アイドルがいない世界
ばぐリスト
第1話 僕の不満
僕がこの田舎の港町に引っ越してきたのは小学四年生の時だった。
この町は漁業を経済の中心として町が成り立っている。
そのせいでこの地域の家庭の食卓にはよく魚料理がならぶ、土地柄というやつだ。
僕の通う高校へは自転車を二十分ほど漕がなければたどりつかない。
その間の景色だが右手には通勤ラッシュで行き交う車、左手には防風林として植えられた松林がある。
通学する度にその松の間から覗く海の汐風を容赦なく浴び続けなければならない。
朝の通学だろうがこの松林は薄暗くて不気味だ。
松の木の肌はゴツゴツして物によってはひどくうねっている、まるでそびえ立つ不気味な地球外生命体のようだ。
僕はこの場所で神隠しが起きたとしてもきっと驚かないだろう。
そのくらい僕には異質な空間に見えるからだ。
もし神隠しが本当に起きたのなら僕は心の中でこう叫ぶことに決めている。
ほら見たことか、やっぱり奴らの正体は松の木なんかじゃなかったんだ、地球を侵略するために植えられた地球外生命体だったんだざまぁみろ、と誇らしげに叫ぶんだ。
帰宅時の日が暮れた時なんかはその不気味さにより一層拍車がかかる。
明日は金曜日。
あともう一日学校で授業を終えたら土日は外に出なくてすむ。
あの不気味な風景を見ながら自転車を漕ぐ必要もなくてせいせいする。
だから僕は常に休みが待ちどおしい。
布団の中、携帯をいじっているとうつらうつらしてきた。
次第に視界から天井が消え携帯の画面の明かりも徐々にボヤけてきた。
そのうち携帯を持つ手に力が入らなくなってきたところで僕の意識は途絶えた。
「エイジ、そろそろ起きなさい」
僕の部屋の戸を叩く母さんの声に驚いて目が覚めた。
なぜなら毎朝僕を起こすのは母さんではなく携帯のアラーム音でなければならないからだ。
窓のカーテンからは光が差し込んでいた。
やってしまった。
昨夜、携帯をいじっている途中でうっかり寝落ちしてしまったんだ。
アラームの設定をONにするのを忘れてしまっていた。
高校生にもなって母さんに起こされてしまうなんて……。
僕は自分のことをもう大人だと自認していたので情けなさ、悔しさ、恥ずかしさがお腹の辺りから頭のてっぺんまで急激に込み上げてきて目が冴えた。
ピピピー、ピピピー。
「あーもう、今起きるとこだったのに」
僕は少しイラついた口調で母さんに言った。
「あら、そうだったの。 余計なことしたわね、ごめんなさい」
携帯のアラーム音は僕が故意に鳴らした。
今こそが僕の本来起きる時間だったのだと母さんに嘘をつくためだった。
高校生にもなって寝坊したという事実を僕は受け入れたくなかった、母さんには悪いがこうでもしないと僕の小さなプライドは保てなかった。
だが普段より起きるのが少し遅れたことは紛れもない事実、だから僕は急いで布団をたたんで足早にリビングへと向かった。
テーブルにはすでに見慣れた朝食が用意されていた。
白米に味噌汁に焼き魚。
こっちに越してきてから随分経つが肉料理が食卓にならぶ機会が減ったことは僕の思い過ごしではない、僕は魚より肉派の人間だというのに。
僕に用意された味噌汁からはすでに湯気が出ていなかった。
こんな些細なところでも僕は自分が寝坊したことを実感して目覚ましのアラームをかけ忘れたことにたいして自己嫌悪に陥った。
「どうした? 今日はいつもより起きて来るのが遅かったじゃないか」
そう落ち着いた低い声で僕に言うスーツ姿の父さんはすでに朝食を終えて鏡を見ながらネクタイを締めていた。
「遅いって言ったってたった十分ほどじゃないか、これくらい全然たいしたことないよ。 昨日疲れていて少しでも睡眠時間が欲しかったからいつもよりアラームの鳴る時間を少しのばしたんだ」
父さんに悪気がないのは分かっていたけどなんだか嫌味を言われているような気がして僕は少し反抗するような口調で言い返した。
「そうか…まぁ遅刻だけはせんようにな、父さんは先に仕事行くから」
父さんはそんな僕の気持ちを察したのか売り言葉に買い言葉が続く前に自ら話を切り上げた。
父さんは建設会社で営業マンをしている。
時間に厳しく真面目で冗談などはめったに言わない。
他人から見た父さんの人物像はよくいえば誠実、悪くいえば退屈な人間にうつるだろう。
だが僕の目にはそんな父さんが完璧人間に見えてかっこよかった。
僕も社会人になったら父さんのようになりたいと本気で思っている。
そんな完璧人間の父さんも最近少し疲れた顔をしている。
来年から消費税が上がることが関係しているらしく増税前の駆け込み需要の受注が多くて忙しいそうだ。
「お父さん、いってらっしゃい。 ほら、エイジもさっさと食べて学校行ってきなさい」
母さんはそう言って急かすが焼き魚をさっさとは食べられない。
急いで食べて喉に骨が刺さったりでもしたら大変だからだ。
僕はこれから不気味な風景の中を通学しなくちゃいけないのに、もしそうなったら朝から憂鬱のダブルパンチになってしまうではないか。
忙しなく身支度をして家を出た。
僕が寝坊したせいもあるが、朝食に食べずらい焼き魚が出たせいが大きい、おかげで遅刻回避のためにペダルを早く漕がなければならなくなった。
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