第19話 缶コーヒー
帰り道。いつものように駅前について、いつものようにギターを弾いているサトの横に座って、カフェオレ無糖を飲む。
「コーヒー飲むか?」
「……」
小娘は、ギターを弾いていて、どうやらそれどころではないらしい。いや、むしろ親切心に対して、『話しかけるな』とばかりに睨んできた。
「ふぅ」
カフェオレ無糖を飲みながら、ため息をつく。タフな1日だった。いや、タフ過ぎる1日だったと言っても過言ではない。
「コーヒーください」
ギターを弾き終えたサトが、両手を出してくる。
「さっき、無視したくせに」
「演奏の途中でそんなこと言うから。でも、今は終わったので、なんの問題もないです」
「……」
「だから、ください」
その勝手は言い分に、あげたいという気持ちはもはやなくなっていたが、今日飲む予定もすでにないので、缶コーヒーをリュックから取り出す。
「……はい」
「ブ、ブラックコーヒーですか。私もそっちがよかったんですけど」
そう言ってサトは俺が飲んでいるとカフェオレ無糖の缶を指差す。
「こっちは俺の分だから、もうない」
「……多少は人の好みはあるんだから、そこらへんは検討していて欲しかったですけど」
「別に差し入れするつもりもなく、余りものだからな。だいたい1日に2本ぐらいは飲むんだが、今日は忙しかった」
「だったら、両方ともカフェオレ無糖でいいのに……苦っ!」
ブー垂れながらも、舌がお子様な少女は、ブラックコーヒーを口にして、予想通りの感想も口にする。
「……サト、おっさんにはブラックコーヒーか、カフェオレ無糖か、それともただのカフェオレか。この三種類を選ばなければいけないときが存在するんだ」
「そ、そうなんですか?」
「例えば、月曜日。朝。この条件であれば確実にブラックコーヒー。摂取カロリーも低いし、別に嫌いではない。どちらかと言えばカフェインを注入するような感じだ」
「全然気持ちわからないですが、続きをどうぞ」
「やがて、昼になって一息つきたいとき。ここらへんはカフェオレ無糖の領域。摂取カロリーも低めだが、とにかく『ふぅ』と深呼吸しながら飲みたい一杯だ」
「どうでもいいですけど、めちゃくちゃカロリー気にしてますね」
「そして、上司や同僚から理不尽なことを言われて心身ともに疲れきったとき。そんなときは、めちゃくちゃカロリー高くて甘いカフェオレ。もしくは、カロリー低めのミルクティー。今日は、そういう意味だと、そっちの気分だった」
「……なるほど。それを私の曲で持ち直したから、カフェオレ無糖な訳ですか」
「いや。朝は、こんな日になるなんて思ってなかったから、すでにもう買っていた。朝にはすでにコーヒーは買っておく派だから」
「……」
サトは、『全てが知らねえ』という表情を浮かべた。
酷い一日だった。これでもかと言うくらい、やらなきゃいけないことができていて、上司への報連相をする暇もないくらい忙しくて、結果としてなにも知らない上司に、他部署の人から『なんで上司と部下で意見違うんですか?』と突っ込まれて、上司にキチンと
「なんで、野菜が出てくるんですか?」
「ああ、ほうれん草じゃなくて報告・連絡・相談の略だよ報・連・相」
そう言えば会社生活で習う単語だったか。
「それ、上司に報・連・相すればよかったんじゃないですか?」
と会社という組織を知らない小娘がツッコミを入れる。
「上司がやれる仕事って少ないんだよ」
「それは、上司が仕事ができないって意味ですか?」
「いや、そういうわけではない。まあ、実際に俺はそう思ってるし、何度も『シネバイイノニ』という言葉を心の中で連発したが、そう言う訳ではないと思う」
「んー、ちょっとわからないですね」
「……なにが、わからない?」
「今のところ全部なんですけど、言っていることも、文脈も、松下さんが思ってることも、なにを訴えかけたいのかも、全然わかんないです」
「うるせぇ」
「ああ、そうでしたね。松下さんて言葉わかんないんでしたもんね」
なんて膨れっ
「まあ、飲め」
とブラックコーヒーをうながす。
「……苦っ!」
許しきれていないその苦い味と格闘している小娘を見ていると、ほんの少しだがストレス値が下がる。
「まあ、要するに上司だって別に部下すべての仕事を把握してる訳でもなくて。ましてや、部下のすべての仕事ができるわけでもない。なんなら、部下の方が専門的にやってるから、仕事を熟知してるケースが多いんじゃないかな」
「そんなもんなんですか」
「だから、報連相しろって上司は言うんだろうけど、これが以外と難しい。これが、『それ、お前に言って解決できるのか?』問題だ」
「な、なんかひどいネーミングですね」
「上司に相談する問題の多くの場合は、『忙しいっス!』なんだ。まずは、上司に相談する時間が非常にもったいないのと、相談したら逆に忙しくなっちゃうケースも多い。結果、ダンマリになってしまう場合も多い。そして、この塩梅がまあまあ難しい」
「……なんか、会社生活って面倒くさいですね」
「面倒くさいことだらけだよ。まあ、いいんだけどさ」
この時間があれば、自分は少しだけ頑張れる気がする。図らずも、サトとの会話が仕事に疲れきったときの缶コーヒーぐらいの役割には。
そんなようなことを言うと。
『不本意ですよ』とサトは照れながら言った。
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