第29話 雨
「……はぁ」
雨は嫌いだ。なんか、ジメジメしてるし冷たいし、どこか生暖かい。『ローマの休日』の店内思わず陰気が漏れてしまう。
「ため息なんて珍しい」
新内さんが隣でつぶやく。
「だって雨ですもん」
「ねーっ」
「……」
……それだけ!?
天気の話題における新内さんの関心度は低い。しかし、私も雨の必要性は理解しているつもりだ。確かに雨がないと、農家の方々は困るだろう。地球がますます砂漠化している昨今、なにを贅沢なことをと言われるかもしれない。
それでも、雨が降ったら路上ライブはできない。やんだとしても、翌日に地面が濡れていて、まぁまぁ気分が悪い。
そんな憂鬱な中でも、この店内にお客さんたちはやってくる。なぜなら、ここは結構な人気店。まあ、忙しい方が時間が早く過ぎていいほどのだが。
カランカラン。
「きちんと働いているか?」
「あっ、松下さん。なにしに来たんですか?」
「……飯食う以外になにかあるのか?」
「ないです」
「じゃあ、飯を食いにきた。さっさと案内しやがれ」
「……」
なんて可愛げのない。
しかし、そうは言っても客は客なので、いつもの定位置だと言い張るカウンターの席に座らせる。
「ご注文は?」
「いつものやつ」
「ちょっとわかんないんですけど」
「……怠慢」
「あなた、2回くらいしか来てないですよね!?」
「じゃあ、ランチ」
なぜか不満げに言われたのは、逆に私が不満だったが、なんとか我慢してオーダーを受けた。
「ねぇねぇ、サトちゃん! サトちゃんサトちゃん」
新内が、興奮した様子で肩をガッと掴んでくる。
「ど、どうしたんですか?」
「ま、松下さんがいる……」
「そりゃいますよ」
むしろ、週に3日は駅前に出没しますよ。
「……どうしよう」
「どうしようもなにも」
むしろ、どうするんですか。
「ふぅ……とりあえず、仕事しましょう」
一度だけ深呼吸して、やっと新内さんは落ち着きを取り戻した。
「松下さんのところに料理持っていきます?」
「む、無理!」
なんて可愛いことを言う生き物なんだと、同性にも関わらず、思わず抱きしめたくなってしまう。
というわけで、私が松下さんのところに料理を持っていく。
「お待たせしました」
「……はい、ありがとう」
とちょっと面倒くさそうにお礼を言って、明太子クリームスパゲティ食べ出す。
「美味しいですか?」
「俺、もう最近あんましまずいもの食べたことない」
「……そう言えば私もですね」
昔の給食はまずいものも食べていた気がするが、最近は美味しいものしか食べていない気がする。
「舌がいろいろと許していくんだろうな」
「でも、この明太子クリームスパゲティがすごく美味しいことは事実なので、素直に美味しいって言った方がいいと思います。そういう風にできないのは、寂しいですよ」
「……」
どうやら、グウの音も出ないようだ。
「さもしいですよ」
「……」
「意地汚いですよ」
「……」
「底意地が悪いですよ」
「さ、さすがに言い過ぎだろ!」
と流石に反抗してきたので、この辺で許してやった。
「とにかく、俺が食べてるところ見てないで、さっさと仕事をしていて欲しいんだが」
「そうは言っても時間帯が時間帯ですから、結構暇なんですよね」
店長の岳さんは、誰かさんと違い器が大きい。むしろ、『本当に忙しいとき以外は、客に話しかけられたら、コミニケーションを優先しなさい』と言われている。
「まあ、あいつはそこらへんのプロデュースが上手なんだよな。リピーターを増やすって戦略でやってるから。その点、うちの上司ときたらーー」
「あっ、とりあえず長くなりそうなんでここらへんで。では、ごゆっくり」
「て、てめー」
いつもの感じで話し出されたら、それこそ給料泥棒だと認定されかねない。何事もバランスが重要だ。
やがて、岳さんが出てきて、いつもどおり松下さんと話し始める。二人を遠くから見ていると、実際に話しているときより若く見えるのは気のせいだろうか。
「なんの話ししてるんだろうね」
遠目から新内さんがつぶやく。
「二人って高校の同級生って言ってましたよね。むかし話に花を咲かせてるんじゃないですか」
そう言いながら。
チクリと心が刺されたような感覚に襲われる。
「どうしたの?」
「……んー。なんか、変ですね」
新内さんと松下さんがどれだけ楽しそうに話していても、こんな感情は抱かなかった。なんでなんだと、心の中に問いかけるが、一向に答えはもらえない。
それでも、二人が楽しそうに、どこか懐かしい顔で話していることに、チクリと心が刺され続ける。
「私……掃除します」
なんか、これ以上の直視はつらかった。なんでなのかは、次第に理解していったが、その感情を持ち続けること自体に戸惑いを覚える。
これは、嫉妬だ。
私にはそんなに仲のいい子もいなかった。だから、松下さんと岳さんのような関係性には、なれないし築けない。それは、自分にとってはとてもまぶしくて、羨ましい。
……いや、16歳の私にとっては松下さんがそうであるのに。そうであるはずなのに。松下さんにとって、きっと私はそうじゃない。
どうしてそこにいるのが、私じゃないんだろう。
それが、どうしようもなく、辛かった。
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