第31話 東京出張
上京。若者の憧れである東京タワーは今や『古き良き時代』を現すシンボルになりつつあるだろうか。しかし、それでも東京に降り立つと、どこか心が浮ついてくる。
「東京ですね! 松下さん、東京ですね!」
「……うん」
入社2年目の桐谷さんが、猛っている。
ああ、これが出張じゃなかったらなぁ。とは言え、仕事でもなければ彼女みたいな若い子と東京なんてこれないので、どっちがいいかは微妙なところだ。
本社での報告プレゼンのため、出張だ。しかも日帰りではあるが、今日は金曜日なので、自費でホテル代を出せば土日も東京観光ができるという。
ちなみに、20代の頃は意味もなく秋葉原に行き、名物でもないローストビーフ丼を食い、メイド喫茶に行き、立ち食いの焼肉屋でビール飲んで酔っ払っていた。30歳を過ぎて、同じテンションでまったく同じことを全然できてしまう自分が逆に恐ろしいが、きっとまたしても意味もなく新宿あたりで酔っ払っているのだろう。
「とりあえず、喫茶店でも入ろうか?」
「美味しいパン屋がいいです」
「……そう」
知らん。東京の美味しいパン屋なんて、知らん。と言いたいところだが、おっさんに誇れる数少ないものの一つは経験なので、ちょっとトイレに行くと見せかけてグーグルで検索する。
地図を軽く頭に入れた後、さも自分が知っているかのように道案内していく。
「あっ、ここだ」
『三池さんが手作りしたこだわりミートパイ』680円。『大地の実りをふんだんにまぶした胡桃パン』460円『世界を詰め込んだチーズとハムのオーケストラ』840円。等など……
ーーええっ、高っ。
心の底から思った。なんだ、ここは。東京は物価がエラいことになってるのか。ハイパーインフレーションか。ジンバブエか。
「た、高いですね」
「そうかな。普通じゃない?」
俺が答えた声は、震えていなかっただろうか。とにかく、東京熟知風を装い、『三池さんが手作りしたこだわりミートパイ』680円をトライに置く。
「わぁ、すごーい」
そんなことを口ずさみながら、桐谷さんはガンガンお高めなパンをトレイに置いていく。
「……っ」
平静を装いながら、『おい、マジかよ』と心の中でつぶやく。
そして、会計時に『あっ、一緒で』と言って一万円札を出す。
俺の声は震えてはいなかっただろうか。
「えっ! いいですよ、そんなの悪いです」
「いいからいいから」
「でも、私いっぱい取っちゃったし」
「いいって、そんなの」
「……はい、ありがとうございます。ご馳走さまです」
という定例的なやりとりをこなす。実際、後輩分まで金を出すことなんて痛くもなんともない。しかし、そもそもパンに千円以上だす文化がないので、恐れ慄いている。
それと、この『奢りの文化』は果たしてコスパ的にはどーなんだろうと思わず考えてしまう時がある。
上司からよく缶コーヒーを奢ってもらうのだが、そんなとき上司に感謝するかと言えばそうでもない。むしろ、気をつかうのでそんな文化がなくなることを心から願っているが、実際にはそれをやってしまっている自分がいる。
奢る方も、むしろ気をつかうなら奢らない方がいいと思うが、それを実践しているサラリーマンは少ない。
歳をとっていくと、ある種の見栄ができてくる。失われていく若さに対抗しようと取り繕って、ごまかして。そうやっていけばいくほど、他の人のことに目がつく。『なんで、お前はやってないんだ?』とか。『お前は、入社何年目だ?』とか。
それが大人になると言うことだったら、確かに大人になんかなりたくない。
でも、気がついたら、もう自分も立派な大人の仲間入りをしていた。
「……なに、考えてます?」
桐谷さんがタピオカ黒糖ミルクティーを飲みながら聞いてくる。
「いや別になにも」
奢らないようにしたいけど、できないなんて死んでも言えない。
「松下さんて、仕事終わったらどうするんですか?」
「んー。まぁ、カプセルホテルでも泊まって適当に酒飲んで寝るかな」
「ら、ラフですね。どっか観光とか行かないんですか?」
「美味しいご飯とか食べに豊洲市場に行ったことあるけど、行列がエグくて断念した。まあ、東京だったら大体美味しいもの揃ってるから適当に飲むよ」
「そ、そうですか。あの、私ーー」
「ああ、終わったら自由行動だから。好きにしていいからね」
「えっ……じゃ、じゃあ松下さんの行く店連れてって欲しいです」
「いや、いいよそんな無理しなくて」
「む、無理なんてしてません」
「はいはい。とにかく自由ね」
さすがに、こんなおべっかを鵜呑みにするほど愚かじゃない。桐谷さんは体育会系なので、とにかく後輩は先輩についていくべきだろうと考えている節がある。
自分と同じで先輩の晩酌など、せっかくの東京にあり得ないだろう。
「……嫌ですか、私といるの?」
「楽しいよ。でも、ありがとう。自由行動で」
桐谷さんはどことなく寂しそうな様子だった。
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