第20話 幸せ


 いつもの日曜日。いつものように駅前でサトの曲を聴きながら小説を書いていると、携帯のモニターにメッセージ音が流れる。


「……」


 普通に結婚して、普通に子どもが産まれて、普通に息子と娘が育って。そんな世間一般で普通と言われることが、全然普通じゃないということがわかったのはごく最近のことだ。


 それが自分にとってはもう叶いづらいことで、『普通』ということが、結構それも幸せなんじゃないかと思いだしたのも、ごく最近のことだ。


 今、このときのように、後輩から、親戚から、友達から『これでもか』と言うほど『結婚しました』、『子どもが生まれました』、『子どもが順調に育ってます』みたいな写真を受け取るたびに、そう思う。


 いや、そう思わされる。


「幸せってなんだろうな?」


「……あの、松下さん」


「ん?」


「それって私に聞いてます?」


「他に誰がいる」


 駅前には、サトと俺の二人しかいない。あえてロマンチックなことを言うとしたら、『お前と、俺と月』なんていい方になるのだろうが、そんなことを言えばドン引き必至だろう。


「……わかりました。まさか、自分より一回り超えているであろう歳の人にそんなこと尋ねられるとは思いませんでしたが、私なりに精一杯答えましょう」


「頼んだ」


 そして、頼まれた小娘は長考をする。


 もちろん、サトにに正解を出せるとは思っていない。と言うより、おそらくだが、この問いに答えなどない。


「ちなみに、私は今、結構幸せだったりしますけど」


「……ほぉ」


 売れない路上ミュージシャンなんて、正直正気の沙汰だとは思えない。それなのに、サトは嘘をついている様子もなくそんなことを言う。


「好きなことをやれてるって、幸せなことじゃないですか?」


「……若いうちは、そうなのかもしれないな」


自分もここまで真っ直ぐではなかったが、そこまで不幸にも感じていなかった。なんでかと考えると、やはり周りの環境なんだと思う。結婚、出産、子どもの成長。周囲がどんどん変わっていくのを、まったく変わらない自分が見ている。それは、自分の嫉妬みたいなものを見ているようで。


まるで自分が立ち止まっているみたいで。


「違いますよ」


「なにが?」


「私だって、松下さんと会う前はすごく一人でしたから。この駅前でギターを弾いて歌ってても、誰も止まってくれる人もいなくて。そのときは、やっぱりキツかったですけど。今は、別に、そうじゃないってことです……はい、終わり」


サトは、照れながら話を打ち切る。


「お前……」


「な、なんですか?」


「シューマイ食べたいのか?」


「なんでですか!」


 と壮絶にツッコミつつも、俺の幕の内弁当からちゃっかりとシューマイを強奪することも忘れない。ひとつ褒めを与えたら、ひとつなにかをもらうと言うのが、ルーティーン化されている。あまりに、褒め殺しされて弁当の中身がどんどん奪われていくのは癪なので、塩梅を注意しなくてはいけない。


「でも……そうか」


 それを言われたら、今の自分も似ているような気がする。まるで、捨てられた猫が夜の公園で寄り添うようだ。それを、世間から見れば幸せだとは思わないかもしれないけど。


 サトの言ってくれた強がりかもしれない言葉に、少しだけ救われている自分もいる。


「お世辞だとしても、いい答えだった。もうちょっとだけおかずをやる」


「えっ、本当ですか!?」


「ご飯の上の海苔を食べていい」


「……他にないんですか?」


「鮭の皮の部分」


「一番気持ち悪いところじゃないですか!?」


「うまいんだよ!」


「じゃあ逆にしてくださいよ!」


「身はメインだから駄目だ! せめて、切り干し大根ならいい」


「くっ……なんてケチな」


 これ見よがしに地面に手をついて、大げさに絶望を表現しながら、サトは切り干し大根を食べだす。


「うまいか?」


「……」


「まずかった?」


「うまくもないし、まずくもないです。ついでに言えば、腹も膨れずに、結果としてシューマイだけでよかったってなってます」


「今はそうかもしれない。しかし、10年後きっとお前の食べた切り干し大根は役に立つから」


「……そんな壮大かつ未来の話じゃなくて、私は現在、鮭の身の部分が食べたいんですけど」


「これは駄目だ」


 ぴしゃりとその要望を打ち切る。これをあげてしまうと、ご飯との配分が崩れる。結果的にご飯多めで弁当を食べることになる。


「はぁ……お腹減ったな。私って不幸だ」


「……俺がいて、幸せだと言ってたのに。本性を現したな」


「だって、お腹減ったんですもん」


「なんか買って食えばいいじゃねぇか」


「お金ないんです」


「そうか」


 モグモグ。


 モグモグ。


「……お腹が空いてる可愛い少女の前で、ひたすら幕の内弁当を食べ続ける松下さんもなかなかですけどね」


「はっはっはっ。やっぱり、幸せにはほど遠いな」


 そう笑いながら、サトはやっぱり膨れっ面で演奏を始めて、俺はやっぱり携帯で小説を書き始める。


 それでいい。今は、幸せでも不幸でも、それでいい。きっと、そう言うことなんだと思う。


「でも……」


「ん?」



 











 『でも、ホントですよ』とサトは言った。

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