サトの物語

第15話 春だから


 春の気配が舞い降りてくると、思わずウキウキした心地になる。それは、私だけじゃなくて、木も草も、歌ですら。そして他ならぬ松下さんもどこかウキウキしているように見えるのは、気のせいだろうか。


「……ん?」


「いえ、なんでもありません」


 コンビニの酢豚を美味しそうに食べている松下さんを見て、単なる勘違いだと思い直した。このおっさんにウキウキなど、無縁だろう。


「ふぅ。ご馳走さま」


 いそいそと惣菜のプラスチック皿を片付けて、マスクを取りだす。


「……なんでマスクしてるんですか?」


「花粉症なんだよ」


「松下さんて、もうちょっと春の空気を楽しもうって気はないんですか?」


「花粉症なの」


「それでも、そんなマスクなんかしてたらせっかくの春の雰囲気も台無しじゃないですか」


「花粉症だって言ってるだろうが!」


 き、キレた。おっさんが、キレた。


「でも春なのに!」


「……言っておくが、日本国民全員が春好きだと勘違いすんなよ。花粉症の人たちにとっては、まあまあ辛い季節なんだから」


「もったいないですね。人生損してますよ」


「損してたってどうにもならないだろう。花粉症なんて治んないんだから」


「でも……」


「お、お前いったいどうしたいんだよ」


「松下さんにも春のよさをわかってもらいたいんです」


「……花粉症だってさっきから4回以上言ってるんだが。逆になんでこんなに不毛な話を粘られているのか意味がわからない」


「花粉症の人は春を楽しめないんですか!?」


「まぁ、そうかな。目痛いし、くしゃみ連発したら鼻痛くなってくるし」


「……それはかわいそうですね」


「いや、別に花粉症で同情されても、嬉しくも悲しくもないんだが」


「なんとか楽しめませんかな?」


「なんなんだ!? さっきから、マジで粘られている意味がわからん」


「ほら、花見とか」


「花を見て『綺麗だな』以上の感想を持ったことがないからマジでどうでもいいって思ってる」


「でも、みんなブルーシート敷いて宴会してるじゃないですか。私たちもブルーシート敷いてやってみませんか?」


「うーん……外で飲むのはいい気分なんだが、花粉症だからな」


「また最初の話に戻っちゃったじゃないですか!?」


「最初からひたすら同じことしか言ってないから『戻った』と言うより、『聞けよバカ』と言う感じなんだが」


「でも、春って屋内のイベント少ないですよね」


「イベントと言われると、微妙だが、まぁ行事としてはそうかな。子どもとかがいれば学年とか変わっていろいろ大変なんだろうけど」


 そう言われてみると、春にはしゃぐ理由はなくなってくる。


「……あれ、なんで私って春好きなんでしたっけ?」


「知らん! 壮絶に知らん」


「ちなみになんで松下さんは春嫌いなんですか?」


「別に嫌いじゃない。気候はポカポカするし、やっぱり桜は見てて綺麗だしな」


「さっきと言ってること違うじゃないですか。花粉症だし、花は綺麗以上の感情が湧かないんでしょ?」


「花粉症でも、気候がポカポカしてたら気持ちいいし、桜は綺麗以上の感情が湧かないんだから、『綺麗』という感情が湧いてるんだから合ってるだろ」


「くっ……ああ言えばこう言いますね。でも、あなたはミスを犯してますよ。『綺麗の感情が湧かない』じゃなくて、『綺麗の感情が湧かない』じゃないんですか?」


「……」


「以上、未満の関係です」


 小学校ではキチッと勉強しましたから。


「いや、合ってるだろ。綺麗より大きい感情が湧かないって意味だから」


「……」


 合ってた。


「なんなんだ? さっきから、いったい、なんなんだ? 不毛な会話すぎるぞ」


「……春好きじゃないんですか?」


「花粉症だって言ってるだろうが!」


 き、キレた。おっさんが、またキレた。


「信じられない。また、ふりだしに戻っちゃいましたよ」


「それは、激しくコッチの台詞だが」


「……」


「もしかして、お前って花見したいの?」


「……だって、したことないんですもん」


 母親も一回も連れてってくれたこともなかったし、小学校のときも中学校のときも、そんなこと教えられてなかった。


「はぁ……なら、そう言えばいいのに。行くぞ、明日は土曜日だから、まあ付き合ってやるよ」


「でも、春は嫌いなんでしょ?」


「別に嫌いじゃない」


「花粉症だって酷くなりますよ」


「マスクしてれば大丈夫なんだよ」


「マスクしてたら、春って台無しじゃないんですか?」


「別に」


「春の空気を楽しめないじゃないですか」


「花粉症なんだよ!」


「知ってますよ」


「だろうな!」


「どっちなんですか? 春は好きなんですか、嫌いなんですか?」


「どっちでもないって、さっきから、死ぬほど言ってるけど、全然わかってくれないから、どっちかと言うとお前のことを嫌いになりかけてるよ」


「私と春はどっちが好きですか?」


「単位が違うから測れない」


「単位が一緒だとしたらどうですか?」


「そもそも春は好きじゃないから」


「私は?」


「激しく嫌い」


「嘘つき」


「うるさい」


 そんなことを言い合いながら、
















 二人だけでお花見をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る