第8話 おっさんの神様


 水曜日は『定時の日』で、ほぼ全社員が17時には必ず帰宅しなければいかない。これも、働き方改革のおかげで、自分としては結構助かっている。しかし、帰りに待ってくれている嫁さんもいなければ、息子も、娘もいない。ついでに言えば、犬もいない。


 そんな中で、待っているかどうかは微妙だが、駅前にいるとほぼ確実にいる少女に、少しだけホッとしたりもする。


「……ねえ、サト」


「なんですか?」


「神さまに……おっさんはいるのかな?」


「いないと思いますけど」


「ふっ。そうだよな。じゃなきゃ、こんな世の中になってないよな」


「……なんか、不満があるんですか?」


「逆に、ないと思うか?」


「思いません。松下さんは貴重なおっさんサンプルなんで。いろいろ、聞きたいなって」


「つまり……モルモットということかな?」


「まあ」


「おっさんモルモット」


「そうです」


「お嬢さん……君には『否定する』という言葉が辞書にないのかな?」


「あります」


「じゃあ、しなさいよ。いや、してくださいよ」


「……敬語で言うほどのもんですか」


「当たり前だよ。おっさん×モルモットは危険だよ」


「……さりげなくHUNTRE×HUNTREみたいになってますけど」


「とにかく、不満だよ俺は。国民総生産(GDP)の大半を担うおっさんの幸福度の消失。特に既婚者の幸福度が他国のおっさんに比べて5分の1。この事実についてサト。君はどう思う?」


「それ、なに調べですか?」


「俺」


「……とりあえず、最後まで聞きますわ」


「なんでこんなに幸福度が低いのか。まず、一つ。家族内序列制度(カースト制度)の崩壊。昔の日本と現代の日本の家族内序列を書き表してみよう。ちょっと、その歌詞カード貸して」


「あっ……ちょっと勝手に……」


 父親→母親

 母親→娘(息子)

 娘(息子)→犬(猫)

 犬(猫)→父親


「こんな感じ」


「わ、私の歌詞カードが……汚れた」


「な、なんて失敬な女子だ。とにかく、聞いてくれ。古き良き時代。かつて、おっさんはカーストの最上位に位置していた。しかし、黒船が……欧米文化が入ってきた。それが歪な形で適合された。そもそも欧米は日本のおっさんの性格には合ってないんだよ!」


「い……犬より低いと言われると、確かに可哀想ではありますね」


「しかも著しく」


「著しく……」


「信じられるか? 給料の過半数はおっさんが賄ってるんだぞ」


「ま、まあ」


「じゃ、じゃあなぜ! なぜなんだ!? 俺は考えた。物凄く、考えたよ」


「……それよりも、あなたに家族ができない理由をもっと考えた方がいいんじゃないですか? 独身である松下さんには関係ない話ですし」


「そこで、やはり、家にいる時間の短さであると気づいたんだ」


「む、無視」


「家族を食わせるために、朝6時に起きて会社に行って。おっさんの上司に怒られて。おっさんがおっさんに怒られて。どうせ、怒られるのなら綺麗な女性の上司からがいいよ。『無能』とか『キモい』とか、罵られたいよ! でも……今の日本は男社会過渡期だから! 怒るのはいつもおっさん。怒られるのはいつもおっさん。なんで美人上司が怒ってくれないんだよ!?」


「……それは、松下さんの趣味的なものが混じってませんか?」


「そして、叱られるのも、だいたいいつもおっさんだ。なぜか? おっさんの上司はセクハラ呼ばわれされるのが怖いからだよ! おっさんがおっさんに叱るのと同じトーンで叱ると、泣かれる。わめかれる。訴えられる。セクハラだと社会的な断罪が待っている……地獄だよ」


「……泣かれない程度に叱ればいいんじゃないですか?」


「距離感がわかんないんだよ!」


「……」


 サトは『そ、それを言われたら』と言う表情を浮かべていた。


「おっさんは常に自己分析を忘れない。なぜなら、怖いからさ。パワハラ、セクハラ、青少年育成保護条例に常に怯えているんだ」


「……最後のやつは、普通のおっさんだったら怯えなくても大丈夫な項目だと思いますけど」


「わかってるよ……若い頃に、もっとコミュニケーションを深めるべきだったって。みんな『テラスハウス』的なのや『あいのり』的なのをしておけばよかったって。そうすれば、こんなに男女の距離感に悩まずに済んだ。でも……もう今のおっさんは、すでにおっさんなんだよ!」


「……」


「サト……わかってくれたか?」


「いえ、まったく」


「……なにがわからない?」


「なにがしたいのか、なにが不満なのか、そもそもなにを訴えかけたいのか、とにかくなにもわからないです」


「……わかった。もう一つ例を出そう。思春期の娘を持つ65パーセントの父親が深刻な家庭内ハラスメントを受けている」


「とりあえず、何調べかは置いておいて、聞きましょうか」


「これは推測だが、『お父さんが入ったお風呂に入りたくない』『触らないで』『話しかけないで』『キモい』『ウザい』などなど」


「そ、それは酷いですね」


「もし逆だったらYahooニュースで炎上だよ。しかし、残念ながら現在は日本のおっさんを守る法律は存在してない」


「そ、そんな……」


「そして、さらに残酷な事実をいうと、オッサンの98パーセントが娘を溺愛している」


「……溺愛してる人からこんなこと言われたら、さすがに傷つきますね」


「85パーセントのオッサンが背中で泣いている。13パーセントのオッサンが実際に枕を噛んで泣いているそうな」


「……その数字の根拠はともかくとして、でしょうね」


「なんでだよ! トイレの神さまはいるのに。排泄物でさえ神がいるのに、おっさんの神様がいない!」


「……さ、さぁ」


「サト……わかってくれたか?」


「いえ、まったく」


「……なにがわからない?」


「そもそも松下さんて独身だから、そんな心配しなくてもいいんじゃないですか?」


「……」


















 とりあえず、悩みは解消された。

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