第33話 クリスマスイブ
空には雲が降りかかって、月は見えなかった。
「ふぅー……寒っ」
そう言いながら、手を擦って駅へと向かう。歩いていると、見えてくるイルミネーション。最初の頃は若干テンションも上がったが、今ではかなり見慣れてしまった。いつもの定位置で座って、ギターをカバーから取り出して弾き始める。
そして、相も変わらずに誰も止まらない。まあ、今日なんて日は、もちろん誰も止まらないだろう。耳を澄ましてくれる人はいるから、それだけでも歌う価値はあるのだが。
「うーっ……いててっ」
3曲ほど弾き終わったところで、手がかじかんできた。空をもう一度見ると、なんだか雪が降ってきそうだ。
「……お前、寒くないわけ?」
呆れ顔で近づいて来てくれるのは、松下さん。私よりはるかに凍えそうな仕草をしながら、両腕をガッチリと組みながら、白い息を吐きながらコーンスープの缶を持ってきてくれる。
「あ、ありがとうございます」
缶を持った途端に、ジワっと温もりが込み上げてくる。10秒ほど両手で遊ばせた後、フタを開けてちょっとだけ飲む。
「ふははははっ、せいぜい恵みに感謝するがよい」
「……はぁ、あったかいです。本当に助かりました」
「こんな夜にもギター弾いても誰も止まらんだろ」
「止まらなくても、聞こえてますから」
「ふーん……そんなもんかね……う゛ーーっ、寒い寒い……」
そう言いながらも近くのガードレールに座って、携帯を取りだす。
「……聴いてくれるんですか?」
「野暮だな。いちいちそんなこと聞くなよ」
「……」
松下さん。
「……マジかと思ったよ」
「えっ?」
「上司だよ上司。あれは、マジでいっちゃっている。脳みそがマジでいかれているわ」
「……」
「いや、百歩譲って自分ができるなら従うよ。でも、言うだけだから。口だけなんだから本当に。俺の作った資料に『こりゃ酷いな』とか呟いてくるんだよあのクソ上司は」
メキメキっと、松下さんがブラックコーヒーの缶を握りつぶす。
「……」
「会社の利益に一円たりとも関係ないことに、一時間近く説教受けて。明朝体かMSゴシック体とか気になる?気になんないでしょ? 気になったとしても、それが何か!? 一時間説教する意味ある? 正式な書類じゃなかったらいいでしょ? 報告資料だよ? お前が我慢するか、お前がサッと治せば済むじゃん。そんな、付加価値のないことに、お前の上司としての価値があるとでも思ってんの? 本当に、思ってんの?」
「……あの、松下さん」
「ん?」
「もしかして、愚痴言いにきました?」
「他になにがある?」
「……」
ま、松下さん。
「いや、今日ってなんの日かわかってんのかって話だよ」
「……クリスマスイブ」
「だろ!? 恋人たちが甘い夜を過ごしているときに、家族たちが暖かなストーブの部屋でチキン食べてるときに、子どもたちが『サンタさん、くるかな』とかってソワソワしてるときに、俺は明朝体かゴシック体かで説教受けてるんだよ!? 誰だって、『こいつマジか?』って思うだろう?」
「……私は、いま、松下さんに『こいつマジか?』って思ってますけど」
「だろ?」
「……」
こいつ、マジか。
「ふぅー……とりあえず、コーンスープ分愚痴ったらスッキリしたわ」
「あの差し入れはこの分だったんですか!?」
「他になにがある?」
「……」
こいつ、マジか。
と思った時点で、松下さんが立ち上がって去って行く。
「あっ、メリークリスマス」
聞こえたかどうかはわからなかった。そのおっさんの背中には、なんの変化もない。せめて、『あー』とか声を出してくれたり、腕を少しくらいあげてでもくれたら、わかったのに。
「はぁ……」
愚痴おっさんが去った後、なおさらさっきよりも寒くなった気がしてきた。松下さんの言う通り、クリスマスイブになにをやっているんだろうと言う話だ。
私の家にクリスマスイブの行事なんてなかった。当時、母はキャバクラで男と過ごしていたし、チキンなんかも給食でしか食べたことがなかった。世間一般でも、そんなもんなのかと思ってて、実は普通の家族が大々的なイベントをやると知ったときは、さすがにショックを受けたもんだったが。
こうして見ると、恋人たちが歩いてたり、足早にサラリーマンの人が帰っていたり、やっぱりクリスマスイブはクリスマスイブなんだと思い知らされる。
「……なにを途方にくれてるんだ?」
「ま、松下さん? 戻ってきたんですか?」
「なんだよ、悪い?」
「悪くはないですけど、まだ悪口言い足りないんですか?」
「……ほら」
そう言って、松下さんはコンビニのチキンを5個セット持ってきた。
「……」
「いや、家にご飯があるなら俺が食うけど」
「……ないです」
「じゃあ、食おう。あと、これ」
「……」
こっちもコンビニケーキ。
それから、ストロングレモン酎ハイを取り出して座る松下さん。
「せっかくクリスマスイブだから、これ食いながら一曲頼むよお嬢さん」
「……はい」
そう返事をしながら。
空を見ると、雪が降り始めてきた。
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