第2話 頑張れ


 頑張れ。


 うるせぇ。


 頑張れ頑張れ。


 うるせぇ。


 と言うのを、今、駅前でギターを持った少女に、ハンバーガーを食べながら話しているところだ。


「俺って、それ『頑張れ詐欺』だと思うんだよな」


「……ちょっとわかんないんですけど」


「……」


 そりゃそうだ。


 それは、会社での話。突然、上司の上司から呼び出しをくらい(上司は無視)、指示を受けた。そのときに言われたのが『頑張れ』だった。


「そんなん、普通じゃないですか?」


 と小娘が言う。


「だって、別に俺は頑張りたくないんだよ。なんなら、やりたくないって思ってる。なのに、上司の上司は『頑張れ』と言う」


「……ちなみに、なんで上司じゃなくて、上司の上司なんですか?」


「仲悪いんだよ」


「な、なるほど」


 直球どストレートだが、事実だ。


 上司の上司と、上司は仲が悪い。だから、上司の上司は平社員の俺に言う。そして、それを上司は面白く思っていない。『俺は聞いてない』風を装う。そして、それを上司の上司の上司が見て、上司の上司の管理能力が問われる。必然的に、上司の上司の上司と、上司の上司との仲も悪くなる。


「……これが大人の世界なんだよ」


「嫌な世界ですね」


 まったくだ。


「話がそれたな。俺は頑張りたくないのに、頑張れと言う言葉で奮起しようとする訳だ」


「だから、普通じゃないですか。嫌なことだって頑張らなきゃならないことありますよ」


 と世間知らずは言う。


「嫌という訳じゃない。いや、嫌なんだけど。嫌だから頑張りたくないと言う訳じゃない。結局、頑張った先になにがあるのかってことだ」


「ごめんなさい全然わかんないです」


「……なにがわからない?」


「今のところ全部なんですけど、言っていることも、文脈も、松下さんが思ってることも、なにを訴えかけたいのかも、全然わかんないです」


「うるせぇ」


「酷っ! 松下さんがいきなり話してきたんじゃないですか」


「まあ、飲め」


 そう言ってコンビニで買ってきたインスタント味噌汁を差し入れしてあげる。


「あ、ありがとうございます」


 サトは差し出された味噌汁を嬉しそうに飲みだす。おっさんが差し出したものを素直に受け取ると言うのは、多少なりとも世間に揉まれているという証拠なのだろう。


「お前はさ、今はこうやって路上ライブとかしてるけど、それってやりたいからやってるんだろ?」


「……」


 味噌汁飲んでねーで、聞けよ、てめー。


「なんか、仕事やってるとさ。なんのためにやってるか、よくわからなくなるときがよくあるのよ。でさ、頑張れって言われると、『なんで?』ってなる。この先になんか頑張ったとして、なにか待ってるのかって」


 正社員、中堅会社、事務職だから、最低でも窓際であと30年は固い。かと言って、どうやら天地がひっくり返っても社長にはなれないらしい。このまま行けば、なれて上司の上司止まり。朧げな未来が見えている中、独身で子どももいない。守るべき家族もいない。


 だから、その『頑張れ』って言葉が妙に引っかかった。


 別に上司の上司が悪いわけでもない。上司が悪いわけでもない。ましてや、上司の上司の上司が悪いわけでも。ただ、脱線はするがもう少し仲良くやってほしい。


「……でも、それをなんで私に相談するんですか?」


 やっとこさ味噌汁を飲み終えて、サトが俺に尋ねる。


「友達いないんだよ」


「答えが悲しすぎますよ!」


「と言うのは、冗談だけど」


「……エッジが効きすぎなんですよ。全然冗談ぽく聞こえなくて、むしろほぼ100%本当に聞こえるんですが」


 まあ、ほぼ本当だけど。


「……歳をとった人に相談するよかマシかなって思ったんだ」


 『頑張った先になにがあるんですか?』、何度も何度も心の中でつぶやいて、ついに出て行くことのなかった言葉。頑張った先の未来が上司で、上司の上司で、上司の上司の上司ならば……年輩になればなるほど、その質問をするのは酷だなって思ったんだ。


「まあでも、私だったら、いつでも聞きます」


「……」


 これから夢をまっすぐ生きようとしている女の子に、こんな話をしてもいいんだろうか。大人ってのは、もっと強いはずだって思ってた。強くって、間違ってるって思ってた。でも、大人であるはずの自分は、弱くて、みじめで、どこまでも現実正解で……ときどきすごくかわいそうだ。


「……泣きたかったら、別に泣いてもいいです」


「うるせぇ」


 と言いつつ、コロッケをやる。


「わぁ、ありがとうございます!」


 サトは簡単な少女だ。今どき、60円のコンビニコロッケで話を聞いてくれる。ガールズバーなら1時間6千円。キャバクラなら、1万円はする。


「うまいか?」


「……」


 はぐっはぐっ、なんて可愛い擬音が聞こえるはずもなく、味噌汁で半ば強引にンググっとコロッケを流しこむ仕草が、どうしようもなく庶民だ。まあ、60円だったらこんなもんかと納得する。


「はぁ、ごちそうさま。ねえ、松下さん」


「ん?」


「コロッケと味噌汁のお礼。一曲、聴いてきませんか?」


「……逆にお礼として、聴かないという選択肢は?」


「ありません」


 コロッケと味噌汁、関係ないじゃん。


「じゃあ、聴く」


 そう言って奏で出した旋律は。























 どことなく、頑張れと言っているように聞こえた。



 

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