」

「まだ口の中、モグモグしてるじゃん」


 僕は横目でほんの一瞬チラッとビモっちゃんの方を確認して指摘した。 

 そして視線を食べかけのメロンパンにうつしたのも束の間、隣から乱暴に椅子が動く音が聞こえた、その直後僕の目の前にビモっちゃんは移動していた。 

 その表情は少しムッとしている。

 僅かに口をモグモグさせて反応に困る僕の目をみつめている。


「エージくん、笑って。 はい、モンジャ」


 そう言うとビモっちゃんは口の中で咀嚼した元焼きそばパンを見せてきた。


「うっ…やっ、やめろよ」


 僕はすぐに手で顔を隠した、反応に困るからだ。 

 普通は気持ち悪い、それが当たり前だ。  

 元焼きそばパンはビモっちゃんの口の中でゲロになっていたからだ。 

 だがなぜだろうか、美少女にこれをやられてしまうと男として反応に困る部分がある。

 不定期でこれをやられる度に僕は妙な背徳感を覚える。 


 美少女の口の中なんて生で見る機会はそうそうないからな。


「エージくん笑ってる? 顔隠してるけどちゃんと笑ってる?」

「あ、あぁ笑ってるよ。 面白い面白い」


 そう言って適当にあしらうが僕はビモっちゃんにこれをやられるとなぜだか笑いを堪えきれない、もはやお昼に焼きそばパンをチョイスした時点でフリでしかなく、そのフリでさえ僕は笑うのを堪えていたのに、直接オチを見せられたら笑ってしまうに決まっている、そして僕はなぜだかその顔をビモっちゃんに見られたくなかった。 


 ビモっちゃんは僕を笑わせて満足そうに自家製モンジャを飲み込んだ。

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