サトの物語
第9話 携帯電話
内閣府の統計では、高校生の携帯普及率は94.8%だそうだ。これは、ほとんどの高校生が携帯を持っている計算になるが、決して100%になることはない。
世の中には、どうしようもない貧乏人が存在するからだ。そして、どうやら神さまってやつは不公平が好きらしい。どうしようもない母親から、どうしようもない貧乏人の私が生まれた。母親はキャバ嬢だった。彼女から言わせると、アメリカ海軍の父親だったらしく、私には半分アメリカ人の血が流れてるってしきりに自慢していた。
『義務教育終わり! じゃあね!』
中学の卒業式の朝、ちゃぶ台に置いてあった手紙の潔さは、我が母親ながら感心してしまった。
1K4畳半トイレ共同シャワーのみ、家賃2万5千円のアパートを残して、風のように消えてしまった彼女は、母親としてより女としての生き方を選んだらしい。恋多き女には、15歳の娘は必要なかったのだった。それでも、私が就職するまで生活させてくれた彼女には一定の感謝をしている。
しかし、人生ってやつは山あり谷あり。今、こんな時にはつくづくとそう思う。
「ごめん! ほんと、ごめんサトちゃん!」
「い、いえ。気にしないでください」
そう言うしかないじゃん、と心の中で思う。
そして、私は工場をクビになった。というか、工場が倒産した。
担任の忍足先生が推薦してくれた職場で、実際に社長さんも同僚もすごくいい人たちだった。でも、忍足先生は国語の先生だったから、人柄の良さは見通せても、経営状況までは見通せなかったらしい。
そんなわけで、急に暇になってしまった。残されたのはボロアパートとギターのみ。そして、手取りで月給11万円5千円の収入が、今しがた完全に消滅した。
「……面白いじゃないか」
言ってやった。
今どき携帯電話すらもってなかったから、友達もいない。知り合いもいない。頼れる人もいない。母親もいない。父さんもいないし、工場も倒産した。そんな自虐駄洒落を言えるくらいには、なかなかだ。今の状況は、なかなかだ。
アパートに帰って、ギターを持って出て、トボトボと歩く。この気持ちを、なんとか曲にしなくちゃという使命感が私の中で燃えあがってくる。
「なにやってんの?」
そんな中、後ろから声が聞こえて、振り向くと見慣れたおっさんがいた。
「あっ、松下さん。どうしたんですか?」
「いや、俺が聞いてるんだけど」
「私は歩いてます」
「いや、俺もそれは同じだから」
「で、どうしたんですか?」
「……いや、メシ食いに行くんだけど」
「はぁ、お腹減ったな」
闘争心も空腹には勝てない。
「じゃあ、ギター弾かずにメシ食いに行けばいいのに」
「松下さん……世の中には、ご飯食べたいって思っても、食べれない可愛そうな可愛い子もいるんですよ」
「……じゃ、飯食いに行く?」
「えっ! 本当ですか!?」
「いや、別にいいけど。ちょうどこれから行くとこだったし。知り合いの店だけど」
「奢りですよ? 実は、奢らないって意地悪は絶対に無理ですよ」
「お前……独身貴族なめんなよ。小娘と割り勘するほどお金に困ってねーよ」
「ありがとうございます! 本当に助かります!」
松下さんに深々とお辞儀をした。コロッケとか味噌汁とかチキンとか、なんだかんだ、いろいろ奢ってくれる目の前の人は、現状一番頼れる人であることは間違いない。
「まあ、食べ盛りのときは、いつでもお腹減ってるわな」
そう言いながら、淡い青色のTシャツと黒いチノパンをはいたおっさんは、ブラブラと歩き出す。
「……」
弾き語りをしていて、立ち止まってくれる人も何人かいた。同い年くらいの女の子や男の子、かなりのおじさん、普通のおじさん。みんな、松下さんと同じように私の曲を聴いてくれて、中には気に入ってくれる人もいた。
それでも、携帯電話の番号を聞かれて、『もってない』と言うと、即座に全員疎遠になった。きっと、携帯が世界の繋がりの中心になって、それ以外での繋がりなど面倒くさいということなんだろう。もしくは、繋がりを拒否されたと感じたのか。
不思議な人だ。私が困ったときに、なぜだか現れてくれる。
「……」
この人は、どう思うのだろうか。
私が携帯電話を持ってなかったら。
「……あっ、ここだよここ」
「ねえ、松下さん」
「ん?」
「私、携帯電話もってないんです」
「えっ、そうなの!?」
「は、はい」
「はーーー、アレだな。厳しい家だな。お母さんが持たせてくれなかったんだろ」
「……まぁ」
「じゃ、入るか」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
「ん?」
「私、携帯電話もってないんですよ!?」
「お前……まさか、『携帯電話買え』って言ってんじゃないよな?」
「そんな訳ないじゃないですか!」
「あー、よかった。念のため言っとくが、飯は奢るが携帯電話は絶対買わんぞ」
「だからそうじゃなくて、私、携帯電話もってないんですけどいいんですかって話です」
「し、知らねぇ。お前んちのお母さんの方針に口出す気もないし。大人として説得して欲しいって言うことなら勘弁だぞ。そんなもんは自分で稼いで自分でもつもんだ」
「……別にいいってことですか?」
「別にいい。携帯電話もってるかどうかなんて、マジでどうでもいい。もう、店入ってもいいか?」
「……ふふっ。はい!」
「な、なに笑ってんのかよくわかんないけど」
携帯なんか気にしない、目の前のおっさんに。
なんだか気持ちが楽になった気がした。
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