第30話 モンテビアンコ
秋だというのにこの店にはまったく情緒がない。サトが出てきたので、「せめて、デザートにモンブランでもつけやがれ」と言ったら、「イタリアではモンテ・ビアンコと呼ぶんですよ」とよくわからないウンチクを得意げに披露されて、正直すごくどうでもよかった。
やがて豆知識少女は、豆がこだわりと言い張る珈琲と明太子クリームスパゲティを置いて去り、なぜかシェフの岳が腕を組んで俺の横に立つ。
「なんでお前が出てくるんだ? はよ、新内さんをよこせ」
「キャバクラじゃねーんだよ。ここは、イタリア料理店だ。嫌なら帰れ」
明らかに俺を客認定していないのか、岳は乱雑に水を置く。
「そうは言っても、わざわざシェフがでてくるまでもないだろうが。店員をだせ、店員を」
「料理を食べろ。さっさと、料理を食べやがれ」
と一向に店員を派遣する気がないので、あきらめた。言われるがままに、明太子クリームスパゲティを頬張る。
岳は大学を卒業してから、商社に勤め始めた。そこが、結構なブラックだったらしく、2年ほどで辞めて、イタリアへ留学した。そこで、シェフになって、今の奥さんと結婚して、3年前に日本に帰ってきて店を開いた。
結局、ブラック企業に勤めていてもいなくても、プラスかマイナスかは本人次第ということだろう。現に自分が働いている会社はとんでもなくホワイトで安定してるが、悪く言えば緩急がない。
良くも悪くも、友達というのは自分の状況を図る一番のバロメーターだ。岳や他の友達が、結婚したり、転職したり、子どもを産んだりしているのを見ていると、ときどき眩しくて直視できなくなるときがある。『それに比べて自分は』などと思ったことはないと言うと嘘になる。
「お前とサトちゃんて今どうなの?」
「どうなのって、どうなの?」
「俺が聞いてるんだが」
「……相変わらずというか、変わらずだな。変わりようもないし」
会社から帰って、駅前でサトの曲を聞いて、それだけ。たまに、ストロングレモン酎ハイを飲みながら、ツマミを食べる。それだけの間柄であって、それ以上でもそれ以下でもない。
「それって演者と観客ってことか?」
「それ以外になにがある?」
「……本当にお前は変わらないよな」
「お前はそればっかだな」
岳はよくそんなことをつぶやく。それは、いつも皮肉で、しばしば嫌味で、たまに自慢で、ときどき本当だ。
一生変わらない人間がいるのだろうか。いるとして、その人間はどんな顔をしているのだろうか。永遠を得られて笑っているのか。不朽を偲んで泣いているのか、不条理な神に怒っているのか、いや……ただ、その
「彼女はさ、変わるってことを恐れてるように思うんだ」
「……どう言う意味だ?」
「お前……覚えてるか? 高校3年生の頃、自転車こいでる中途中の公園に止まって。お前と市川と、ベンチで話して」
「……」
市川も高校の頃の友達だ。特に用事もないのに、集まって、笑って、話して。そのときの会話の内容なんて覚えちゃいないけど、ただ楽しかったことだけは朧げに覚えている。
「サトちゃんがお前のこと話すときって、なんかそれに似てたんだよ。『意味わかんないです』とか言ってても、やけに楽しそうでさ」
「……」
あ、あいつ意味わかってなかったのか。
「そのとき、ふと、あの頃のことを思い出したんだ」
「なんだよ、それ」
「……なあ、松下」
「……」
「きっとあの頃と同じなんだよ……だからさ、あんまり……」
「 ……」
「いや……いい。忘れてくれ」
「わかってるよ」
岳の言いたいことは、自分でも理解しているつもりだ。きっと、この関係はいつまでも続くものじゃない。どんなに繋がってるように思えても、どれだけわかり合えていたとしても、歩く道が違えば、それはいつか思い出になる。
今がどれだけ楽しくたって、いつか思い出に変わるものだから、あんまり心を寄り添わぬように、岳は俺に言おうとしたのだ。サトの心配というよりは、俺の心配をして。
孤独というのは一人でいるときには気づかない。一人になったときに感じるものだ。もうこれ以上、孤独になりようもないとき、不意に出会ったのがサトだった。
あいつは俺に一人であることの寂しさを与え、二人でいるときの暖かさをくれた。あいつは俺に孤独を奪い、孤独であることの恐怖を与えた。
「……すまん」
「謝んなって……わかってるから」
たとえば、数ヶ月後にサトと離れることがあっても、きっとサトは大丈夫だ。でも、自分はどうだろうかと思うと、平常でいられる自信はない。もう、一人は寂しい。一人っきりになるのは寂しい。
だから、岳は俺に言うのだ。これ以上、心が壊れないように。これ以上、寂しい気持ちに襲われないように。
だから……
大丈夫だって、俺は自分に言い聞かせた。
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