第26話 夏のセミ


 セミがミンミン鳴いていて、うるさい。そんなことをつぶやくと、


「これがいいんじゃないですか」


 とサトは言う。


「でた」


「な、なんですか?」


「うるさいものは、うるさいって言った方がいいんじゃないか?」


「うるさくないものを、うるさいって言う必要はないでしょう」


「ええっ!? セミってうるさくない?」


「うるさくないってさっきから言ってるじゃないですか。夏の風物詩って感じで」


「……」


 そ、そうなのか。『セミ=うるさい』って思ってたが、みんなは違うのか。触ると気持ち悪いし、暴れるし、なによりもうるさいから正直大嫌いなのだが。


「夏には夏の音があるんです。それを感じられないそのメンタリティは寂しいですよ」


「……」


 グウの音も出ない。


「さもしいですよ」


「……」


「意地汚いですよ」


「……」


「底意地が悪いですよ」


「さ、さすがに言い過ぎだろ!」


 さっきからおっさんのメンタリティをグサグサ刺してくる小娘。


「夏の思い出って、なにか思い出しませんか?」


「逆にお前はあるのか?」


「えっ……私ですか……」


「なんか、あるだろう」


「……」


「……」


 沈黙がしばらく続く。サトには、ときどきそんなことがある。とにかく、過去のことはあまり話したがらないし、友達の話も、好きな子の話もしない。


 天気とか空とか、季節の話とか。どっちかと言うと、そんな取りとめのない話をしたがる。それは、路上ミュージシャンを気取っているからだと常々疑ってきたのだが、どうやらそうでもないらしい。


 深くは聞く気はない。そもそも、この話だって振られてたから振り返しただけだ……でも、過去の話をしたがらない理由は少しだけわかる。


「……夏ってとにかく暑いんだよ。部活がバドミントン部だったんだけど、体育館の中がとにかく暑くてな。1リットルのパックの麦茶が安くて、とにかくそれを飲んでたな」


 合宿なんかも思い出される。最初は何度も何度もゲロ吐いてたように思うけど、そこらへんは記憶の中でマイルド化されている。


「へぇ。松下さんにもそんな時代があったんですね」


「今思えば、結構迷惑そうだって思うんだけど。コンビニでずっと溜まってて。バドミントンの団体戦を想定して、『ここと当たったらこのメンバーで行く』とか、『ダブルスはどうする』とか。夜10時くらいまで、それこそずーっと喋ってて」


「……」


「多分だけど……今はそんな感じなんだろうな」


「……えっ?」


「ほら、お前とこうやって喋ってて、ふとそうやって思ったんだ」


 これは、きっとお世辞じゃない。同情なんかじゃもちろんないし、助けてるなんて気持ちももちろんない。むしろ、ここにいたいと考えてるのは自分で。今、そんな風に思った。


「……」


「本当にこんな感じだったんだ。今思えば、本当にバカらしくて、いったいなんの話をしてたんだって思い出せないほど。でもさ、なーんか楽しかったんだなってことだけ思い出せて」


 実際、そんなもんだった。なにを得るわけでもない、なにをしているわけでもない。でも、夏を思い出すんだったらきっと、高校生のときのコンビニで溜まっていたことと……この夏でのサトとの会話なんじゃないだろうか。


「……私も、そんな風に思い出せるんですかね?」


「うーん……知らんけど」


「なんで!? そこは肯定するべきところですよ」


「お前の中での俺の立ち位置がよくわからない」


「松下さんの立ち位置はおっさんです」


「もうちょっとなんとかならんかな」


「なにがですか?」


「言い方だよ。自分でおっさんだと言うのはいいが、小娘におっさんだと言われるとズーンとくる」


「それはもう無理ですよ。あれだけ自分で『おっさん』と自嘲しておいて」


 それはそうかもしれないが、自分でおっさん呼ばわりすることは、実はそれを否定してほしいというおっさん心をわかっていない。


 この小娘は、全然、わかっていやがらない。


「……せめて、おっさん×おっさんにしてくれ」


「HUNTRE×HUNTREみたいな感じにしてもカッコいいとはなりませんよ」


「……」


 おっさんと言う言葉は、どんなに装飾をしてもカッコよくならない。そういうことなんだろうか。恐ろしい世の中になったものだ。


「でも……そうですね」


「なにが?」


「私にとって、夏ってこんな感じなんだと思います。松下さんと駅前で、ここで話したセミの話」


「セミの話は、忘れていいんだが」


「もはやセミの話しか思い出せないですよ」


「……サト」


「はい?」


「言えよ」


「なにをですか?」


「いろいろだ」


 だから、もう寂しそうな顔するな。


 もし、お前に過去がなくたって。サトという人間がここからいなくなるわけじゃない。俺にとってのお前の存在が、きっと高校のときのコンビニでの時間で。


 お前にとってはどうかは知らない。でも、俺にとっては、サトはサトだ。


「……意味わかんないですけど」


「わかんなくたっていいんだよ」


「本当に、意味はわかんなかったんですけど……」


 そう前置きを置いて。



















私はきっと思い出します、とサトが言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る