第47話 2人
「……ケツから血がでた」
冷たい便座の上で、トイレットペーパーを見つめながら、思わずつぶやいてしまった。言葉に出したとて、何も変わるものではないが、敢えて客観的に言うことによって、本能的にショックを和らげようとしているのだと自己分析する。
この場合、切れ痔であるか体内的な疾患であるかの判別はつきかねるが、ぜひ切れ痔であっていただきたい。と言うか、切れ痔であれ。
トイレからでると、そこには水無月さんがいた。20代そこそこの女性で、結構可愛いイマドキ女子だ。
彼女と今は同棲しているようなものだ。
いや、むしろ同棲している。
「おはようございます」
「……おはよう」
「ご飯食べました?」
「食べたよ」
と嘘をつきながら、クールに自分の部屋に戻る。
ドアを締めて一息ついて、自分の行動が20歳らしかっただろうかと自己分析する。
とりあえず、東京に赴任して数ヶ月が経過した。やっぱり、東京だったらシェアハウスだろうと、下北沢にシェアハウスを借りた。その間、何度も何度もテレビ番組を見返して、ああこんな感じかと予習もしっかりとした。ただ、そこでどうしてもハードルになるのが年齢問題。
そこでコペルニクス的発想が降りてきた。
ここは大都会東京。自分の素性など知る者はいない。しかも、誰も『いや嘘つけよオーバー30』なんてツッコむ間柄の人もいない。
と言うわけで松下。今年20歳になったばかりの若手は、気分新たに再スタートをきったという訳だ。『実年齢だとは言ってない。あくまで精神年齢の話だった』という法廷に立った場合の言い訳も用意して。
一応、同棲(シェアハウス)メンバーにも自己紹介を済ませて、とりあえず年齢について疑問を持たれることはない。最初はかなりドキドキして、テンションも上がっていたが、今ではバレたことに対する恐怖しかない。水無月さんにいつ『松下さんておっさんですよね』というツッコミを受けまいかとビクビクしながら生活をしている。
「はぁ……切れ痔の
そうつぶやいて。
常に不安を感じるシェアハウスから、外へ出る。休日ここにいるのは
よくない。近くのラーメン屋でも探しながら、ビールでも飲もう。そしてやっぱり、自分を偽って生きていくことはよくない。
横断歩道前で止まって携帯電話を開くと、新人賞の選考結果がアップされていた。
「ふ、ふざけんな……」
アレだけのテンションで書いたら、普通大賞だろうよ。そうでなかったら、最終選考でギリギリダメでした的な。二次落ちって、全然ダメじゃねーか。
人気作家への道は未だ遠い。どこで道を間違えて、ここまで来たのかはわからないけど。と言うか、いたるところで間違えてしまっている気が、しないでもないけど。
「はぁ……」
こんな時。
いつもいてくれるはずの子がいないってことに、大きくため息が出る。サトのユーチューブチャンネルはすべて岳に任せてあるので覗いていない。もともと、イタリア料理店のHPとかも自分でやっているようだったからそこまでは心配してはいないけど。
気がつけば、駅前まで歩いてきていた。
「……いるわけないか」
そこは、前のとこより人も多くいて、路上ミュージシャンもいっぱいいるけど。自分にとっては、ここは自分の居場所じゃない。
素直に戻ってやり直したいって思った。20歳からやり直せたら、きっともっと明るい性格を演じて、彼女なんかも作って。で、友達とたこ焼きパーティーなんかして盛り上がって。クラブなんかも行って、朝まで踊りあかして。
でも。
そんなことをして過ごした先に、きっとアイツはいなかっただろう。ひたむきで真っ直ぐで、今にも壊れそうなくらい自分の気持ちに正直に生きているアイツは。こんな寒空の中でも、きっと一人でも夢に向かって頑張っているようなアイツは。
「バカだよ……」
そんなことをつぶやいて、引き返す。高架下を歩きながら、ストロング酎ハイを飲む。屋台のおでん屋なんかあったら最高だな。そんな風に思いながら。
そんな時。
「サト……」
いるはずもないアイツが。
なぜか、いた。
なぜか、東京に。
なぜか、息をきらしながら。
「はぁ……はぁ……松下さん」
「……」
「はぁ……はぁ……一度しか言いませんから、よく聞いてください」
「……」
「私ーー「ゴトンゴトン! キューーーーーーーー」
「……」
「……」
「えっ、ごめんもう一回。電車の音で聞こえなかった」
「……っ゛」
強めのドロップキックを喰らった。
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