第32話 東京


「東京行ってきた」


「なにしに行ってきたんですか?」


「……東京、行ってきた」


「それは、さっき聞きましたけど」


「あれ、おかしいな。路上ミュージシャンなんてやってるやつはみんな東京に憧れてて、東京ってワード出したらイチコロだって言ってたけど」


「松下さん、動揺し過ぎて全部心の声が漏れ出ちゃってますけど」


「なにを隠そう、タピオカ黒糖ミルクティー飲んできた」


「タピオカってなんですか?」


「……」


 な、なんて東京甲斐がない小娘だ。せっかく、東京に行ってきたのに。せっかく、東京に、行ってきたのに。


「……パンが800円した」


「高っ! どんなパンなんですかそれ!?」


「……」


 東京よりもパンの方が関心が高いなんて、路上ミュージシャンの片隅にもおけない。


「時代は変わったな。東京がパンに負けるなんて」


「そもそも比べる対象じゃないんだから、結果、『なに言ってるの?』って感じですけどね」


 そんな小娘の妄言はともかくとして、実は東京自体に思い入れはそんなにない。ただ、リリー=フランキー著作の『東京タワー』は、初めて小説を読んで電車の中で人目はばからずに号泣したことがあるくらいだ。


「そもそも東京にいったいなにがあるのか、私にはよくわからないです」


「はぁ……そんなもんかね」


 どんな人だってそうだって思ってた。若い頃は東京行って、有名になって、テレビに出て。多かれ少なかれ、みんなが東京に憧れていると。


 東京には、そんな引力があるって思っていた。人を惹きつける引力が。それは、決して理屈じゃなく人のさまざまな想いをまとって、呑み込んで。そして、それはいつまで経っても変わらないと思っていた。東京はあくまで東京で、東京として生き続ける。自分の中でも他人の中でも東京として。


 でも、違うんだ。


 もう違ってきているんだ。


「松下さんは、東京に行きたかったことってあるんですか?」


「あるよ。就職活動のときは、結構、東京を中心に受けてたな」


 今でも忘れられない。あのガラス張りに張り巡らされたビル群を。自分はこの大都会で、一人で頑張って行くんだって燃えてた頃を。深夜バスで東京に降りたときの高揚感を。なぜか、自分はここに求められているんだという不思議な感覚。


 でも、面接で落ちまくって、結局は地元の会社に就職した。めでたく就職が決まったときには、とりあえずホッとしたけど、それでも少しだけガッカリして。


「……私が行ったことないからかな。全然、ピンとこないや」


 そう答えて、サトはギターを弾きだす。


 価値観って、不思議だ。


 特にだけど、サトにはそんな浮ついた気持ちがない。路上ミュージシャンなんてやってるのに、キチッとまじめに働いて。夢を見ているのに浮ついていない。


「サト……いつか東京行けよ」


「なんでですか?」


「わからん」


「な、なんですかそれ……」


「多分さ……みんな、わからないんだよ」


「……」


「東京に行く理由。きっと、そんなものなくて。でも、人を好きになるのだって理由なんてなくて。だから、東京に行くのだって、それを見つけに行く。そうだっていいんじゃないかな?」


「……」


「いつかでいいよ。今は、全然行きたくなくて、興味もないかもしれない。でも、いつか東京に行きたくなったら、理由がないからって、そんなの関係ないから」


 人がなにかしたいのに理由がないように。人が人を好きになることに理由がないように。人がどこかに憧れを抱いて行きたいってのも、理由なんかなくったっていいはずだ。


「……わかりました。松下さんがそう言うなら。いつかですけど、そんな風に思ったらなにも考えずに行ってみます」


「うん。じゃあ、ご褒美をやる」


 そう言ってリュックサックからお土産を取りだす。


「あっ! 東京バナナじゃないですか!?」


「なんだ、知ってるのか?」


「この前、岳さんが家族旅行でのお土産とかって買ってきてくれてました! 美味しいんですよねー、これ」


「……おい、なぜお前のポケットにガンガン入れだす?」


「えっ、だってくれるんでしょう?」


「普通、一つか二つだろ! 会社にも配るんだから」


「ん゛ーっ……東京行きたくなってきました」


「そんなんで!?」


 俺の東京プレゼンはなんだったんだ一体。




















 いつか一緒に行きましょうと、サトは言った。


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