第34話 正月
お正月。新年の始まりの日。そんな日だというのに、いつものように起きて、いつものように別におせちでもない朝ごはんを食べて、いつものように歯を磨く。初夢は見なかった。
ギターを持って、キャップをちょっとだけ深めに被って外に出る。そして、これもいつものこと。年初めだから、やっぱり新しい気持ちで迎えたいのは山々なのだが、いかんせん誰とも会わない。家には、おせちもないし、振袖もないし、年賀状もない。無論、お年玉などもない。
「だから、ください」
駅前で、目の前の松下さんに手を差し出す。
「……お前の心の声聞こえてねぇから、なにが『だから』なのかよくわからないんだが」
「お年玉」
「嫌だわ!」
「なんでですか?」
「……むしろ、なんであげないといけないのか知りたいのは俺の方なのだが」
「だから、お正月っぽくないじゃないですか。いつもどおり駅前でギター弾いて、いつもどおり松下さんがここでご飯食べてて」
「ストロングレモン酎ハイも飲んでるぞ」
「うるさい」
「て、てめぇ」
「そんなんお正月じゃなくないですか? 普通は、羽子板やったり、凧揚げしたり、神社にお参り行ったり、振袖とか着て甘酒飲んだり」
「……そこで、お前は迷わずお年玉を選ぶわけだな」
「はい」
「……あげられない」
少し考えた松下さんが、まったく予想どおりの答えを返してきた。
「ちょっとくらい、いいじゃないですか」
「サト、俺はお前のことは28歳だと思っている」
「違いますけど」
見ればわかるでしょう。
そして、突然なんなんですか。
「しかし、万が一、億が一、お前が未成年だったら、青少年育成条例に抵触する恐れがある」
「……バリバリ法律恐れてるじゃないですか」
というか、バリバリ未成年です。
「ふっ、完全犯罪成立」
「もはや『犯罪』って言っちゃってるじゃないですか」
自覚症状ありの危険なおっさんだ。
「だから、俺は基本的にお前には金銭の授受はしない。今後もそのつもりだし、警官にもそう答えてくれ」
「もう、補導されちゃってる前提じゃないですか」
逆に、なんか、清々しい。
「まあ、お年玉はあげられないが、バドミントンくらいだったらやってもいい」
「な、なんでバドミントンなんですか?」
「羽子板が家にない」
「正月感出したいんですよ!」
「トランプやる?」
「カルタないからですか!?」
「だいたい、正月っぽいことなんてみんなやってるか?」
「やってますよ。周り見てたら、振袖着てたりしてるじゃないですか」
「まぁ、着る人もいるけど着ない人もいるじゃん」
「……そりゃそうですけど」
身もふたもない人だ。松下さんは本当に身もふたもなくて、平常運転。私といえば、なんかムキになっちゃってるのかもしれない。以前は、別にお正月なんて、なんとも思わなかったけど。
でも、今はそう思えるから。ちょっとくらい、いつもと違うことしたいって、そう思えるから。
「……神社にお参りでも行くか?」
「えっ?」
「神様に願い事でもして、お賽銭投げて、くじ引き引いて、甘酒でも飲めば、さすがにお正月って感じだろう?」
「行く。行きます」
すぐにギターをしまって、支度をする。
「……それ、持ってくんのか?」
「当たり前じゃないですか」
これは、私の武器であり、相棒であり、夢だ。むしろ、神様にもキチンとご利益をもらわないといけないので、持ってかないという選択肢はない。
それに、いい曲のイメージがいつ降りてくるかわからない。そんなときにギターがないと困ってしまう。
「まあ、好きにしたらいいけど、さすがにここからだと結構歩くぞ?」
「いいです」
それでも、初詣に行けるんだったら。
「……ちょっと待って」
そう言い残して、松下さんはコンビニへと足早に入って行った。
・・・
「ほい、おせちと雑煮。食おう」
「わあっ」
「……コンビニのおせちで、そんなに喜ばれるんだったら作った工場の人も本望だろうよ」
「えっ、えっ、私も食べていいんですか!?」
「さすがに俺も一人でおせちなんか食べたくないよ……お前にカマボコの良さがわかるかな?」
「……この卵焼きみたいなやつなんですか!?」
「伊達巻き」
「おっいしっ!」
甘さがじゅわっと染みて、なんとも表現のしようのない旨味が広がる。どっちかと言うと、牛乳に染み込ませた上質なカステラみたいだ。
「……これも美味いぞ?」
「これ、なんですか!?」
「数の子」
「……はぁ、なにこれ」
コリッコリッとした食感で、きめ細かな粒の舌触りがなんとも言えない。醤油と独特のしょっぱさが絡み合って、口の中で旨味が広がっていく。
「カマボコはどうだ?」
「おいしい」
「感想が淡白っ!」
どうやらイチオシをあまり評価してこない私に不満のようだ。
「松下さんも遠慮しないで食べてくださいよ」
「遠慮するのはむしろお前の方だと思うが」
「まあまあ」
「……そう言いながら、さりげなく黒豆を小皿いっぱいにしてきやがったな」
「黒豆おいしいじゃないですか!?」
「じゃあ、なぜお前はいっさい黒豆を口にしない」
「その切り干し大根みたいなやつもいいですよ」
「……完全に残り物押し付けとるやんけど。そして、お前は典型的なお子さまの口だな」
「お年玉ください」
「黙れ」
そんなことを言い合いながら。
もう、振袖のことなんてすっかり忘れていた。
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