第46話 サト
瞳を上げた先には、年輩の方が立っていた。いや、おじいさんといった方が正しいだろうか。歳はかなり高齢だと思うが、格好が高そうなスーツでお洒落な感じを醸し出している。
「ご、ごめんなさい……ありがとうございます」
そう答えながらアタフタと、ギターを構える。まさか、泣いているところに演奏を依頼されることなんてなかったから、心の整理がついていない。
おじいさんはしゃがみこんで私のことをずっと待っていてくれた。
「慌てないで大丈夫だから。ゆっくりと落ちついて」
「……はい。どんな曲がお好きですか?」
「今、君の気持ちに合う曲をお願いします」
「……」
今の気持ち。
今の……私の気持ち。
あの人が私にくれたもの。
あの人が私から奪い去ったもの。
それは、まるで走馬灯のように駆け巡って。
私は歌った。
・・・
やがて。
おじいさんから、小さな拍手を贈られた。
「ありがとうございました」
「完成度は低いね。抑揚も大きすぎる……それじゃ、観客は聞き苦しくなってしまうよ」
「……はい」
「でも……今はまだそれでいい」
「え?」
「私は音楽事務所をやってる藤堂と言います。君をスカウトしたい」
そう言って名刺を手渡してきた。
*
アミューズドエンタープライズ(株)取締役社長
藤堂 雄二
東京都世田谷区×××××××××
*
「……詐欺ですか? 私、お金ないです」
そんな夢みたいな話が転がっている訳がない。だいたい、この人の言った通り今の演奏は最低だった。感情的で、独りよがりで。なのに、それを聞いてスカウトっておかしな話だ。
「ふふふ、もちろん詐欺じゃないよ。一応、あなたの上司……イタリア料理店の塚崎岳さんの許可は取って来てますから。後で、彼に聞くといい」
「えっ……」
訳がわからない。なんでこの人は店長を知っているのか。
「これ、君だろう?」
おじいさんはそう答え、携帯の画面を見せてくる。
そこには、私が演奏している光景が映っていた。
「私の趣味のようなもんでね。一応、10万再生以上しているものはチェックしてるんだ。このときの歌はいい。肩の力が抜けて、自然体で……いいカメラマンさんだね」
「……」
「他の曲も聞かせてもらって、すぐに載ってる連絡先……塚崎岳さんのところに電話したんだ。おおむね、事情は聞かせてもらって、この場所も彼から教えてもらった。これで、少しは信頼してもらえるかな?」
「……あの」
もちろん、すごい話だってことはわかっている。多分に怪しい話でもあるが、同時に信憑性も湧いてきた。
でも、私の脳裏にはそのことじゃなくて、あの人の……松下さんの顔が焼きついて離れなかった。
「答えは後日でかまわない。塚崎さんともよく相談して、ぜひ前向きに検討してもらえれば。まだ未熟だけど、君はきっと凄くいい歌手になる。ぜひプロデュースさせて欲しい」
そう言い残して。
おじいさんは去っていった。
そして。
気がつけば、走りだしていた。
「はぁ……はぁ……」
自分の気持ちに素直になるっていうのはなんて難しいことなんだろうか。意地、見栄、恐怖、不安……そんなものがいろいろとのしかかって邪魔をする。本当にやりたいことを、あきらめてしまうくらいに。心の底から会いたいという想いもあきらめてしまうほどに。
それは、何度だって松下さんが言ってたことだ。それじゃあ、ダメなんだって、自分の気持ちに正直になれって、何度も何度も。激しく勘違いの可能性もあるけど、何度も何度も……
「はぁ……はぁ……お邪魔します!」
「さ、サトちゃん?」
イタリア料理店のドアを開けたら、岳さんが後片付けをしていた。
「はぁ……はぁ……動画……見ました」
聞きたいことが、息ぎれでかき消されていく。あの動画は松下さんが撮ったんですか? なんで、岳さんがこの動画を持っているんですか? あの人は……松下さんは今、どこにいるんですか?
「……ああ。最後に松下に頼まれたんだよ。『ユーチューブのアドレスとパスワード渡して。収益はサトちゃんの口座に入れといて』って」
「……」
松下……さん。
「一応、発覚したときの伝言も受け取ってるけど、聞く?」
「……はい」
松下さん。
「まあ、そんなに大したことじゃないんだけどね。『善意からの行動なので、くれぐれも訴えないこと。俺は無実だ』……以上」
「……えっ、それだけ?」
「うん」
「……」
「……」
・・・
まーつーしーたー!
「今、どこにいやがるんですか」と私は聞いた。
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