第36話 同情と共感
今日は午前中フレックスなので、午後出社だ。朝、なにげなく起きて、なんとなく散歩してみる。空を見上げると群青。雲ひとつないそれが、綺麗だと思ったのはいつ以来だろう。
冷たい風とポカポカした日差しがいい感じにマッチしていて心地いい。
いや、10年以上、そんなことすら忘れていた。
夜。視力が悪いから星が見えないが、おそらく星が瞬いているだろう空の下。駅前で、サトの演奏を聴く。
「今日の空って綺麗でしたよね。真っ青で」
と同じような感想を持ってくれることに少しだけホッとしながら、
「気分が悪いんじゃないんだから。『真っ青』というより『群青』だろう」
「群青ってどういう意味なんですか?」
「知らん」
「……」
「でも、いい言葉じゃないか?」
「……そうですね。群青。いい言葉ですね」
なんてやりとりをしながら、サトは歌詞カードになにやら書き始め、俺は俺で携帯に文字を打ち込み始める。
「……」
サトの頭をなでてみる。
「な、なんですか急に」
真っ赤になる顔が可愛い。
「なんとなく」
「……やめてくださいよ、いきなり」
「やだった?」
「別に……嫌じゃないですけど」
消え入りそうな声で答える少女に、声にならないお礼を言った。
会社の同僚や友達や家族に『空が群青色で綺麗だったこと』なんて話はしづらい。もしかしたら、わかってくれる人もいるかもしれないが、なんとなくしづらい。
多分、現代ではそれがインスタやツイッターで。『いいね』ってやつで共感を得たりしてるんだろう。自分が感じた感覚を他人に共有したくて。
「今日の松下さん……なんか変です」
「ん? どこが?」
「なんとなく、松下さんじゃないみたい」
「なんじゃそりゃ」
「別に……いいんですけどね」
そう言いながら、そっぽ向いてサトは再び歌詞カードになにやら書き始める。
「……景色なんて今まであんまり興味なかったけど、いいもんだな」
「そりゃそうですよ」
「少し……いや、かなり忘れてたよ」
目の前のことに必死になりすぎて。思えばずっとそんな生活を送ってたのかもしれない。犬とかいると、散歩するから気づくんだろうけど。
「……今、気づいたんだからいいじゃないですか」
サトはそんなことを言う。
「まあな」
そのことを気づかせてくれたのは、間違いなく目の前の女の子だ。絶対に言わないけど、感謝しても足りないくらいの想いがある。絶対に言わないけど。
「今日はいつになく素直ですね」
「だって、人間だもの」
「……いきなり『みつお』ぶち込んでくるあたりが、松下さんらしいですよね」
「だって、ビールが、美味しいんだもの」
「by松下、じゃないんですよ!」
盛大にツッコミを入れられたところで、サトはギターを弾きだす。
「……」
あと、どれくらい一緒にいられるだろうか。時は無情だ。立ち止まることを決して許してはくれない。サトはサトの日々を送るし、俺は俺の日々を送る。
瞬きのように交わった日々が自分にとってはすごくいとしくて、哀しい。あと、二年……一年……いや、半年かもわからない。
小学校、中学校、高校生、大学、数多く出会いと別れを繰り返して、結局は一人で歩くことになった。自分にはこの道しかないって決めて、あがいて、もがいて、ここまで歩いてきた。
そんな中、サトに出会った。自分よりも心細そうに、それでもまっすぐ前を見据えて。それが、まぶしくて、たまに直視できなかったり。
でも、それもほんの一瞬のことでしかない。サトにとっても、俺にとっても。きっと、どこかで別々の道を歩く時が来るはずだ。
「……松下さん?」
「ん?」
「泣いて……ます?」
そう尋ねられて、初めて気づいた。自分の頬につたう雫に。
「なんか……いい曲だったよ。俺は、そう思う」
「ありがとうございます」
「……」
「松下さん」
「ん?」
「なんかありました?」
「……ないよ」
なんとなく哀しい気持ちになってしまったなんて。目の前の女の子との別れを連想して、涙してしまったなんて死んでも言えない。
「言ってくださいね」
「なにを?」
「嬉しいこと。笑えたこと。怒ったこと。つらいこと、悲しいこと」
「言ってるよ」
「もっと言ってください」
「……言ってるって」
そう答えながら。『行かないでくれ』って言葉が喉まで出かかった。こんな若い子に、今にもすがりつこうとしている自分に
『私、松下さんのこと、大好きですから』とサトは言った。
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